昨日はバッハの受難曲の話をした。すこしずつ聞いていて、まだ聞き終わっていない。最後まで聞き終わったらそれで終りかというと、そうでもなくて、ちょっと休憩してからまた最初から聞き直すんじゃないかな。そうして何度か聞いた後に満足する。そうしてしばらく放置する。そのうちまた気が向いて、最初から聞き直す。
これは音楽だけでなくて、本だってそうだ。いま百田尚樹『日本国紀』(幻冬社)の何度目かを読んでいる。頭がボケてきているのか、何度読んでも細部を忘れてしまう。昔からそうなので、細かい部分までは覚えていなかったのかもしれない。ともあれ、何度も読んで「ああ、そうだったのか」と思い出す。そうして読み終わると、しばらく置いておいて、また最初から読み直す。
本であれ音楽であれ、巨大な作品はそのようにして何度も時間をかけて克服する。若いころからこういう傾向はあったが、60歳を超えたころから、忘れ具合もひどくなったし、聞き直しや読み直し具合もひどくなった。まあ、こんなものなんだろう。
こんな風にしていろんな作品を鑑賞するので、いつでも忙しい。忙しいわりには賢くならない。年をとったから進歩しないということかもしれない。なにはともあれ作品の数は増えない。『日本国紀』は最近出版されたばかりだから大きなことは言えないが、『マタイ受難曲』はもう50年以上のつきあいになるのに、新鮮に聞いている。部分部分はすべて覚えているのに、新鮮に聞き直せる。面白いねえ。