時間が解決するだろう

アドラーギルド社の未来計画がほぼ決まり、新しい事務員さんを雇えそうな雰囲気になってきている。まだ決まり切らない部分もあるので詳しくは書けないが、まあ4月くらいには新しい体制で動き出せそうだ。詳細が決まれば公開していく。これとは別に日本アドラー心理学会の未来図もあるんだけれど、これは私はあまり関与していない。

アドラーギルド社の(「アドラー心理学会の」ではない)方針は、アドラー心理学という新しいアイデアについて、とにかく正確にコンセプトをお伝えし、未来に正しいアドラー心理学を受けついでいけるようにすることだ。アドラーギルド社は私の個人所有みたいなものなので、そこでのアドラー心理学は私の「持ち物」と言ってもそう言いすぎではない.

これにたいして、日本アドラー心理学会は私の持ち物ではなくて、勝手に口は出せない。そこでは、アドラー心理学を私より広義に理解している人もおられるし、狭義に理解している人もおられる。しかし、私が思うには、広すぎてもアドラー心理学ではないし、狭すぎてもアドラー心理学ではなくて、その真ん中あたりに「正解」がある。このあたりをうるさく言うのはアドラーギルド社の方であって、学会の方はそこまでうるさく考えない。

アドラーギルド的には、ある範囲以上でかつある範囲以下のアドラー心理学が定まる。これは世間全般にそうであるわけではない。しかし、すくなくとも、アドラーギルド社が懇意につきあっている団体の間では共有されている範囲がある。つまり、外国へ行って、さまざまのアドレリアンたちと会うと、われわれに同意する人もいるし、同意しない人もいる。アドラーの死後100年になろうとしているいま、概念が拡散していくのはしょうがない。その中で、ある範囲を定めて、その中でわれわれは安定して生きている。反対する人はもちろんいて、たとえば日本アドラー心理学会に参加して研究活動を発表されたりする。まあ、それはそれでよろしい。長い時間のあとで、どちらが生き残るかが決まるのだろう。

ともあれ、われわれはある範囲のアドラー心理学を古典的アドラー心理学だと思い定めていて、そこからはみ出す人々に悔い改めて「正統」に復帰するように呼びかけている。もっともそんな大声で言っているわけではないので、世間的にそんなに知られているわけでもないけどね。まあ、すべては時間と根気が解決するだろう。