いいえ、そもそもアドラー心理学は、勇気だけで何もかも解決するとは考えておりません。また構造的不平等の解決は個人の気持ちの持ちようの問題ではなく、社会における多くの人々の様々な実際の貢献によってこそ可能となるものです。
社会構造上の問題に限らず、アドラー心理学は、個人の勇気だけで物事すべてが解決するとは考えていません。「勇気づけ」という言葉が有名となったためか、アドラー心理学では「勇気」さえあれば何もかも解決できると信じている、あるいは現実がどうであれ「勇気づけ」で心の持ちようさえ変わればそれでいいと思っている、といった誤解が生じているようですが、それは誤りです。
そもそもアドラー心理学では「勇気」という言葉を、きわめて独特の意味合いで使っています。世の中で少なからず「勇気がある」といわれている行為であっても、その行為が社会(共同体)にとって破壊的ならば、私たちはそれを「勇気」と呼びません。アドラー心理学では、人が共同体に所属して、そこでお互いに貢献しながら、共同体のために自分の出来ることをしようとすること、そうした姿勢全般について「勇気」という言葉を用いており、そのような姿勢を促すことを「勇気づけ」と呼んでいます。
ここでいう貢献とは、共同体に有益な行為全般を指し、したがって、誠実さ、謙虚さ、公正さ、聡明さ、慎重さ、正義、熟慮、慈愛などに基づく、さまざまな有徳な行為が含まれています。共同体の維持存続には、倫理的・道徳的ともいえるそれらの行為が不可欠なのです。
社会に構造的な不平等が生じた場合には、多くの人々が、持てる力を尽くして解決にあたらねばなりません。アドラー自身が、その生涯において第一次世界大戦とロシア革命による悲劇を体験したことから、育児と教育によって人間の徳性を育成し、搾取のない平等な社会を実現しようとしました。しかしながら、アドラーの活動した時代から100年経った今日もなお、世界には同様の悲劇が繰り返されています。つまり私たちひとりひとりが「勇気」を持つことは、解決に向けてのそのスタート地点のひとつではあっても、解決方法のすべてではないのです。
