耐用年数

 この世に生まれて数十年はのんびりと暮らしていた。1990年ごろになって「なんだかあわただしい」と思うようになった。1948年の生まれだから、30歳代の後半か40歳代の前半かな。それから「あわただしさ」は年ごとにひどくなり、最近はさっぱり見当がつかない。なにがこんなにあわただしいのかというと、世の中が私よりもずっと速い速度で変るのがあわただしい。

 変革は微細なところで起こる。たとえば、4Gだの5Gだのといった無線通信規格があって、いまやそれを使わないと情報通信ができないんだという。ふうん、そうなんだと感心してみているけれど、世間は私をとりのこして先へ進んでいく。もっとも、とりのこされているのは私だけではなくて、理系おじさんの大部分がとりのこされているのではないかと思う。どうなるんだろうね。

 世間は煮えたぎるような速度で進んでいる。理系おじさんは、ある年齢になると、最近の進歩についてゆけなくなる。大企業の深部におればそれで何も困らないんだろうけれど、表層部のことはなにもわからない。わからないままに世間は変ってゆく。まあそう言っているうちに人間の側の「耐用年数」がつきて、無事にあの世に行くんだろうけれど。