他者の期待に応えること自体は否定しません。ただし、全ての人に常に好かれることは不可能なのですから、他者の期待を「何もかも」満たそうとしたり、他者の期待を満たすため「だけ」に生きようとすることは、不健康な生き方だと考えます。
ご質問は、アドラー心理学では他者の期待に一切応えてはいけない、としているように聞いたが、それはおかしいのではないか、というご指摘でしょうか。結論から申しますと、たしかにアドラー心理学では、人が他者の期待を「何もかも」満たそうとしたり、他者の期待を満たすため「だけ」に生きようとすることは、とても不健康な生き方だと考えています。しかし、他者の期待に応えること、それ自体を否定しているわけではありません。
かつて野田俊作は、ある講演会の質疑応答で「私は付き合う相手の期待を満たすために生まれてきたのではないのに、相手は私に自分の希望や要求を満たすような行動を期待し、それに沿わないと不機嫌になります。上手く立ち回るにはどうしたらいいでしょうか」と聞かれた際に、次のように答えています。
「世の中の人は皆そうですから、それは仕方がありません。私は、人の期待を満たさないことにしております。ということは、嫌われる覚悟をしているということです。10人の人と付き合うと、2人は私が何をしても好きでいてくれ、1人は私がどんなことをしても絶対に憎み続ける、そして残りの7人はその時々で態度を変える、と思っています。
ですから、絶対に孤独にはなりません。確実に仲間になってくれる人がいる、ということさえ信じられれば、人に嫌われることは平気です。大事なことは、その信じられる仲間を作ることです。そこができないと、周りの評価にふらふらと左右されてしまいます。
どうやってその一番近い環境を作るかというと、今日お話ししたように、協力的な関係を築こうとすることです。それはおそらく、家族やごく近い親友といった人々でしょう。そこを中心にして考えていけば、残りの人たちが自分のことを好きになったり嫌いになったりするのは、そんなものだと受け入れられます。みんなに好かれて暮らすことなど、絶対に不可能なのですから」。
これは野田がよく話していたことでもあります。中には、この話の冒頭だけを聞いて、他者には嫌われなくてはいけない、他者の期待には一切応えてはならない、と勘違いした方がおられるかもしれません。しかし野田は、人の期待を「満たさない」と言っており、「応えない」とは言っていないのです。つまり話の主旨は、人々の期待を何もかも満たして『みんなに好かれて暮らすことなど絶対に不可能だが、家族やごく近い親友など、確実に仲間になってくれる人がいるということさえ信じられれば、残りの人たちが自分のことを好きになったり嫌いになったりするのは、そんなものだと受け入れられる、その信じられる仲間を作るためには、協力的な関係を築こうとすることが大事です』といったところにあります。そして、そうした仲間たちとともに社会生活を送っていく上では、おっしゃるとおり他者の期待に応える局面は多々あることと思います。
