勢いに乗って「ターラー成就法」の後半を紹介する。前半は長いマントラ
OM TĀRE TUTTĀRE TŪRE MAMA ĀYUJNĀNA PUNYE PUSTIM KŪRŪ SVĀHĀ|
で終り、短い偈文でいったん休憩になる。しばらくして(その日かもしれないし、別の日かもしれない)再開する。今日すべてを紹介してもいいんだけれど、ちょっと長すぎる気もするので、後半部を二つに分けて、今日はその前半部、明日に後半部を紹介することにする。
【マンダラを観想する】
前にマンダラ円満荘厳土|見るに優しき優曇華の上に|
仏母は相好具えて輝きて|一面七眼右手は施願の印|
左は睡蓮(ウツパラ)絹と珠まとい|頭上の弥陀は三処に OM ĀH HŪM|
胸の TĀM から光が密厳へ|相同尊呼び不二に融け入りぬ|
いったんすべての画像は消えていたが、瞑想を再開するにあたって「マンダラ円満荘厳土」というものをイメージする。優曇華の花が咲いていて、その上に仏母がおられる。一面で七眼(両目と額と右手と左手と右足と左脚)が開き、右手は「施願の印」を結んでおられ、左手は睡蓮が絹と珠をまとってもたれている。頭上には阿弥陀仏がおられて OM AH HUM の3つの印が書かれている。TARA菩薩ご自身の胸には TAM 字があって、そこから光が密厳浄土へ指している。そうして相同尊を呼ばれ、ひとつに融け入ってしまう。
【諸仏諸菩薩を迎える】
OM|仏母と諸仏諸菩薩を|無別の信で迎えれば|
大慈と悲心で想いませ|
OM ĀRYA TĀRE BADZRA SAMAYA DZA TISTHA LHEN|
TARA仏母と諸仏や諸菩薩を区別しない信仰でお迎えいたしますので、大慈と大悲心で思ってください。 OM ĀRYA TĀRE BADZRA SAMAYA DZA TISTHA LHEN
【供物を捧げる】
OM|物と心の供物らと|外・内・秘密の真如の供|
飲み水・足水・花と香|灯明香水食音楽|
五欲七宝八吉祥|天人財宝供養雲|
聖衆に海と捧ぐべし|
OM ĀRYA TĀRE SAPARIVARA ARGHAM PĀDYAM PUSPE DHŪPE
ĀLOKE GHANDE NEWIDYE SHABDA PRATĪTTSHA SVĀHĀ
RŪPA SHABDA GHENDE RASYA SPARSHE RATNA MANGALA PŪJA HOH|
経典のこの部分では、ターラー菩薩に供養を差し上げる。「もの」の供物もあるけれど「心」の供物もある。しかも「外」「内」「秘密」の三種の真如の供物をさしあげる。飲み水・足水・花・香・灯明・香水・食物・音楽の八種類でもって五欲・七宝・八吉祥・天・人・財宝・供養の雲を、聖衆に海のように捧げよう。
OM ĀRYA TĀRE SAPARIVARA ARGHAM PĀDYAM PUSPE DHŪPE
ĀLOKE GHANDE NEWIDYE SHABDA PRATĪTTSHA SVĀHĀ
RŪPA SHABDA GHENDE RASYA SPARSHE RATNA MANGALA PŪJA HOH|
【マンダラ供養】
須弥山四洲と小洲鉄囲山|天界三千娑婆界荘厳し|
主あるもの主なきものも|心で仏母に捧げたてまつる|
RATNA MANDALA PŪZA MEGHALA A HŪM|
地に香を撒き華を散り敷きて|須弥山四洲に日月荘厳し|
仏国土なりと念じて奉納せん|衆生あまねく清浄地を得べし|
須弥山と世界の四大陸、小さい陸地と鉄囲山、天界と三千娑婆世界を荘厳して、主のあるものもないものも、心で仏に捧げたてまつります。
RATNA MANDALA PŪZA MEGHALA A HŪM|
地に香を撒き花を散り敷いて、須弥山四洲に日月を観想し、仏国土だと念じて奉納します。衆生はことごとく清浄の境地を得るように。
【七支分】
尊母聖母ターラーと|十方三時に住まわれる|
一切諸仏諸菩薩に|心を浄めて頂礼せん
花と灯明薫香水|食物音楽などをもて|
物と心で供養せん|聖母の衆よ受けたまえ|
無始の時より今までの|十種の不善と五無間の|
煩悩故に犯したる|すべての罪業懺悔せん|
声聞独覚菩薩たち|世間の凡夫の者たちの|
三時に積みたる善業の|福徳われは随喜せん|
それぞれ有情の考えと|理解の違いに応じつつ|
大乗小乗共通乗|法輪転じたまえかし|
輪廻が空にならぬ間は|涅槃に入らぬ慈悲をもて|
苦患の海に沈みたる|有情たちをば見そなわせ|
わが積むかぎりの福徳の|すべてが菩提の因となり|
遠からずして衆生らを|導く吉祥もてるよう|
尊母聖母ターラーと十方三時に住んでおられる一切諸仏諸菩薩に心を清めて礼拝しよう。花と灯明・熏・香水・食物・音楽などをもって、物と心で供養しよう、聖母の衆よ受けたまえ。無始の時からいままでの十種の不善と五無間の煩悩故に犯したすべての罪業を懺悔しよう。声聞・独覚・菩薩たち、あるいは世間の凡夫の者たちの三時に積んだ善業の福徳を私は随喜しよう。それぞれ有情の考えと理解の違いに応じつつ大乗・小乗・共通乗の法輪を転じてください。輪廻が空にならない間は涅槃に入らない慈悲をもって苦患の海に沈んだ有情たちを見てください。私が積んだかぎりの福徳のすべてが菩提の原因となり、遠からずして衆生らを導く吉祥をもてますように。
【供物を捧げる】
OM A BIGHANAN TA KRITTA HŪM PHAT|
OM SVABHĀVA SHUDDHA SARVA DHARMA SVABHĀVA SHUDDHO’ HAM|
宝の器に供物と甘露精|聖母に捧げん財富の増えんこと|
OM A BIGHANAN TA KRITTA HŪM PHAT|
OM SVABHĀVA SHUDDHA SARVA DHARMA SVABHĀVA SHUDDHO’ HAM|
宝の器に供物と甘露精を聖母に捧げよう、財富の増えますように。
【二十一のターラー菩薩讃】
OM 尊者聖母ターラー菩薩に頂礼したてまつる|
礼せんターラーすばやき勇母|おん眼は刹那のいかづちのごと|
三世の守護尊蓮華の顔の|花びら開きて生まれたまえり|
礼せんターラー秋の明月|百も重なる光るかんばせ|
千の星々従えながら|光り輝き燃えさかる母|
礼せんターラー緑と金で|手に持つ蓮華で荘厳されて|
布施と精進苦行と寂静|忍辱禅定守れる母よ|
礼せんターラー如来の頂髻|こよなき勝利の行事の母よ|
余さず無上の波羅蜜得たる|仏子菩薩の師事する母よ|
礼せんターラー TUTTĀRE と HŪM 字|欲界虚空を満たせる母よ|
七つの世界をみ足で押え|ひとり残さず集める母よ|
礼せんターラー帝釈梵天|火神風神諸天が供養し|
精霊死霊ガンダルヴァらと|夜叉も来りて讃える母よ|
礼せんターラー TRET 字と PHAT 字の|魔力の呪輪を取り去る母よ|
右足曲げて左は押え|火炎はいやます忿怒の母よ|
礼せん TURE 字の大畏怖の母|獰猛魔神も打ち砕く母|
蓮のみ顔に忿怒の皺で|敵を余さず殺せる母よ|
礼せんターラー三宝印を|指で作りてみ胸に当てて|
すべての方位の輪をもて飾り|自身の光で魔を散らす母|
礼せんターラー最勝歓喜|宝冠光輪輝き増して|
えまれ笑われ TUTTĀRA をもちて|魔障も世間も従える母|
礼せんターラー大地の神を|すべてを残らず集める母よ|
怒りの皺の HŪM 字によりて|すべての貧困救われる母|
礼せんターラー弦月の冠|すべての飾りが燃えさかる母|
おぐしの中には阿弥陀がおられ|たえざる光を放てる母よ|
礼せんターラー劫末の火の|ごとなる火輪の中央に座し|
右脚伸ばして左は曲げて|喜環の印で敵破る母|
礼せんターラー大地をみ手で|撃たれてみ足で踏み叩かれて|
忿怒の皺よせ HŪM の文字で|七重の世界を砕かれる母|
礼せんターラー楽・善・静と|涅槃寂滅境なる母よ|
SVĀHĀ と OM を正しく持され|大罪さえも消したまう母|
礼せんターラー喜びの環で|怨敵の身を打ち砕く母|
十字の聖句で荘厳された|明知の HŪM よりいでたる母よ|
礼せんターラー TURE の足もて|踏みてHŪM の種字なる母よ|
須弥山・曼荼羅・賓陀の山や|三世間さえ動かす母よ|
礼せんターラー天なる海の|兎の印を手に持てる母|
TĀRĀ の二文字と PHAT なる字もて|いかなる毒も除かれる母|
礼せんターラー天衆の王|天とキンナラ仕える母よ|
鎧兜の歓喜の威光|騒乱悪夢を追い払う母|
礼せんターラー日月のごと|両目に光の輝ける母|
HARA の二文字と TUTTĀRA をもちて|激しき疫病取り去る母よ|
礼せんターラー真如の三で|寂静力を正しく持ちて|
悪鬼と死霊と夜叉衆などの|すべてを滅ぼす TURE の母よ|
これこそ根本真言にして|二十一偈の礼讃なりき|
ここがターラー菩薩の真言の核心部だが、長いし、難解な部分もあるし、翻訳は省略させてください。毎日お唱えしておれば、意味はだんだんわかってくるでしょう。
【ターラー菩薩への祈願】
聖母よ悲心で二障を取り除き|二資糧円満八難十災の|
縁やみ修福法財増えてゆき|衆生畏怖去りブッダにならんこと|
聖母よ、悲心で二障を取り除き、二資糧を円満して八難十災いの縁がやみ、修業の成果が増えてゆき、衆生は畏怖を去りブッダになるように。
聖母の胸なる TĀM と真言輪|放光利生し寿命と徳を増す|
OM TĀRE TUTTĀRE TŪRE MAMA ĀYUJNĀNA PUNYE PUSTIM KŪRŪ SVĀHĀ|
聖母の胸にある TAM 字と真言の輪よ、放光利生し寿命と徳を増すように。
OM TĀRE TUTTĀRE TŪRE MAMA ĀYUJNĀNA PUNYE PUSTIM KŪRŪ SVĀHĀ|
これで念誦の後半は終りだ。あと、経典全体を締めくくる部分があるが、それは明日に廻す。ただ書き写して解説をつけるだけでも疲れますよ。