2019-06

Jalshaのブログ

天皇と歌の流派

 光厳上皇(1313年ー1364年)について書いた。伝記を見ると、尊敬するしかない人物なのだが、どういうわけか有名ではない。まあ、時代を考えると当然なのかもしれない。2016年に光厳上皇を主人公のひとりにする時代小説を書いたことがある。上皇...
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短歌と瞑想(3)

 人間にとって最大のわざわいは人間だ。自然現象による災害などは、人間が引き起こす災いに較べれば、たかが知れている。源平の合戦は全国の武士たちを巻き込んだ大戦争だったが、その後で成立した鎌倉幕府は、強い裁判権を行使することで、百年あまりの期間...
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短歌と瞑想(2)

 仏教の教えを詠った歌を釈教歌という。昨日、京極為兼の釈教歌をひとつとりあげたが、世の中に釈教歌ほど面白くないものはないことになっている。それは私も賛成なのだが、せっかくひとつ紹介したので、調子に乗ってもういくつか書いてみる。『風雅集』の釈...
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短歌と瞑想

 短歌の話の続きをする。むかし書いたシリーズをすこし校正したものだ。主題は『玉葉集』と『風雅集』の歌で、実際に書いたのは、この前のシリーズのすこし後の、2016年05月18日からしばらくの間だ。この前と同じように、いまの気分ですこし付け加え...
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小休止

 まだもうちょっと書くことがある気もするが、ここらあたりで小休止をする。短歌や古典の話はしばらくお休み。 先週は、月曜日は訪問介護士さんが来て介護してくださった。火曜日・水曜日は予定がなかった。木曜日は学会のスタッフが2人やってきて夕食を一...
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短歌について(7)

 昨日の結論、すなわち、「あの時代の人々みんながそこ(日本の「こころ」)に戻って考えていたなら、戦争はまったく違った展開になっていただろう」というのは、わかりにくいかもしれない。満州事変・支那事変から大東亜戦争にかけての時代には、複数の思惑...
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短歌について(6)

保田與重郎が言う「こころ」と「ことがら」の違いをもう少し考えてみる。開戦の朝の電車に知る知らぬ引き締まりつつ静かなる顔  阿部鳩雨宣戦のビラに痺(しび)れしごとき街今朝の静けさかつて見ざりき  平井乙麿どちらも日米開戦を詠った歌だ。短歌や詩...