ひさしぶりに『日本国紀』を読んでいた。昨年11月に買って以来何度も読んでいる。といっても、全編を読むことはもうなくなって、いつも鎌倉時代の中半から室町時代の中半までを読む。武家政権が成立してゆく過程だ。武家政権が最終的に成立するのは江戸時代に入ってからで、それまでにさまざまの試行錯誤がある。その試行錯誤が本格的にはじまるのが応仁の乱(1468年)からだと思う。試行錯誤がはじまってしまうと、日本全体の通史ということは語りにくくなるので、私としてはそれ以前の歴史に関心がある。始まりはどこかというと、ちょっと恣意的だが、元寇が話題になるころかな。文永5年(1268年)のことだ。その混乱がきわまって、やがて応仁の乱になる。この間の200年ほどの歴史を繰り返し読んでいる。それはなにもこの本を手に入れてからのことではなくて、思春期以来の一貫した傾向性だ。
鎌倉時代が本格的に動きはじめるのは元寇の話がはっきりしてからではないかと私は思っているし、『日本国紀』の著者の百田尚樹氏もそう感じているように思う。それまでは、国内の政治の話は国内の政治の話であって、大陸とは関係がなかった。元寇の話が噂で出はじめ、やがて現実化してくると、それと真剣に取り組まなければならなくなった。結局2回の侵略があって、1回目はまあなんとかしのげたが、2回目はとてもそれどころではなかった。元寇はなんとか撃退したものの、国力が衰えてしまって、やがて鎌倉幕府は滅亡する。
それからあれやこれやがあって、室町幕府が成立し、なんとかそれなりにやっていくのだけれど、最終的に統一が保てなくなり、国はバラバラに分解していく。形となって現れたのが応仁の乱で、そのあたりで私の関心はなくなってしまう。年号でいうと、文永11年(1274年)に大艦隊が来襲した(文永の役)。その戦いは日本軍が勝った。しかしモンゴルはあきらめず、弘安2年(1279年)にさらに大船団を送り込む。この戦いも最終的に日本軍が勝つ。けれども戦勝の利益はあまりなくて、武士(御家人)たちは失望してしまう。そうして後醍醐天皇を引き金にして、足利幕府の時代へと変遷する。それから長い内戦時代があって、やがて足利将軍家3代の義満の時代(元中9年(1392年))にいちおう再統一する。一時小康状態になるが、やがて足利義政が将軍の時代に国が乱れはじめ、応仁の乱がはじまる。
なんとなく見逃していることがいっぱいありそうに思う。私が一番気にしているのは、たとえば毎日の食事のことだ。いったいどうしていたんだろうねえ。戦国時代末期になると、軍陣での食事の記載が残っていたりするみたいで、ある程度想像ができるんだが、中期以前はどうだったんだろうねえ。大学にでもいて時間があれば、そういう研究をしてみてもいいんだけれど。