インターネット・テレビをほとんど唯一の情報源にして考えていると、世間一般とのズレが次第に大きくなる。いまはたまたま韓国が話題だが、むかしから韓国に関してはネガティブな感覚をもっていた。起源をたどると、父親や母親の影響が最初にあったと思われる。学校の先生たちは、私の時代にはまだ中立である人が多かったように思うが、親はすっかり戦前型で、韓国人(あるいは朝鮮人)のやり方に懐疑的だった。いや、懐疑的というのはちょっと違うかも。韓国人や朝鮮人には基本的に反発していて、ただあまりにあからさまに言うと抵抗がありそうなので言わない、という程度だったかもしれない。そのあたりの感触は、私が中学生になった時代にははっきりと尋ね当てられたので、あまりその話に持ち込むこともなくフニャフニャと暮らしていた。
高校時代は、あまり韓国・朝鮮ネタは問題にならなかった。なぜなんだろうね、私が接していたグループがそういう風だっただけのことかもしれないし、あるいは学校全体にそういう雰囲気だったのかもしれない。とにかく波風の立つ話題は出なかった。大学に入って活発な反日(?)活動家たちと出会うようになって、「ふ~ん、うるさい人たちがいるんだね」と思ったけれど、彼らと積極的に交わることもなく平穏に過ごしていた。医学部は他学部ときりはなされた敷地にあって、他学部の学生たちが積極的活動している場へは30分ほどもかけて旅行しなければならなかったしね。卒業して、韓国人の医者とつきあう機会もできたのだけれど、彼らは温順な人たちで、政治運動に持ち込まれることはなかった。というわけで、老人になるまで、韓国人・朝鮮人の反日運動にまともにさらされた記憶はない。
そうは言うものの、反日運動に触れる機会はある。なるべく避けるようにしてきたし、口論をしかけられたりしないように努めても来たので、はっきりと記憶に残るほどのできごとはない。それでも数回、すこしヤバい画面がないことはなかった。けれども「すこしヤバい」程度のことで、それ以上にクリティカルな話題ではない。こうしてこの世を終わるのだろうと思う。もっとも、風の吹き回ししだいでは、対韓国・朝鮮ガードが主な話題になるという危険性がないこともない。まあ、そうなったら、それはそれでなんとかするんだろうが。