『野田俊作の補正項』2014年3月13日の記事を引用する。
掟をともにしているのが部族だ。血縁がつながっていても掟が違えば違う部族だし、血縁がつながっていなくても掟が同じなら同じ部族だ。ユダヤ人のことを考えるとわかる。旧約聖書に書かれた掟(律法)を守っておればユダヤ人だし、守っていなければユダヤ人ではない。血縁がつながっているかどうかとか、どういう言語を話すかとか、肌がどんな色かとかは、関係がない。だから、私だってユダヤ教に改宗すればユダヤ人になれる。
考えてみると、日本人も基本的には同じことだ。だから、何が日本の掟かをしっかり認識することが、この話には決定的に重要になる。『日本書紀』に、「豊葦原千五百秋之瑞穂国(とよあしはらちいほあきのみずほのくに)は、私の子孫が王であるべき土地です。あなた皇孫(すめみま)よ、行って治めなさい。さあ、お行きなさい。私の子孫が栄えることは、悠久の天地と同じように窮まりがないでしょう」と書いてあって、これが掟の第一条だ。すべてはここから始まる。
こんなことを言うと、「そんなもの神話にすぎない」と言う人が出てくる。そうですよ、神話です。だって掟なんだもん。掟のもっとも根本部分は神々に由来するものでなければならない。そんなの、当たり前でしょう。もし核心部分が理性で決められたものなら、それは掟ではない。理性には掟を決める力はない。神道だけでなく、仏教もキリスト教もイスラム教も、この点は認めている。
もっとも、この掟を認めるなら、その上で社会契約論的に、国民が理性でもって話し合って法律を作り国を運営しても、一向にかまわない。しかし、この掟を否認して、もっとも根本的な部分をも社会契約論でもって決めようというのは、掟破りだ。終戦のときに問題になったのは、まさにこのことだ。この掟さえ守れるなら、それ以外はどのようになっても、さしあたってはかまわない。
大日本帝国憲法は確実に掟の延長線上にあったが、日本国憲法に移行するときに掟が保たれたのか保たれなかったのは、微妙な問題だ。しかし、現在の日本社会に掟が保たれていないのは確かだし、その口実に当用憲法が使われているのも確かだ。解釈によっては、当用憲法のままでも掟を保てないことはないと思うが、そこまでして当用憲法にこだわることもないだろう。私は憲法改正論者だが、それは第9条のためではない。むしろ、日本国憲法の三大原則、すなわち国民主権・人権思想・平和主義、のすべてに反対している。極端な少数派だと思うが、それはみんなが掟を忘れたからだ。
天照大神の神勅は、『十七条憲法』においては、次のように表現されている。
第3条。詔が出されれば必ず謹んでいただくように。天皇はすなわち天であり、臣民はすなわち地である。天は地を覆い、地は天を載せていて、その相互作用で春夏秋冬の季節がめぐり、天地の気が通いあうものだ。地が天を覆おうとするなら、秩序が破壊されてしまうことになる。そうであるから、天皇がおっしゃるなら臣民はうけたまわり、上が行なえば下は従うべきだ。ゆえに、詔が出されれば必ず謹んでいただくようにというのである。そうでなければかならず社会はおのずと破壊されてしまうであろう。
こういう条文を読むと、天皇は独裁君主のように見えるかもしれないが、実際にはそうではない。大日本帝国憲法に次のような条文がある。
第8条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
つまり、国会が開かれていないときに緊急事態が起これば天皇が勅令を出すことができるが、その勅令は次の国会で承認されなければ失効する。ということは、国会は「承詔必謹」ではないわけで、「陛下、これはダメですよ」と言うことができるということだ。
明治以後の国家経営で「承詔必謹」が問題になったのは2回だけで、二・二六事件の時と終戦の時だ。いずれも政府機能が麻痺状態に陥っていた。政府機能が麻痺してしまったときに、最後に頼れるのが陛下のご決断だということだ。つまり、天皇は、究極のセキュリティ・システムなのだ。平時には、民主主義でわいわいやっていていい。西村慎吾氏から共産党までいて、みんなで言いたい放題を言っているのがいい。問題は緊急時だ。それでも政府が機能しているなら、天皇の出番はない。たとえば日米開戦に関しては、天皇は賛成ではなかったが、政府が開戦に決めたら、天皇はそれに従われたし、たとえ従わないと言われても、法的に政府の決定に反対する権限はなかった。だから、政府が機能している限り「承詔必謹」は問題にならない。ただ、政府が動けなくなったときにのみ、大酋長は決断をくだす。それが掟だ。
長い話になるかもしれないので、続きは明日以後に。