二番煎じは好調のしるし

 日によって身体がダルかったり、頭がボケたり、気分が落ちつかなかったりする。もっとも、身体が元気だったり、頭が冴えていたり、気分が静まっている日も、ないことはない。さらに、これらの症状を離れると、たとえば食欲はいつもあるし、睡眠や覚醒はいつもいい感じだし、人と会って話をするのもイヤではない。つまり、不満足な部分、しかも「いつもそうだ」というような慢性的状態ではなくてたまたま現在そうであるような状態、だけを取り出して意識している。そうして不満足な状態を意識し続けると、「私は不幸だ」という結論に簡単にたどりつくが、これは誇張だ。たとえば「身体がダルい」という症状がどれくらいの時間あるかというと、まあ何十日に1回程度じゃないかな。しかも強さは薬をのむほどのものでもない。それに、数時間もすると静まってくる。だから、問題というほどの問題ではない。

 今回の発病以前はどうだったんだろう。いま思い出すと、毎日元気溌剌だった気がするが、そんなことは決してない。頻度や強度からいえば、いまとそんなにかわりはなかったと思う。ただ、あの時代には仕事があって、身体がダルかろうが、頭がボケておろうが、気分が浮わついておろうが、とにかく仕事をしなければならなかった。気持ちがそんな風だったから、少々の不調があっても気にしなかったということだろう。人間の健康評価というのは主観的なものだ。

 というわけで、今日も完璧に元気ではないが、この程度の不調さは健康な時代にもずっとあったし、別に治療をほどこさなくても平気でやってきた。だからいまもそのようにすごしていいことになる。そう思うと気分が晴れて一日のんびり暮らすことができる。今夜の夕食は、それやこれやがあって、私の担当ではないことにする。

 昨日のチキン・シチューは調子に乗って作りすぎたので、今日の昼もその残りだった。妻の工夫で食パンの焼いたのにブルザン・チーズを添えて出した。絶品であった。