Jalshaのブログ

炎の舞(7)

第四章 邪法1. いっときは平和でございましたが、それからまた戦乱の世になりました。帝にお味方して北条殿を滅ぼした足利殿が帝に背き、さらに足利殿の兄と弟とが内輪もめを始め、わけのわからぬ混乱状態になっ...
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炎の舞(6)

3. そうこうしておりますうちに、帝は隠岐の島を抜け出されました。その噂が都に伝わったころのことでございますから、正慶二年(1333年)の三月の終りか四月の初めのころでございましょう、 人はみな不安に...
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炎の舞(5)

第三章 戦乱1. 同じ年に、帝が鎌倉殿に対して軍を起こされ、京を離れて笠置山に立てこもられたのでございます。文観さまが硫黄島へ流されたのが七月で、帝が笠置山に行幸あそばされたのが翌八月のことでございま...
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炎の舞(4)

4. それから三月ほど後の、元徳三年(1331年)五月の何日かでございます。六波羅の役人どもが、文観さまや、修法のお手伝いをなさっていた天台宗の円観上人、忠円僧正を召し捕りました。その上、鎌倉へ護送し...
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炎の舞(3)

第二部 修法1. 「浄念は文観という僧を知っていますか?」 と永福門院さまに尋ねられて、わたくしは、 「はい、よく存じております、わたくしはむかし文観さまの従者をしておりました」 とお答えいたしました...
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炎の舞(2)

3. 私は十八の年に海に出ました。日本の年号で申しますと永仁三年(1295年)でございますな。蒙古の襲来の後、海の上もすこしおだやかになって、堺の沖に来る唐船が船乗りを募集しておりましたので、それに乗...
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炎の舞(1)

2015年7月~8月4日に書いた記事です。古くなっていますが、それなりに魅力はあるでしょう。この続きが「影の炎」で、このシリーズが終了後に掲載できると思います。第一部 荼吉尼法1. あれは元亨三年(1...
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ヘルペス・ゾスター(3)

病弱(?)な私には主治医が二人いる。一人は大学の脳外科の医師で、3ヶ月に一度くらいしか会わない。もうひとりは近所の巡回医で、大学の医師の紹介だ。今日は巡回医の方の診察日だった。主治医にはいつ会うんだろ...
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香港情勢

香港では毎日のようにデモがおこなわれ、取り締まりはしだいに厳しくなってきている。香港の法律をよく知らないが、外国(日本を含む)が介入することはできないみたいだ。まあ、そうでしょうね。このままで行くと、...
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ヘルペス・ゾスター(2)

「ヘルペス・ゾスター」なる皮膚病にかかったということは報告した。その記事が先週の水曜日で、今日がちょうど一週間目だ。左胸と左背に湿疹ができて、今日もまだ活発だ。まあ、そうは言っても、全盛期よりはマシに...