顔のない時代

 今日も妻は外出で、ひとりで留守番している。別に用事もないので、パソコンでインターネットを見たりして暮らしている。

 世間の情報は、なにしろわが家にはテレビもないし新聞もないので、インターネットからしか入ってこない。これはなにも最近のことではなくて、ここ20年くらいそんな状態だ。それで不便かというと、そんなこともないので、なんとなくこんなものだと思って暮らしている。「こんなものだ」と思えるのは、インターネット情報だけで不自由がないからだ。

 じゃあインターネット情報には「かたより」がないのかというと、かならずしもそうではない。ときどきテレビや新聞の批判をインターネットで見せられる。そちらはそちらで、それなりに「筋」が通っているようにも思う。どうも世の中はテレビ・新聞業界とインターネット業界に二分されてしまっており、おのおのに別の、それなりに筋の通った情報が流れているようだ。そのうちインターネットの側を選んでしまったので、テレビや新聞の情報をアテにできなくなっている。それでいいのかどうかは、なにしろ「自前」の確認手段がないので、知っている側を信じて暮らすしかない。

 われわれは「顔のない時代」を暮らしている。いちおう「顔」に見える現象が存在することは存在するのだけれど、それが「本物の顔」である証拠はなにもない。まあそんなものなんだと思って、自分が信じている情報を半分は疑いながら、それでも反論よりはまだマシかなと思いながら、生きて行くわけだ。