2人の子供の間に問題が起こったとする。親(あるいは教師)はその問題を解決しようと考える。そうなると、子供のコミュニケーションに立ち入ることになるだろう。その場合(ここがアドラーの独創なのだが)一方の子供を「良い者」もう一方の子供を「悪者」と決めてとりかかると、最初から設定がズレているので、いくら熱心に介入しても子供の問題は解決しない。そうではなくて、両方の子供が共通の「間違った信念」に陥っているからトラブルが起っているのであって、「正しい信念」に立ち戻ればトラブルは解決できるはずだと考える。別の言い方をすると、2人の子供のうち、どちらかが「良い者」でどちらかが「悪者」ということはありえないので、どちらもが「悪者」になってトラブルが起こるのであり、両者が「良い者」になってはじめて「正しい信念」に到達して問題を解決することができる。つまり、子供の問題は、1)両方が間違っているか、2)両方とも正しいか、のどちらかだ。つまり、3)一方は間違っていて一方は正しい、というのは、現場では見られないということだ。
なぜ「現場では見られない」などと胸を張って言えるのかというと、子供同士のトラブルの原因は、「現実に」存在する論理学上の行き違いに原因するのではなくて、「空想の中に」存在する仮想的な行き違いに原因すると考えるからだ。具体的に言うと、雑誌を誰が読むかで兄弟がもめたとする。別に先に読んだからどう、後から読んだからどうという問題ではない。ただ、兄も弟も、先に読んだ方が「勝ち」後から読む方が「負け」だと感じているにすぎないだけのことだ。そうだとすると、親は兄弟双方にそのことについて説明した方がいいし、その過程で兄弟がこだわっていたのは実は「前後関係」が「優先関係」にすり替えられるというトリックであったことに気がつくように働きかけるのがいい。
アドラーによれば、およそすべての優劣は「縦関係」という迷信にもとづいて作られるものであって、けっして現実に存在する優劣ではない。人間と人間の関係は、どんな場合でも「縦関係」あるいは「横関係」として記載できて、どちらをとっても妥当なのだ。ただ現場の人間関係だの個人の生きる価値だのに絞って考えるならば、「縦関係」は問題を巻き起こし、「横関係」は問題なしに協力ができる。
「縦関係」だの「横関係」だのの話をしていると、「ななめの関係」というものを持ちだす人たちがいる。その人たちが作ったテキストには、実際に「ななめの関係」が記載されており、それについてのワークショップもするみたいだ。しかし、「縦関係」と「横関係」以外に「ななめの関係」というものを立ててしまうと、アドラー心理学の論理そのものが使えなくなる。「いまわれわれはモメているのは『縦関係』だからだ。『縦関係』は競合的な間違った論理で組み立てられている。『縦関係』を作りだす論理から抜け出して、協力的な論理で問題を考えなおし、『横関係』を築く方法を考えよう」と、当事者の両方が気がつかないと、対人関係の問題は解決しない。アドラー心理学を学ぶ初心者は、どうしてもこの障害を越えなければならない。親(あるいは教師)がこの障害を越えていないかぎり、どんなにたくさん勉強しても、アドラー心理学の人間関係は体験できない。