何がきっかけか忘れましたが、子育ての悩み解消のために野田俊作先生の著書の1つを読む機会があり、子どもとの接し方について大きく考え方を揺さぶられたことがありました。それを妻に話して、いろいろ周辺知識や情報を見ているうちに、近くでパセージが開催されることを知り、これも縁だと思って申込をしました。
その当時は妻が大病を患って手術後であり、この先子育ては私が中心にやっていくことを覚悟していたため、何でも子育てに役立ちそうなものを積極的に身につけようと意欲はありました。しかし本当は気が進みませんでした。おそらく参加者は女性ばかりだろうなと思い、想像すると明らかに居心地が悪そうで、そして参加したら予想通りでした。。。。
他の参加者が悪いのではなく、私一人で居心地悪いと思っていたのですが、学ぶ内容に頭をとられると、余計なことを考えることは少なくなります。その一方で、テキストの音読が終わって、それぞれの意見を話す段階になると、参加者の女性の方々とは根本的に考え方が違うことがわかり、また居心地が悪くなります。考え方の違いの原因はわかっていて、私は昭和49年生まれの男性で長男なのですが、父も祖父も昔ながらの夫唱婦随。見て育ったテレビや漫画の中では「厳父にあらずんば父にあらず」のような世界があたり前として世の中を見てました。パセージで言う「縦の関係」が当然として育ったのです。だからどんなに子供のことを愛していようが、接し方が縦の関係ベースなので、全て命令口調で、従わなければ従うように声を荒げる、または罰を与えるということをしていました。パセージで書いてある悪い例そのままです。それでも会を盛り上げる(私が居ることで盛り下がっては申し訳ないので)ために積極的に発言しましたが、母親として苦労されてきた他の参加者の中では内心恥ずかしいことばかりでした。
縦の関係に基づくやり方でいけば、言う事を聞かせられるかもしれないが、子育ての大事な目標2つ(自立する・社会と調和して暮らせる)を達成することはできないとパセージで学び、その通りだと思いました。一般化するつもりはないですが、私自身の周囲の男性をみるに、私や私の親世代の多くはこのパターンで子供に2つの信念(私は能力がある・人々は私の仲間だ)を身に着けさせることに失敗していながら、失敗に気づいていないと思います。自分の威厳や立場の確認や維持が目的化しているように見えます。それが子供の成長に資するならよいのですが。。。
そして冒頭書いたように女性ばかりの会に参加することに気が進まないという父親は、おそらく男親と女親の役割が大きく異なる、ひどければ子育ての中心は母親であるという考えがあるのでしょう。そのような人ほどパセージが必要でしょうが、自分には無縁と思うでしょう。私も妻の病気がなければ参加せずに失敗を失敗と認識せずに年をとっていくところでした。
パセージを終えた後で自分自身に2つの信念があるのかないのかと自問すると、残念ながらどちらもありません。おそらく私の父も祖父も強がって偉そうにしてはいましたが、同様でしょう。しかし私はパセージで学び、子どもにその2つの信念が備わる手助けをすることが、親としてやるべきことだとわかったので、身につけさせてあげたいと思っています。自分にないものを子供に持たせることができるか、パセージにもありましたが、この挑戦は親の成長がなければできないことでしょう。
頭で理解しても、染みついた縦の関係ベースの魂はなかなか横になってくれず、子どもに対して何かを言っては後悔する毎日です。しかし、以前は後悔がなかったので、その点では成長する可能性はあるのではと思っています。勇気をだしてパセージに参加して、いろいろ発言して、恥ずかしいながらもロールプレイをして本当によかったと思っています。
そしてこの文章を書くことで、忙しい日々の中で忘れかけてたことを思い出すことができました。書くことも大事だと気づかされました。このような機会を与えていただき、ありがとうございました。
岡山県S
