Jalshaのブログ

短歌と瞑想(2)

仏教の教えを詠った歌を釈教歌という。昨日、京極為兼の釈教歌をひとつとりあげたが、世の中に釈教歌ほど面白くないものはないことになっている。それは私も賛成なのだが、せっかくひとつ紹介したので、調子に乗って...
Jalshaのブログ

短歌と瞑想

短歌の話の続きをする。むかし書いたシリーズをすこし校正したものだ。主題は『玉葉集』と『風雅集』の歌で、実際に書いたのは、この前のシリーズのすこし後の、2016年05月18日からしばらくの間だ。この前と...
Jalshaのブログ

小休止

まだもうちょっと書くことがある気もするが、ここらあたりで小休止をする。短歌や古典の話はしばらくお休み。 先週は、月曜日は訪問介護士さんが来て介護してくださった。火曜日・水曜日は予定がなかった。木曜日は...
Jalshaのブログ

短歌について(7)

昨日の結論、すなわち、「あの時代の人々みんながそこ(日本の「こころ」)に戻って考えていたなら、戦争はまったく違った展開になっていただろう」というのは、わかりにくいかもしれない。満州事変・支那事変から大...
Jalshaのブログ

短歌について(6)

保田與重郎が言う「こころ」と「ことがら」の違いをもう少し考えてみる。開戦の朝の電車に知る知らぬ引き締まりつつ静かなる顔  阿部鳩雨宣戦のビラに痺(しび)れしごとき街今朝の静けさかつて見ざりき  平井乙...
Jalshaのブログ

短歌について(5)

短歌の話をもうすこししよう。保田與重郎が歌人山川京子氏に送った手紙に、次のような一節がある。  それからうたでことがらの説明をして、ことがらを人に理解してもらはうと思ふのは間違つてゐます。ことの説明弁...
Jalshaのブログ

短歌について(4)

昨日引用した本居宣長の文章を、小林秀雄はたぶん誤読している。  歌は「人情風俗ニツレテ、変易スル」が、歌の変易は、人情風俗の変易の写しではあるまい。前者を後者に還元して了(しま)うことはできない。私達...
Jalshaのブログ

短歌について(3)

今日も昨日までと同じように、『野田俊作の補正項』2016年4月29日を引用しながら書く。ただし若干のコメントを付け加えている。 本居宣長が和歌の徳について、次のようなことを書いている。  今は人の心は...
Jalshaのブログ

短歌について(2)

保田與重郎の歌の話を続ける。いま掲載している原稿は、実は「写し」であって、オリジナルは『野田俊作の補正項』2016年4月28日(昨日のは27日)にある。若干の手直しをしてある。 保田は独創性を発揮しよ...
Jalshaのブログ

短歌について

詩人の保田與重郎が『木丹木母集』(もくたんもくぼしゅう)という変わった名前の歌集を出している。彼の歌集はこれひとつしかないので、探せば容易に見つかるだろう。たとえば新学社版がある。  さゝなみの志賀の...