ドライカースの4つの目標

 アドラー心理学を学んでいるのは、世界を因果性から理解したいからだ。こんな風に言われてもびっくりしない人は、アドラー心理学が身についてきている。初心者はものごとをそんな風に考えない。たとえば子供が勉強しないと、それが子供が自分の人生を作りだす上で「必要なこと」として考え出されたとは思わない。じゃあどう思うかだが、多くの親は、「子供はそのことについてなにも考えていない」と思う。だから「なぜ勉強したくないの」と聞いてみようとも思わない。仮に聞いても、子供の答えに満足するわけでもない。まあ、子供の答えのなかにほんとうの理由があるとはかぎらないのだが。

 アドラー心理学を長らくやっていると、子供の行動がなんであれ、それにはちゃんとした理由があると考える。逆に言うと、人間はまったく理由のないことはしないものだ。ある行動をするということは、その行動が(一見)合理的であれ、あるいは不合理であれ、理由があるはずだ。その理由とは、無意識的な目標を達成することだ。だから、その理由を尋ね求めることができれば、子供と話し合う土壌ができて、問題を合理的に解決できるようになる。つまり、アドラー心理学は、自分の「一見不適切な」行動について、「ほんとうの理由」を見つけ出し、その上でその理由を取り除くために行動するのかどうかを決めるようにわれわれを勇気づける。

 もっとも、勇気づけられたからといって、人間はそのとおりに行動するとはかぎらない。長い期間にわたって間違った行動を選択し、それで結果を手に入れているかもしれないからだ。たとえば「こんなズボンはいやだ」と言って、それに対して親が出してくるあらゆる代替案を拒否しているかもしれない。そういう場合に、「かわりのズボンを見つけること」のなかに答えがあると考える必要はないと、アドラー心理学は教える。じゃあ、どこに答えはあるのか。それは探してみないとわからない。探してみるときのコツは、「子どもが言うことのなかにも答えはないし、私が考えつくなかにも答えはない」と考えてみるだけの「ゆとり」を持つことだ。親子が話し合って答えに到達できないときは、そういうところを探してみる価値がある。

 「子どもが言うことのなかにも答えはないし、私が考えつくなかにも答えはない」ということを認識すると、親は絶望してしまうことがある。しかし、普通は絶望するほど「深い」ところに答えがあるわけではない。親や子供が話し合って簡単に到達できる場所にはないけれど、他の親子だと簡単に到達できるところにあるのかもしれない。人間にはそんなに無数の選択肢はないので、いままでの選択肢から目を離して考えてみると、意外と簡単に見つかるかもしれない。実際、アドラー心理学の育児相談で答えになるのは、そういうたぐいの選択肢であることが多い。

 それを具体的に記述したのがドライカースで、彼は1)注目関心を引く、2)権力争いに勝つ、3)復讐心をとげる、4)自分の無能力を誇示する、の4つの段階を提案した。これだけでいいのかどうか、ずいぶん長い間の論争があったが、結局この4つで実際的な場合はほとんど解決できることがわかって、今でも実用的に使われている。詳しくは教科書を読んでください。ともあれ、ここがわかっていると、アドラー心理学の育児の根幹部分がわかったことになる。