協力的ライフスタイル(2)

 昨日は1つだけの早期回想を用いてライフスタイルを考える場合について書いた。しかし、実際のライフスタイル分析では複数の早期回想を使って診断する。なぜかというと、もしライフスタイルが存在するなら、そこからすべての早期回想が出てくるわけで、診断者が矛盾なくライフスタイル分析をしているならば、他と矛盾するような早期回想は含まれないからだ。わかります? 早期回想同士が矛盾しているなら、それは診断者の心が矛盾しているのであって、患者の心が矛盾しているのではない。アドラー心理学の原理はきわめて透明であって、1人の患者が提示した回想は、なんであれ、相矛盾せずお互いに助け合って存在するのだ。

 ドライカースは5つとか6つとかの早期回想を使った。しかし次の世代はもっとコンパクトになって、たとえば陽性の早期回想と陰性の早期回想をひとつずつ聴いて、そこからライフスタイルを診断しようとした。たとえばイヴォンヌ・シューラーはそういう流派の人だ。私は彼女の影響を受けて、陽性の感情を持つ回想を1つ、陰性の感情を持つ回想をできれば2つ聴いておきたいものだと思っている。陰性感情の回想1つだけでは、ちょっと心許ないんだよね。

 そうして2つないし3つの回想を対象にして考えるなら、解釈のグラつきはうんと小さくなる。たとえば「ローラースケートをして倒れ、膝をすりむいた」という回想を持っている人がいたとする。これだけだと「危険な遊びに私はむかない」という意味かなと思ったりするけれど、もうひとつ「隣の家のシェパードがいきなり私に噛みつこうとした。私が泣くとおとなしくなって、噛みつかなかった」という回想があるとする。これを加味して解釈すると、「暴力的に侵害しようとするもの(ローラースケート・シェパード)は、こちらが敏感に反応すれば安全だ」という意味かもしれない。もうすこし幅広く、「危険な対象と出会ったら競合的になるのはやめよう」と言い換えてもいい。

 最初の1つだけの早期回想を聴いて、「暴力的に侵害しようとするものは、こちらが敏感に反応すれば安全だ」だの「危険な対象と出会ったら競合的になるのはやめよう」だのという解釈を思いつくのは,普通の治療者には難しいんじゃないか。しかし2つの回想を聴いていると、それらに共通するものとして、それらの案を思いつくのは、そう難しくない気がする。アドラー心理学の心理療法の「味わい」は、このあたりにあるんだよ。