協力的ライフスタイル(4)

 クライエント役の人とカウンセラー役の人の対話でカウンセリングは動いていく。話が出た最初は目標が合わないが、細かく打ち合わせていると、次第に合ってくる。目標の一致は自然におこるものなのか、両者の(主としてカウンセラーの)恣意によるものなのか、はっきりしないのだけれど、いずれにせよ最終的に合意する。

 もっとも失敗が起こることもある。つまり、目標が最終的に一致せずに、クライエントはクライエントの目標、カウンセラーはカウンセラーの目標を追いかけ続けて、目標について合意しない。そうなると話し合っても無駄で、アドラー心理学的なカウンセリングはやめてしまった方がいい。実際にどれくらいの割合でそういう事例があるかだが、私自身の場合には多くない。まあそれは私が腕がいいからで、と言いたいところだが、ただ口がうまいだけかもしれない。ともあれ、「ああ、これはダメだな」と思うと、カウンセリングを打ちきりにする。失敗率は、カウンセラーごとに違うので、一般的はどれくらいあるのか言えない。

 「神経症的策動 neurotic maneuver」というものがあって、カウンセラーが自分の失敗をうまく言い逃れする技術だ。ある言い回しをすると、言い訳として通用する。どうして言い訳として通用するかというと、世間がそういう言い訳を許容するからだ。たとえば、患者さんが「この症状さえなくなったら、いくらでも働きます」と言うと、ある治療者は「早くよくなるといいですね」などと言って、「そんなことを言っていないで早く働きなさい」などとは言わない。そうして、神経症者は永遠に「この症状さえなくなったら」と言い続け、治療者は永遠に「早くよくなるといいですね」と言い続ける。こうして神経症者は非生産的な生活を続けながら、世間と、さらには自分自身とを、欺き続ける。そこに親などからの経済的援助や、あるいは社会保障がからむと、いわゆる二次的疾病利得が生じて、神経症が主たる収入源になってしまい、患者業はいつまでも商売繁盛することになる。

 私が神経症治療者になったころには、世間での神経症的策動はもうすっかり成熟していて、無意識的にそこに陥る心配はなくなっていた。つまり患者さんが神経症的策動をしかけてきても、こちらは「神経症症状を使う口実は与えないもんね」と思っているので、「ほいほい、来た来た」と思うだけで、その手にひっかからない。患者さんの方は、神経症的策動が一向に効かないので、そうなるとこの治療者を信じて言うとおりにするか、あるいはこの治療者を信じないで他の治療者に変るかしかない。私の方ははじめから患者さんの手筋を読んでいるわけで、患者さんが神経症的なストラテジーを諦めて健常なストラテジーを使うことにするか、私の所を離れて別の主治医のところで本格的神経症者として暮らしていくか、どちらかを選ぶまで待つわけだ。ここもまた「あじわい」があって楽しい部分だ。