絵空事

 今夜も私が食事当番で、アイデアがあったのだけれど、妻が「今日の昼は先日作ったキーマカレーの残りをいただきます」と言う。おお、それはいけない。私がひそかに計画していたのはハンバーグ・ステーキで、かなり似た味付けだ。そこで献立を大変更することにした。あれこれ考えたが、鶏の手羽先を南アジア風に煮付けたものにした。

 夕食をいただくと一日のスケジュールが終わった気がする。そこで、ぼんやりとインターネット化された音楽番組を見たり、オペラを見たりして時間をすごす。といっても、そんなに多種類の音楽番組やオペラ番組があるわけではないので、同じ番組を何度も見ている。これはいささか非能率な時間の使い方で、もうちょっと違うことに使った方がいいと思っているのだが、「じゃあそれってなんなんだ?」と聞かれると、あまり思いつかない。たかだか思いつくのは歴史関係の図書だが、これも読み飽きてきた。本はいくらでもあるんだけれど、私の気に入る本となると、そういくらでもあるわけではない。なにかないかなあ。いっそ古文かな。それはたしかにひとつの方向性だ。

 お昼間は、ニュースを見たり、討論番組を見たりして、それなりに有意義な時間をすごせている気がしている。もっとも、これも詳しく点検すると、同じような論調の論者を順においかけているだけで、進歩がないと言われればたしかにない。そこから一歩出ると面白いアイデアもあるかもしれない。たとえば沖縄が滅びた後どうなるかとか、逆に沖縄が中国や韓国の勢力を追いかえした後どうなるかとかを考えてみるというようなことだ。あるいはアメリカが北朝鮮を降参させたらどうなるかとか、逆に北朝鮮がアメリカを降参させたらどうなるかと考えてみるようなことだ。もっとも、こういう問題への答えは、さまざまの可能性があって、現時点ではとりとめがない。つまり、いまの時点では、どのみち「絵空事」だとわかりきっている。

 とまあいうようなわけで、いまのところは「絵空事」には入り込まずに、かといって「非絵空事」の世界にも馴染めずに、ぼんやりと日をすごしている。