社会的な問題(貧困、差別など)に対しても、「それは個人の課題だ」と片付けてしまって良いのですか?

Category: 課題の分離について

社会問題は、その波及が狭い範囲で完結せず、社会的に大きな広がりがあり、しかもその結末に直面する側と、解決に向けて対処できる側が多くの場合一致しない、といった特徴を持ちます。にも関わらず「それは個人の課題だ」と片付けて、結末に直面している側だけに全てを押し付け、それ以外の人が何も責任を分担しないのは、はたして適切な「課題の分離」といえるのでしょうか。

世の中で一般に言われている「それは個人の課題だ」とは、その課題を解決すべきなのは課題に直面している本人に限られる、といった考え方を指すように思われます。他方アドラー心理学では、課題への責任とは応答責任(Responcibility)のことであって、本来その課題に対処すべきなのは誰なのかを意味します。

別の例ですが、子供が学校の宿題をするかしないかの結末は、主として子ども本人に帰着します。そこで、宿題という課題は子ども自身の課題であり、対応すべきなのは誰よりもその子ども本人だと考えるのです。ただしより大きな視点から考えれば、その子どもを含む、世の子どもたちが充分に勉強するかしないかは、社会の行く末をも大きく左右します。したがって社会には、子どもたちが勉強をする環境を整えることについて、一定の責任があることになります。社会の一員である親も、その例外ではありません。

このように学校の宿題という、とても個人的でシンプルな例をとってみても、その責任が何もかも、たった一人の人間に集約されるわけではありません。ましてや社会問題は、その波及が狭い範囲で完結せず、社会的に大きな広がりがあり、しかもその結末に直面する側と、解決に向けて対処できる側が多くの場合一致しない、といった特徴を持ちます。にも関わらず「それは個人の課題だ」と片付けて、結末に直面している側だけに全てを押し付け、それ以外の人が何も責任を分担しないのは、はたして適切な「課題の分離」といえるのでしょうか。

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