自然の結末、社会的結末、論理的結末とはそれぞれ何ですか? どう違うのですか?

Category: カウンセリングと応用

こみ入った話ですので、ご説明が長くなります。

これらはそれぞれ、育児における主要なアドラー心理学技法です。基本的なアイデアはドライカースによるもので、このうち社会的結末は日本だけで教えられており、論理的結末は主に米国で教えられています。自然の結末はどちらの国でも教えていますが、意味合いには明確な相違があります。心理学技法というものは実践的なものなので、こうした相違は、各国の文化的な特性に対応するために生じたものです。そのため、日本での教え方は米国の人々には向かないでしょうし、米国での教え方は日本人には向きません。この点を間違えると、実際の育児や対人関係に深刻なトラブルを招くおそれがあり、注意が必要です。

ここでいうドライカースのアイデアとは、子どもは、自分の行為によって自然と起こる結末を自ら体験することで、学び、成長できる、だから過干渉な育児は避けるべきだが、子どもの行為の中には、取り返しがつかなかったり他者に危害が及ぶような結末を招くものもある。そうした可能性は、親が介入し回避しなければならないが、しかしそれだけでは、子どもは重大な物事について何も学ばないままになってしまう。そこで自然な結末のかわりとして、子どもの行為が原因となって起こるはずの出来事のなかで、危険がなく、子どもにとって教訓的な結末を親が「演出」し、それを子どもに体験させる、これをドライカースは「論理的結末」と呼び、技法として提案しました。つまり「論理的」というのは、子どもの行為と本人が体験する結末との間に、原因とその結果という論理的な関係がある、ということです。ここでなぜ論理的でなければならないかというと、行為と論理的に結びつかない結末を子どもに課すことは、単なる「罰」に過ぎず、子どもはそこから、どのように行為すればどのような結果に至るのかといった物事の道理を学ぶことができないからです。

一方、日本における技法ですが、子どもにはできるだけ行為の結末を経験させるべきであり、「罰」を与える育児はしない、選択的できない可能性は親が介入して回避させる、という基本方針は全く変わりません。しかしながら、選択できない可能性の代わりに論理的結末を親が「演出」し、平然とポーカーフェイスで子どもに経験させる、というアプローチは、はたして日本で可能でしょうか。日本人は親も子どもも、欧米人ほど論理的ではありません。欧米のように、情よりも論理に価値を認める文化ではありませんし、私たちが思考とコミュニケーションに用いる日本語それ自体が、英語ほど明確な論理的構造を持っておりません。また少なからぬお母さんお父さんは、そこまで演技上手とはいえないでしょう。

そのため野田俊作は、アドラー心理学による育児を日本に導入するなかで、親の介入でいきなり論理的結末を体験させるかわりに、子どもが不適切な行為を行った場合には、その行為についてまず子どもの意見をよく聞いて、そこでよく話し合いながら、子どもに実行可能で、しかも世の中のルールに適った適切な行為が何であるかを一緒に考えて、それを親子で約束する。約束を守らなかった場合には、そうしたときに世の中で当然とされている結末をペナルティとして体験してもらい、それにより社会のルールを学んでもらう。このように、日本人に分かりやすく、行いやすく、納得しやすい手続きを考案しました。この技法を「社会的結末」と呼びます。論理よりも、どちらかといえば社会常識の線に沿ったアプローチであり、また、親子がともに話し合って、どういったことが社会的に適切なのかを模索し学んでいく点で、非常に教育的効果の高い技法ともいえます。

ちなみに日本では、子どもが社会のルールを体験した場合には、子どもが自然に体験した場合でも、親が介入した場合でも、そのどちらも「社会的結末」を体験したと捉えます。そして、「社会的結末」以外の結末すべてについては、「自然の結末」と呼びます。一方、米国では、「論理的結末」以外の「結末」すべてを「自然の結末」と呼んでいます。つまり日本と欧米では、「自然の結末」という言葉の意味合いにはズレがあります。しかしどちらにしても、賞罰とは決定的に異なる、子どもが自ら学び、成長へと結びついていく技法であるという点に、変わりはありません

なお、冒頭でも触れましたが、これらの技法を我流で誤って用いたりすると、自分にはそのつもりがなくとも、ハラスメントやDV、あるいは病的な育児となってしまうことがあります。なんでもいいから子どもに選択させればいい、あるいは、なんでもいいから子どもと話をすればいい、というわけではありません。子どもの行為によって生じる結末だと言いながら、全然関係のない「罰」を子どもに選ばせていたり、話し合いだと言いながら、ひたすら一方的に説教をするだけであったりなど、言っていることとやっていることが真逆のような「育児」になってしまうと、子どもは矛盾の中で深刻な板挟みになり、大変に苦しみます。AIJではそのような悲劇に陥いることのないように、「論理的結末」はカウンセラー養成など専門的な教育過程だけで扱うこととし、一般の方には、理解しやすくリスクも比較的低い「自然の結末」と「社会的結末」を練習も交えて丁寧に学んでいただきます。