アドラー心理学Q&A

アドラー心理学についてよく見られるご質問と、それぞれへの私たちの見解をQ&A形式で簡単にまとめました。皆さまの率直な疑問にお答えするため、アドラー心理学に批判的なご質問や、誤解に基づくと思われるご質問も、あえてそのまま掲載しています。内容はさらに網羅的に充実させたいと考えております。

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承認欲求の否定について

アドラー心理学は他者からの承認を得ようとすること自体を否定するのではなく、他者からの承認を「行動の唯一の目的」とすることを問題視しており、真の貢献とは他者からの承認が得られるかどうかにかかわらず、社会(共同体)に有益な行動を選択することだと考えます。

アドラー心理学の立場は、他者から承認されようとすることを、何もかも否定するわけではありません。他者に対して貢献的な行動をした結果、他者からの承認・賞賛を得られたとしても、何も問題はありません。

問題なのは、他者からの承認や賞賛を得ることが、自分の行動の目的になってしまう場合です。そうした見返りのためだけに誰かの役に立とうとするのなら、アドラー心理学でいうところの共同体感覚に基づいた貢献とはいえません。なぜなら、周りに認めてくれる人がいなければ、その人は貢献的な行動を起こすことがないからです。そうではなく、社会(共同体)の一員として、これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろうと考えて、そこで社会(共同体)に有益な行動を選択することこそを、私たちは真の貢献であると考えています。

ですので、他者からの承認は、それを目的や目標にすべきものではなく、あくまで良い行動を行ったときに、相手から自然に返ってくる態度のひとつにすぎないと考えています。

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人に褒められることや自信を持つことばかりを目的にすると、認められないときに落ち込んで、やる気をなくしてしまいます。認められたい気持ち自体は自然ですが、一番大切なのは褒められることではなく、周りのみんなの役に立とうとすることです。

「承認欲求(esteem needs)」という用語を最初に用いたのは、アブラハム・マズロー(1943)です。つまりこの概念はそもそもアドラー心理学の体系とは別のところにあり、アドラー心理学ではふつうこの言葉は使われません。ただ「承認欲求」という言葉は、世の中で「他者からの名声、評価、注目、尊重への欲求」という意味合いの言葉として定着していますので、ここではそのように解釈し、次のように考えます。

他者からの承認が行動の最大の目標であれば、それが得られなければ自己肯定感が低下したり無気力になったりする可能性は高いと考えられますが、アドラー心理学は自己肯定感そのものを最上の価値だとみなしません。

他者から承認されたり賞賛されたりすることを何よりも大切に思っていて、それが対人関係上の最大の目標になっていると、何かの理由でそれらが得られなくなったとき、無力感や悲しみ、悔しさなどで打ちのめされる可能性は、確かに大きいはずです。それらの陰性感情は、自分の期待が満たされない事態に遭遇した時にこそ感じる感情だからです。しかしそもそもアドラー心理学では、他者から承認されたり賞賛されたりすることだけを目標に暮らすことを、健全な生き方だと考えていません。それでは、それらが得られなければ貢献的な行動しないことになるからです。

ここで、時々誤解がみられるため申し上げますが、アドラー心理学は自己肯定感や自尊心を何よりの価値とするものではないのです。それらの維持や向上だけを目指す生き方は、アドラーのいう自己執着(Ichgebundenheit)のひとつであり、共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)とは明確に矛盾します。共同体感覚を平たくいえば「これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう」と考えることです。他方、自己執着とは、「これは私にとってどういうことだろう。私がしあわせになるために私はなにをすればいいだろう」と考えることです。自己肯定感や自尊心を第一に守ろうとすることは自己執着であり、自己執着は共同体感覚とは反対の考え方なのです。

もちろんアドラー心理学は、人が他者からの承認を求めることそのものを否定するわけではありません。人は社会的な生き物ですから、人々に認められたいと思うことそれ自体は、ごく自然な思考といえます。また、社会(共同体)の一員として役立ちたいという気持ちから行動し、その結果として感謝や承認が得られることに、何か問題があるわけでもありません。しかし承認を得ようとすることが、人々に様々な形で役立つことよりも大切になってしまえば、それは本末転倒だと言わねばなりません。

褒められることを主目的にすると、褒めてくれる人の存在や褒められる物事に依存してしまい、個人の成長からは遠ざかると考えます。

褒められることを目標とするのではなく、人々に貢献する行動による成果や、そうした行動そのものに意味を見出すことが望ましいと考えます。行動の結果を褒められれば嬉しく感じるのは自然な感情といえますが、褒められることが主たる目的になると、褒めてくれる人が常に身近にいないと努力ができないか、あるいは、誰かに成果を褒めてもらえる物事しか行わなくなるでしょう。それでは個人としての成長からは、ほど遠いのではないでしょうか。

Tag: 目的論

アドラー心理学からは、特定の場での一時的な賞賛に一喜一憂することよりも、社会に貢献することや人生の持続的な面に、より多く目を向けるよう促すことになるでしょう。

SNSの文化と構造は、他者からの承認を可視化しやすくします。それに加え、注目を集めることが広告収入やプラットフォームでの優位性につながる側面も持っています。こうした特性は、人々が他者からの賞賛に特に振り回されやすくなるという危険性をはらんでいる、といえるでしょう。

これに対しアドラー心理学は、特定の場での一時的な評価に一喜一憂することなく、長く人々と協力しあえる目標やより大きな共同体への貢献といった、社会と人生の持続的な面へ目を向けるよう促すものです。

アドラー心理学は、他者からの評価に過度に依存するのは不健全な生き方だと考えますが、かといって他者に関心を持たず、自己中心的になることもまた適切とはいえません。

むしろ、人が他者からの評価を気にせずには済まないことを説明するのがアドラー心理学だということができます。また仙人のような生活というものが、他者との関わりを絶ち孤立して生きることを指すのならば、アドラー心理学は決してそのような生活を推奨していません。

アドラー心理学では、人は社会に組み込まれた存在だと考えます。したがって、ともに支え合って生きている他者の視線や評価を意識することは、人として自然なことといえます。もちろんそこで、他者からの評価に過度に依存するのは不健全な生き方ですが、かといって他者に関心を持たず、自己中心的になることもまた適切とはいえません。

野田は「自分が人に好かれるか嫌われるかを気にするのは自己執着です。アドラー心理学では、自分が人に好かれるかどうかよりも、自分の行動が人にどういう影響を与えるかを考えたいのです。」と言っていました。

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