昨日はストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』の話をした。ついでにマーラーとかバルトークだとかの話もすこしした。せっかく話をしたので、もうすこし続きをする。
グスタフ・マーラーは1860年~1911年に生きていたユダヤ系の作曲家だ。いまではけっこう有名になっているようだが、私が音楽を聴き始めた時代(1960年代前半)には未知の存在に近かったんじゃないかな。とにかくクラシック音楽家というものを知らないので、ラジオ(当時はまだAMラジオだった気がする)であれこれ聴いたが、いわゆる「有名作曲家」の音楽はピンと来なかった。その結果、暗闇の中から引っ張りだしたのが、あるいはストラヴィンスキーであり、あるいはマーラーであった。
いまから思い返すと、当時好きになった相手は、旋法音楽を使った人が多い。並べてみようか? オーストリアではマーラーの他にブルックナーがいたし、ハンガリーにはバルトークがいたし、チェコにはヤナーチェクがいた。その他、東ヨーロッパを中心に、たくさんの民族音楽家たちがたくさんの曲を書いていて、それを聴いているだけで高校3年間は時間を保てた。大学に入って合唱音楽になったのは(女声目当てに?)合唱クラブに入った結果で、音楽の変化よりも人脈の変化の影響が大きい。その話はまた後日する。
ともあれ、中学3年間と高校3年間は、合唱音楽を聴いていた。中でもマーラーの位置は大きくて、ぞっこん惚れ込んでおつきあいをさせていただいていた。その間は現実の女性にあまり関心が向かなかったのか。おつきあいらしいおつきあいはなかった。「暗い」青春だったと言えば言えなくもない。それでも本人は困っていなかったし、その分は大学に入って十分に取り戻したし、そう重大な発達上の問題だとは思っていない。ともあれ、旋法の見えにくい古典風の音楽とか、民族的背景の見えにくい俗謡風の音楽とか、かなり変った中学・高校時代をすごしたわけだ。