昨日の夕食は鶏肉を焼いた。今日はお休みで、明日はまた私の担当だ。豚肉を使おうと決めて、焼肉用の肉を買ってきた。ただ焼いて出すのでは申し訳ないので、あれこれ考えている。たぶん野菜と一緒に煮てシチューにするのではないかと思う。
隔日に炊事をさせてもらえることになって、ほんとうに喜んでいる。どのみち、豚肉・牛肉・鶏肉・魚肉くらいしかメインになるメニューはないわけだ。それらをいつも焼いて出すのでは「飽き」が来るから、なにかひと工夫を加える。昨日の鶏については油で揚げることになった。味付けをどうするかだが、ちょっとだけ変ったソースを作った。おいしかったな。明日は、油揚げはダメなので、シチューがいいと、いまは思っている。もっとも明日の炊事開始のときまでシチューになるかどうかは確定しない。いつもそうなので、計画のとおりには進まないことが多い。そこが料理の面白さだと思っている。
料理というのは、正常な状態を考えるかぎりは、大人の仕事だ。現代では、子供が喜ぶだろうと思って料理を作るのだが、むかしはそうでもなかった。子供(や老人)は大人用に作られた料理の中から口に合うものを選んで食べたのだろう。つまり、親は子供を気にしないで調理をし、子供は親の作ったものから口に合うものを選んで食べたわけだ。日本でも、江戸時代には基本的にこういう構造だったのだと思う。しかるにいまでは、そうではなくなって、子供の好き嫌いが先にあって、大人がそれに合わせて調理をすることが多い。いつごろ「構造」が変ったかというと、この前の戦争がきっかけになったのではないかと思っている。だから50年あまりの歴史しかないわけだ。それは西洋社会でも同じようなことなのではないかな。
そうして「子供中心のメニュー」がなんとなく家庭料理の中核部になっている。まあ、酒を使うメニューとか、苦いものや酸っぱいものを中心にしたメニューが、大人向けのメニューとして残ってはいるのだが、しだいに減りつつあるようにも思う。どうなるんだろうね。