母といっしょに

母といっしょに

 母との関係がアドラー心理学を学ぶことによって、どのように変わってきたのか、この機会に振り返ってみたいと思います。これまでの暮らしの中で、たくさんの人とのご縁がありました。その中でも、特に私の人生に、強く、濃く、深く影響を与えてくれる存在の一人が母です。

私がずいぶん幼いうちから、母はたくさんの話をしてくれたような気がします。私は長い間、その話題の多くは、母の「愚痴」で、自分はそれを「聞かされてきた」という意識でいました。

幼い頃からあまり体が丈夫でなかった私には、「母に迷惑をかけている」という負い目がありました。父や祖父母との関係があまりよくない様子の母を見ていて、気づけばいつしか、「せめて、いつも大変な思いをしている母さんの愚痴くらいは聞かなくちゃ」と、半ば義務のように考えていたような気がします。

思春期には、「愚痴なんて聞いてうれしい話でもないのに、母さんのためにしかたなく聞いてやっている」なんて傲慢なことを考える反面、「母さんは幸せじゃないんだ。我慢してここ(家)にいるんだ。だから私くらい味方でいなきゃ」などという思いもあり、いつも、ぐらぐらと揺れ動いていたように思います。

そんな私がアドラー心理学に出会ったのは30代前半の頃です。

アドラー心理学を学び始めた頃の私は、母の「愚痴」が始まると、もうそれだけで支配される感じがして、不安や怒りの陰性感情が湧いていました。父や祖母、親戚等との出来事を語る母。どうやら母の周りは「敵」だらけ。「○○は間違っている。私は正しい。」で、「悪い〇〇。かわいそうな私。」と思っていて、過去の後悔や未来への不安でいっぱいのように見えました。「そんなことを考えてるかぎり、母さんは幸せになれないんだよ。いつまでそれをやっているつもりなの?」と、アドレリアンではない母を裁いて、イライラしながら話を聞いていました。あの頃は、我慢して、上っ面だけで、パセージテキスト9-Lや11-Lの技術だけを使おうとしていたと思います。

アドラー心理学を学び始めて3年ほどたったある日、講座で母の話題に触れた私に、野田俊作先生はこんなことを教えて下さいました。

所属することが人間の幸福であること。

幸福と快感はちがう。

だから、いっしょに幸せである方法を探す必要がある。

このお話を聞いた日から、母と自分がいっしょに幸せである方法とは何なのか、ずっとぶら下げ続けている気がします。

そして、失敗を繰り返しながらも、少しずつ少しずつ、母が何を言いたいのか、どんなふうに事実や世界を捉えているのかに関心をもって、最後まで話を聴くことができるようになってきました。以前ほどは気持ちがざわつかず、落ち着いていられることが多くなった気がします。以前は、話を聞いている間中ずっと何度も大波に襲われていましたが、今は、凪の状態という感じです。

そうして話を聴いてみると、母は、ただただ自分が「がんばっている」ということをわかってほしいのかもしれないと考えるようになりました。娘から見ても、母はものすごく責任感が強く、まっすぐな人だと思います。ずっと「がんばって生きている」という感じがします。その分、自分が「正しい」という気持ちが強いのかもしれません。だから、きっと、自分の「がんばり」や「正しさ」を否定されたように感じるできごとが起こると、ものすごくつらいのでしょう。

そんな母に対して、私ができることやすべきことは、母の「がんばり」や「正しさ」をしっかりとわかって、感謝することなのではないかと今は思っています。母は、どんなときでも、歯を食いしばって、がんばって、がんばって、私やきょうだいを育ててきてくれました。

母を心から信頼して、尊敬して、感謝すること。

母の話が始まったときに、自分で勝手に、王様や奴隷になるのをやめること。

上っ面だけでなく、構えを変えて、話を聴くこと。

そんなことから、やっと母に対する勇気づけの道のスタートラインに立てるような気がしています。

そんなある日のできごとです。

親戚について、母の話をたくさん聴いた後、

「このできごとは母にとってなんだろう。私は母に何ができるだろう」と考えました。

お風呂に入った後、母に、

「私の話をしてもいい?」

と言ってみました。

「いいよ」

と言ってくれたので、こんな風に話しました。

「あのね、前にね、アドラー心理学の子育てプログラムの勉強したって言ったでしょ。それ、パセージっていうんだけど、パセージって子どもを怒って育てるのも、ほめて育てるのもおすすめしてないの。その代わりに「勇気づける」っていうのをすすめてるんだ。でね、勇気づけて、すべきことはして、すべきでないことはしない大人になってほしいと考えてるのね。でさ、私、母さんを見てるとさ、母さんってすべきことはちゃんと責任をもってやる人だからすごいよなぁって思うの。どれだけばあちゃんに腹が立ってもちゃんと介護するし、親戚のことも邪険にしたりしないし、家のこともちゃんとするでしょ。私はまだまだ甘えてるところあるから、それ、本当にすごいと思うよ。」

そうしたら、母は黙って耳を傾けてくれた後に、おばに「要領よく仕事ができる」と言われたことと、歴史に興味があることについて、親戚から電話で「すごい探求心!」と言われたことを教えてくれました。

私の正の注目をきっかけに、母も自分に少し正の注目をしてくれたのかなと思うと、とてもとてもうれしい気持ちになりました。もしかすると、これがいっしょに幸せであるということの一つなのかもしれないと思いました。

 最近になって、母が、たくさん話をした後に、

「Tはどう思う?」

と、私の考えを尋ねてくれることが増えたような気がしています。それはひょっとすると、母が張り詰めるほど大切にしてきた「正しさ」のほんの少しの緩みだったり、私のことを信じて、あてにしてくれているということの表れなのかもしれないと思っています。そうだったら、うれしいし、ありがたいです。これからも母といっしょに幸せである方法を探す旅は続きます。

母さん、いつも、ありがとう。

こんな娘だけど、これからもよろしくね。

いっしょに幸せになっていこうね。

秋田県 T