協力的ライフスタイル(3)

 2つ以上のマイナスの早期回想と1つのプラスの早期回想をもらうと、その人のライフスタイルを探しあてるのはそう難しくないという話をした。もっとも、最初に3つの回想をもらって、「では」と言っていきなりあてられるとは限らない。とくにアドラー心理学の勉強がまだ進んでいないうちは間違った解釈をしてしまうかもしれない。まあそうであってもグズグズやっているうちに次第に正解に近づいてきて、あるとき「あ、こうなんだな」と気がつくときがくる。そのときの解釈は、最初に解釈したのとはずいぶん違っているのが普通だ。ということは、分析している間に、最初の解釈とはずいぶん違った解釈にたどりつくことになる。それを「正しい」というわけだから、実はかなり怪しい。

 私などはむかしは名人(?)だったので、かなり早い時期に正解を言い当てたのではないかな。いや、本人がそう思い込んでるだけで、実は当たっていなかったのかもしれない。けれども性格が強引なものだから、本人は「当たった」と思い込んでいる。そうして「あなたはこういう性格じゃないのかな」などと得意満面に言ったりする。あまり得意満面に言うものだから、患者さんの方もだまされて、「そうかもしれません」などと言ってしまう。実はこういうことしか起こっていなかったのかもしれない。いやいやそうではなくて「性格ぴったり」の的中版ばかりだったのかもしれない。いずれにせよ、的中なんだか的外れなんだか、自分ではわからない。患者さんの方もわからなくて、「ああ、そういうものか」と思っているだけかもしれない。つまり正解は誰も知らない。しかも「仮の答え」については、治療者も患者も合意する。面白いねえ。

 というわけで、「ライフスタイル診断の正解」については大きなことは言えない。けれども、いかにも正解みたいなライフスタイルにたどりつく。そうだとすると、その解釈にもとづけば「本当の」正解にたどりつけるんじゃないかと思えるような「仮の正解」を見つけておけばいい。このあたりは、ひょっとすると私の独創かもしれない。あるいはそうでなくて、同世代の何人かが平行して思いついていたことかもしれない。ともあれ心理治療を通じて「新しいライフスタイル」にたどりつく。アドラーもドライカースもシャルマンも、みんなこういう話をしていたのだが、「新しいライフスタイル」にたどりつくまでに時間がかかったように思う。それは「技法」の問題ではなくて、彼らの時代の方が技法が原始的で「枝葉のつかない」ライフスタイルにたどりつくのに時間がかかったんじゃないかな。