競争社会において、他者との比較や競争意識を完全に無くすことは現実的ですか?

Category: 対人関係について

ただちに他者との比較や競争意識を完全になくすことは、非現実的かもしれません。それでもなお、お互いに助け合い、協力して暮らしていくことが、幸せへの道だとアドラー心理学では考えます。私たち一人ひとりがお互いへの構えを競合から協力に変えていくことで、未来には協力的な社会が実現すると考えているのです。

まず、ご質問にある「競争社会」という前提自体を検討しなければなりません。というのも、世の中の競争は、むしろ協力関係を伴うことで成立しており、100%純粋な競争社会というものは考えられないからです。

実際の人々の暮らしをよく見てみると、競争の中にも協力関係がしっかりと息づいていることが分かります。競争が激しいビジネスの世界でも然りです。そもそも自由競争とは、公正なルールがあってこそ成立します。そして公正なルールは、人々が協力し合い支え合ってこそ維持できるものです。長年の積み重ねで商取引や製造、雇用等についての法や各種の規定が整備され、また、人々の間で公正な商慣習が積み重ねられてきたからこそ、健全な競争を続けることができるのです。仮に、誰もが協力し合うことをやめ、ルールを形骸化させてしまえば、競争は直ちに無秩序な収奪か、「万人の万人に対する闘争」に姿を変えてしまうことでしょう。しかし幸いにして、私たちが暮らす社会は概ね、そこまで極端な状況にはないと思われます。つまりいわゆる「競争社会」という捉え方は、世の中を一面的に捉えた、かなり偏ったものの見方といえるのではないでしょうか。

とはいえ、世の中に行き過ぎた競争があることもまた確かなことでしょう。それらは、「自分が必ず他者より上でなければならない」「必ず勝たねばならない」といった、個人の競合性によって生み出されると考えられます。ここでいう「競合」とは、自分と他者との間で、どちらが上でどちらが下か、どちらが正しくてどちらが間違っているか、どちらが美しくてどちらが醜いかなどを決めようとする態度のことです。アドラー心理学では、そうした他者との比較や競争意識は、個人の「劣等感」に関係すると考えます。「劣等感」とは、個人が理想とする状態とは違う現実に遭遇したときに起きる感覚のことです。その感覚は往々にして、「私は〇〇の点で人より劣っている」と他者と比較する形で自覚され、私たちはそれを補償しようとして競合的になり、他者と過剰に競いがちです。

そのような、他者を蹴落とし自分が上に上がろうとする「縦の関係」で生きる限り、人はいつも争い、不安におびえて生きていくことになります。しかし、そこから抜け出して「横の関係」で生きる、すなわち自分も他者も人間としての価値は同じだと考えて、話し合って協力し、あるいは別個に役割を果たしながら、互いに対等な立場で自分の人生を生きていくことで、安心して幸せに生きていく、そうした選択肢も私たちにはあるのです。

ルドルフ・ドライカース(Rudolf Dreikurs)は、「不完全である勇気(Courage to be imperfect)」と言いました。一人ひとりが自分の不完全さを認めつつ、お互いの価値は同じであることに気がついて、自分ならではの役割を果たそうとすることが大切だと、アドラー心理学では考えています。

なお、ご質問が「世の中は100%純粋な『競争社会』だと信じながら、なおかつ、気持ちや態度の上では協力的でいられないか」ということであれば、それは人のあり方として矛盾であり、そのような矛盾を他者に強制することは所謂ダブルバインドであって、当然ながらアドラー心理学の主張はそのようなものではありません。

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