アドラー心理学についてよく見られるご質問と、それぞれへの私たちの見解をQ&A形式で簡単にまとめました。皆さまの率直な疑問にお答えするため、アドラー心理学に批判的なご質問や、誤解に基づくと思われるご質問も、あえてそのまま掲載しています。内容はさらに網羅的に充実させたいと考えております。
なお、各項目についてより踏み込んだ回答をお求めの場合、あるいはより分かりやすい説明をご希望の場合は、よろしければ『AIJアドラー心理学基礎講座』の受講をご検討ください。
自己決定性・ライフスタイルについて
いいえ、影響は大きいと認められます。ただし、それらが人生を決定づけるのではなく、個人がそれらの条件(材料)にどのような「意味づけ」を行い、どう「用いるか」によってライフスタイルは形成されると考えます。
影響しないと教えている本があるのでしたら、それは間違いです。生まれ持った気質、才能、家庭環境などの初期条件は、ライフスタイルの形成に大いに影響します。アドラー心理学では、子どものライフスタイル形成に影響を与える因子は、大きく分けて遺伝と環境のふたつであると考えます。子どもが持って生まれた気質であれ才能であれ障害(「器官劣等性」と呼びます)であれ、子どもを取り巻く家族構成(「家族布置」と呼びます)であれ、ライフスタイルに与える影響はとても大きいのです。
しかし、それらはあくまでも、その子どものライフスタイル形成に影響を与える「影響因」に過ぎません。個人が、それら諸条件にどのような「意味づけ」を行い、それらをどのように「用いるか」によって、子どものライフスタイルは決まっていくのだとアドラー心理学では考えます。すなわち、ライフスタイル形成における「決定因」は、「個人の主体性」なのです。
いいえ、疾患や障害そのものは基本的に生物学的要因によるもので、環境要因、社会的要因も関与します。それらを本人が選んだなどと解釈することはありません。それらの困難に対してはまず医療的対応を優先した上で、アドラー心理学は、その人が困難な状況でも可能なことを生かしてどう生きていくかという点にこそ関わります。
精神疾患や発達障害そのものを、人が自ら「選んだ」というふうには解釈しません。それらの疾患や障害は、基本的に遺伝を含む生物学的要因によるものです。したがって、精神疾患や発達障害の疑いがあるときは、カウンセリングや心理療法などの心理学的対応よりも前に、医療機関での精神科医による診断や治療が優先されます。アドラー心理学が関わるのは、その人がそれらによる症状とどうつきあい、その人の能力をどう生かし、他の人々とともにどのように生きていくのか、という点です。なお、カウンセリングによって、その人と周囲とのコミュニケーションが改善された場合は、そのことが間接的に、疾患や障害による症状の改善に役立つこともあります。
アドラー自身も、生まれつき難病である「くる病(骨軟化症)」を患い、4歳まで歩けないなどの困難を抱えて育ちました。にもかかわらず、アドラーはその困難を乗り越えて自ら医師となり、さらにアドラー心理学を提唱して人類に貢献しました。彼と同じ努力をすれば彼のようになれるとは考えませんが、しかし、人間のもつ豊かな可能性を、他ならぬアドラー自身が示してみせている、とはいえるように思います。
いいえ、そもそもアドラー心理学は、勇気だけで何もかも解決するとは考えておりません。また構造的不平等の解決は個人の気持ちの持ちようの問題ではなく、社会における多くの人々の様々な実際の貢献によってこそ可能となるものです。
社会構造上の問題に限らず、アドラー心理学は、個人の勇気だけで物事すべてが解決するとは考えていません。「勇気づけ」という言葉が有名となったためか、アドラー心理学では「勇気」さえあれば何もかも解決できると信じている、あるいは現実がどうであれ「勇気づけ」で心の持ちようさえ変わればそれでいいと思っている、といった誤解が生じているようですが、それは誤りです。
そもそもアドラー心理学では「勇気」という言葉を、きわめて独特の意味合いで使っています。世の中で少なからず「勇気がある」といわれている行為であっても、その行為が社会(共同体)にとって破壊的ならば、私たちはそれを「勇気」と呼びません。アドラー心理学では、人が共同体に所属して、そこでお互いに貢献しながら、共同体のために自分の出来ることをしようとすること、そうした姿勢全般について「勇気」という言葉を用いており、そのような姿勢を促すことを「勇気づけ」と呼んでいます。
ここでいう貢献とは、共同体に有益な行為全般を指し、したがって、誠実さ、謙虚さ、公正さ、聡明さ、慎重さ、正義、熟慮、慈愛などに基づく、さまざまな有徳な行為が含まれています。共同体の維持存続には、倫理的・道徳的ともいえるそれらの行為が不可欠なのです。
社会に構造的な不平等が生じた場合には、多くの人々が、持てる力を尽くして解決にあたらねばなりません。アドラー自身が、その生涯において第一次世界大戦とロシア革命による悲劇を体験したことから、育児と教育によって人間の徳性を育成し、搾取のない平等な社会を実現しようとしました。しかしながら、アドラーの活動した時代から100年経った今日もなお、世界には同様の悲劇が繰り返されています。つまり私たちひとりひとりが「勇気」を持つことは、解決に向けてのそのスタート地点のひとつではあっても、解決方法のすべてではないのです。
いいえ、ライフスタイルの全体的な変容は容易ではなく、大きな勇気と努力が必要です。「いつでも変われる」とはそのプロセスの容易さではなく、いつからでも開始できるという可能性を示すものです。
アドラー心理学は、むしろ、ライフスタイルの変容は容易ではないと説いています。個人が長年繰り返していた考え方や行動のパターンから、別の考え方や行動のパターンへと移行するためには、大きな勇気と努力が必要です。またカウンセリングだけでなく、心理療法などの適切な援助が必要になることが少なくありません。「いつでも変われる」とは、いつからでも変わることができるという可能性を示すものであって、そのプロセスが容易であるという意味ではありません。
ただし、人生で直面する問題の多くは、その課題に対する目標や対処方法を見直すことで解決できる場合が少なくありません。また、そのようなささやかな変化の積み重ねによって、長年染み付いた性格や習慣が変わっていく可能性もあります。野田俊作の開発した「エピソード分析」は、日常のごく小さな出来事から、自分の無意識的な目標や行動パターンを知ることのできる技術です。性格や習慣を一気に変えることはできませんが、まずは、普段のほんの小さなところから始めてみることをお奨めします。
フロイト的な「無意識」は主張しませんが、自覚されていない行動の目的やパターンなど、個人に意識されにくい側面があることを認めます。衝動は器質的要因でないかぎり、ライフスタイルと関連づけて理解しようとします。
アドラー心理学は、フロイト的な人間行動の原因としての「無意識」を問題にしませんし、意識と無意識を截然と分けることもしません。ですが、行動の背景には「無意識的な」目標追求や私的論理(private logic)があるだろうと考えています。
アドラー心理学で考える無意識とは、たとえば、何人かが踊っている暗い舞台のようなものだと説明されます。意識はスポットライトであり、ある踊り手にスポットライトが当たると、そこが意識化されます。スポットライトを移動して他の踊り手を意識化することは出来ますが、舞台全体をいちどに見ることはできません。中には見えない部分があります。それが無意識です。無意識の領域はありますが、意識との間に葛藤はなく、全体として、個人がひとつの踊りを踊っていると考えます。
衝動についても、アドラー心理学では、器質的な事情(内因性の精神疾患や、重度の強迫行為、解離症状など本人の意思・目的とは言い難い症状、発達障害の特性によって生じる困難、投薬の影響など)によるものでないかぎり、基本前提に基づいてその無意識的な目標を考えます。
Staff List
企画・編集:川尻信一(AIJ事務局長)
執筆:大竹優子・中井亜由美・久保田由紀子・野田文子(以上4名AIJ心理療法士)
監修:大竹優子(アドラー心理学指導者)
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