私が教育を受けたのは1980年代の前半期で、シカゴは古風なアドラー心理学が満開だった。私が帰ってから新しいアドラー心理学が咲き始めて、2000年ごろに主流派になった。しかし、私はあれこれ考えてみて、新しい考え方は採用しないことにした。つまり1980年代の解釈を正統と考えることにした。
時代は流れて、今日では「新流派」でないと「古い」ことになってしまった。ふうん、そうなのかねえ。私は1980年代のアドラー心理学でやっていてすこしも困らないし、2000年以後の新しいやり方が必要だとも思わない。いやむしろ、2000年代以後の「新しい」やり方は、実はある種の「言い逃れ」であって、本当にアドラー心理学的にかまえるなら、そういう考え方をすることでかえって物語の本質を見逃すと思っている。
とは言え、私のような考え方を前面に押し出して論争すると、人々を沈黙させてしまうだろう。だから黙っておいた方が良い。ときどきこうして「もらす」くらいのことはするかもしれないが、全面キャンペーンをする気はない。もう疲れたしね。(なぜ2000年以後の考え方が「言い逃れ」だと思うかについては、話が長くなるので省略させてください。またいつか縁があればね)。