アドラー心理学Q&A

アドラー心理学についてよく見られるご質問と、それぞれへの私たちの見解をQ&A形式で簡単にまとめました。皆さまの率直な疑問にお答えするため、アドラー心理学に批判的なご質問や、誤解に基づくと思われるご質問も、あえてそのまま掲載しています。内容はさらに網羅的に充実させたいと考えております。

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基本前提

Category: 基本前提

アドラー心理学とは、個人を「分割できない全体」として捉え、その行動は未来の「目的」に向かって個人が主体的に決定し行うものと考え、個人は仮想の世界に暮らしており、なおかつ社会に組み込まれた存在だとする心理学です。他者と協力し社会(共同体)に貢献することを善とする「共同体感覚」の育成を重視する点が特徴です。

アドラー心理学は、オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラー(Alfred Adler, 1870-1937)が創始した心理学です。

人間の行動や心理を理解するにあたり、個人を自ら主体的に動く、分割できない全体として捉え、フロイトの精神分析などが過去の原因を重視するのに対し、アドラー心理学は、未来の目的や目標に向かって個人が現在の行動を決定すると考えます。また個人は主観的に意味づけられた仮想の世界に暮らしており、なおかつ、対人関係や社会に組み込まれた存在であると捉えます。したがって個人の人生における課題も目標もそれぞれ仮想であって、それらは社会的な文脈のなかにあると考えます。

またアドラー心理学は心理学でありながら、他者と争うのではなく協力し合って社会(共同体)に貢献することを善とする「共同体感覚」の育成に向けて、自分自身と他者を勇気づける、哲学的・思想的実践としての側面を持っています。

Category: 基本前提

「個人心理学」とは、その語源(ラテン語の「individuum(分割できないもの)」)が示す通り、人間を心や身体などに分割せず、ある目標に向かって動く「個人」全体として理解しようとする考え方を意味します。

アドラーは自分が創始した心理学の体系を「個人心理学(Individual Psychology)」と呼びました。「individual」とは、ラテン語の「individuum(分割できないもの)」に由来します。これは、人間を心と身体、意識と無意識、理性と感情といったように部分に分けて分析するのではなく、「個人」という、それらが統一体として機能する全体として捉えるという意味です。個人は、自らが設定した目標に向かって、全体として調和を保ちながら自ら動くものであると考えます。このため、個人の行動や感情についてある一部分だけを取り出して評価するのではなく、その人のライフスタイル(目標とそれに向かう手段)や社会的文脈などと関連させ、その人全体として理解しようとします。

Category: 基本前提

アドラーの「目的論」とは、現在の行動は未来の「目的」を達成するために個人が主体的に選んで起こすものだと考えるのに対し、フロイトの「原因論」は、現在の行動は「過去の原因」(トラウマなど)によって決定されるものだと考える点に違いがあります。

アドラー心理学の「目的論」とは、人間の行動や感情は基本的に、過去の原因や環境によって起きるのではなく、何らかの目的を達成しようとするために個人が起こすのだ、と考える立場です。例えば子どもが不適切な行動をする場合、目的論の立場では、過去の出来事や環境が子どもに不適切な行動を行わせると考えるのではなく、その行動には子どもにとって何らかの重要な目的があると考えます。

フロイトの精神分析に代表される「原因論」的心理学では、現在の問題やさまざまな行動を、過去の経験、特に幼少期の経験をめぐる内面的な無意識の葛藤などといった原因によるものととらえます。それに対してアドラー心理学では、「目的論」に基づいて、個人の行動は、個人自身が主体的に選び取った、意識的あるいは無意識的に定めた仮想的目標を達成するための動きである、すなわち、その個人にとっての相対的マイナスから相対的プラスに向かうための運動なのだと強調します。

なおアドラー心理学は、過去の出来事や環境の影響を完全に否定するわけではありません。成長過程における身近な人間との葛藤がライフスタイル形成に影響するなど、過去の出来事の間接的な影響を認めています。また強いストレスへの生理的反応としてPTSD等の急性または慢性的な症状が現れることや、発達障害による行動特性が子どもの行動に様々な傾向性を与えることなどについても然りです。アドラー心理学はそうした先天的、後天的な影響にも充分注意が必要だとしながらも、なおかつ、個人は仮想的目標に向かう個人自身の主体的選択によって一つ一つの行動を決定すると考える、「やわらかい決定論」の立場に立ちます。

Category: 基本前提

アドラー心理学の「全体論」とは、人間を心や身体、理性や感情といった部分の寄せ集めではなく、それらすべてが相互に関連し、ある目標に向かって機能する「分割できない統一体」として捉える考え方です。

アドラー心理学における「全体論」とは、人間を身体の諸組織やそれらの機能、あるいは理性と感情、意識と無意識といった様々な要素の、単なる寄せ集めだとして考えたり、あるいは特定の部分が残りの部分を一方的に統括していると捉えるのではなく、それらが相互に深く関連し合って、分けることのできない有機的な統一体として機能していると捉える考え方です。人間の行動や感情はもちろんのこと、時として身体症状でさえも、その人全体の持つ目標やライフスタイルと切り離して理解することはできないと考えます。

そのため、例えばある人が抱える不安という感情は、その人が無意識的に設定している目標(例:失敗してはいけない、嫌われてはいけない等)と関連して生じことがあると考え、また身体的な不調についても、心理的な問題の表現である可能性を考慮して捉えるのです。このようにして、個人を常に全体として捉えようとするのが、アドラー心理学の基本的な立場です。

なおこれは、身体や精神の不調が、身体に備わった諸器官や諸機構の不調から起こることを否定するものではありません。アドラー心理学は様々な医療分野の知見や、そこで標準治療とされているものを否定する立場にありません。特に身体の調子の異変を自覚した場合は、心の問題を考える前に、まずは早めにかかりつけ医あるいは専門医療機関で受診されることを強くお薦めします。

Category: 基本前提

アドラー心理学の「対人関係論」とは、劣等感や人生の課題を含む人間のあらゆる問題や目標は、根本的に対人関係の中に存在すると捉える考え方です。

アドラー心理学では、人間のあらゆる問題は、対人関係の中に存在すると考えます。この考え方を「対人関係論(interpersonal theory)」と呼びます。個人の行動のきっかけとなる劣等感も他者との関わりから生じるものであり、個人が意識的・無意識的に目指している目標も、つきるところ対人関係上の文脈に位置しています。すなわちいかなる人生の課題であれ、個人にとっては対人関係(仕事、交友、愛)の問題に他なりません。したがって、個人の問題を理解し解決するには、その人が他者といったいどのような関係を築いているのか、その人の対人関係における目標は何か、といった観点から取り組むことが重要となります。

なお現在では「対人関係論」は、アドラー心理学の理論的枠組みをアドラー自身の言葉に立ち返り、より俯瞰的かつ現代的な視点から再構築しようとする動きの一環として、「社会統合論(social embeddedness)」と呼ばれるようになりました。

主要概念

Category: 主要概念

アドラー心理学でいう「劣等感」とは、「自分は他者よりも価値がない」という思い込み・感覚だけを指しているのではなく、その人が理想とする状態とは違う現実に遭遇したときに起きる感覚も指しています。アドラー心理学では前者を後天的に意味づけられた幻想であり、人々を終わりのない「優越性の追求」という不毛な努力へ駆り立てる原動力になるものと捉えます。

アドラー心理学における最も重要な概念は「共同体感覚」ですが、有名であるという点では「劣等感」が一番かも知れません。

アドラーは「劣等感」を、「不完全である成就していないという感覚」と述べました。ドイツ語での原語「Minderwertigkeit」は、字義通りに訳せば「価値がより少ない感じ」となります。すなわち、アドラー心理学における「劣等感」とは、一般に言われる「自分は他者よりも価値が少ない」という思い込み・感覚だけでなく、もう少し広く、その人が理想とする状態とは違う現実に遭遇したときに起きる感覚も指しています。しかしながらこの言葉は、現代のような競合的な社会では、もっぱら前者のような「人に比べて自分は○○の点で劣っている(から自分には価値がない)」といった意味合いで使われています。ご質問はこの、世の中でいう「劣等感」についてと思われますので、そちらについてお答えさせていただきます。

人間の赤ちゃんはきっと、はじめは自分と他者の優劣を比較しない「平等」な世界のなかで、安心して生きているのでしょう。しかし子どもは成長し言葉を覚え、社会生活を送る中で、まるで当たり前のように、「自分は他者よりも価値が少ない」という思い込み・感覚を持ち続けるようになります。これについてアドラー派の心理学者は、次のようなプロセスによるものと指摘しています。

  1. 「区別」の学習:優れたものと劣ったものの「区別」を学ぶ。
  2.  「勇気くじき」:親や教師から「それじゃダメ」「なんでできないの?」といった言葉をかけられること(勇気くじき)で、「自分は他者より劣っている存在だ」と思い込む。

人は、他者に対して「私はこういう点で劣っている」という劣等感(相対的マイナス)を抱くと、世界への所属感や安心感といった、「平等の位置」にいる感覚を失ってしまいます。そこで失った感覚を取り戻すために、世界(社会)に所属するためには「私はこうでなければならない」(例:「人の上に立たなければならない」「人に好かれなければならない」)といった、その人にとって自分の理想状態である「優越目標(相対的プラス)」を立てて、その目標を達成するための行動を起こすことで「劣等感を補償」しようとします。アドラー心理学ではこのように、人間の行動を、相対的マイナスから相対的プラスに向かう目標追求として捉えます。

しかしながら、そうした劣等感をずっと持ち続けていると、上記のような目標も、どれだけ追いかけても決して到達できない地平線のように逃げていってしまいます。そのため人は、常に不安を抱え、緊張し、努力し続けなければならない状態に陥ります。つまり一般にいわれる劣等感というものは、後天的に意味づけられた「自分には価値がない」という幻想であり、人々を終わりのない「優越性の追求」という不毛な努力へ駆り立てる原動力になるものと捉えることができます。

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「劣等コンプレックス」とは劣等感を言い訳にして人生の課題から逃げる状態を指し、「優越コンプレックス」とはその劣等感を隠すために自分が優れているかのように振る舞う、劣等感の裏返しである状態を指します。

アドラー心理学における「劣等コンプレックス」とは、人が自分の持つ「劣等感」を、人生の課題から逃れるための口実として利用している状態を指します。これは、困難に対して建設的に取り組むことを避けている自分を、正当化するための自己欺瞞に他なりません。このような嘘の目的は、自分の現状維持がたとえ失敗を招いたとしても、その責任を自分以外のものに転嫁することにあります。この「劣等コンプレックス」は、過度に「心の傷」や被害者意識などを訴えることで周囲の同情を引いたり、相手を感情的に支配するための手段として使われることもあります。
 
では、人はどのようにして「劣等コンプレックス」を使うに至るのでしょうか。誰しも、生まれながらにして「自分は劣っているに違いない」と感じているわけではありません。したがって人は成長の過程で、家庭や学校、社会などでの様々な要因の影響により、劣等感を持つようになると考えられます。子どもは言葉を覚えるにつれて、物事の「違い」を「優劣」として区別し始めます。その際に、親や教師が「どうしてできないの?」「もっと頑張らないとダメ」といった、本人への否定的な言葉(アドラー心理学で言う「勇気くじき」)を投げかけると、子どもは「自分は人として劣っている」という、いわゆる劣等感を抱くようになります。この「劣等感」を、自分の課題に向き合うのを避けるための理由として使うことを、「劣等コンプレックス」といいます。たとえば、「私は頭が悪いから/身体が弱いから/不器用だから、~~をやらなくていいんだ。誰かにやってもらおう」と、劣等感を理由に課題から逃れることはこれにあたります。

この「自分は人として劣っている」という感覚は、客観的な事実ではなく、作られた思い込み(フィクション)です。しかし、この劣等感から逃れるために、人は「優越の位置」という架空の目標を立て、それに向かって努力を始めます。この「劣等の位置から優越の位置へ」という動きそのものが、ライフスタイルの基本構造となります。この動きは当初の意図としては前向きといえますが、しかし幼い頃の思い込みに基づく行動ですから、多くの場合、初めからピントのずれた努力に陥りがちです。

およそ人が持てるものは何であろうと、身体的な特徴(器官劣等性)、性別、生まれ育ち、経済状況、さらには家族や上司といった人間関係まで、本人が「劣等感」をもちさえすれば、ありとあらゆるものがこの劣等コンプレックスの材料となり得ます。たとえば現代社会のように「老い」がネガティブなものと捉えられる社会においては、高齢者が大きな「劣等感」を抱えやすい状況にあるため、「老い」が劣等コンプレックスとして使われることにつながりやすくなります。

アドラー心理学では、いわゆる「神経症」というのは、人が劣等コンプレックスを、人生をやっていくための主要な手段として用いている状態だと考えます。神経症的な人は休みなく劣等コンプレックスを実践しており、自分が作り出した口実に完全に騙されている状態にあります。アドラーはこの状態を「犬が自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回っている」と表現しました。この自己欺瞞のサイクルに囚われている限り、人生の問題の真の解決には至りません。

劣等コンプレックスから抜け出すためには、まず、その自己欺瞞の輪から外へ出なくてはなりません。そのための一歩として、次のようなものが考えられます。

  • 共同体への貢献
    他者や社会に貢献すること(それらにプラスになることを始めること)は、内向きの関心を外に向け、自己欺瞞のサイクルを断ち切ります。
  • 「劣等」という幻想に気づく
    私たちが抱くいわゆる「劣等感」は、実は社会全体が共有する壮大な誤解に過ぎないのかもしれず、客観的な事実ではありません。
  • 「勇気づけ」
    「勇気づけ」は、人が自分の人生を自分の責任で生きる選択をするためのはたらきかけです。たとえば、子どもが貢献してくれたことに感謝を感じたなら、「お手伝いありがとう」「あなたがいると助かる」といった言葉を伝えてみることができます。こうしたことによって、子どもは、自分は他者の役に立つ存在であると感じることができ、そこから、自分の力を他者のために使う勇気を持つことができます。

つまり、人としての優劣という幻想の物差しから降り、他者と対等な立場で協力関係を築いていくことが、劣等コンプレックスを克服する道となるのです。

一方、「優越コンプレックス」は、劣等感の補償の一つの方法として、あたかも自分が優れているかのように振る舞う状態です。自慢話を繰り返したり、他者を見下したり、権威を誇示したりする行動がこれにあたります。野田は「優越コンプレックスは結局、劣等コンプレックスと同じ」と言っていました。優越コンプレックスは、「自分は優れているんだ。だから、~~をしなくていいんだ」という自己欺瞞的な私的論理として現れます。これも、他者との調和を欠き、対人関係の摩擦を生じやすいあり方といえます。また「優越コンプレックス」は、対人関係において片方が相手への劣等感を過補償し、それに対して相手がさらに大きな劣等感を持ち、それを過補償し、といったように繰り返されていくことで、両者の争いが際限なく拡大する原因でもあります。

Category: 主要概念

「私的感覚」とは、出来事に対して「良い(プラス)」「悪い(マイナス)」を瞬時に判断する個人独自の無意識的な価値判断であり、これが個々のエピソードにおける表層的な反応(私的論理)を生み出すのに対し、「ライフスタイル」は、複数のエピソードに共通するその人固有の「私的感覚(=私的意味づけ)」の背後にある、パーソナリティ全体を貫く根源的な思考・行動パターン(深層構造)を指します。

「私的感覚(Private Sense)」は、価値判断です。これは、ある出来事や状況に直面した際に、「何が良いこと(プラス)で、何が悪いこと(マイナス)か」を瞬時に判断する、個人の行動の背後にある「黒幕」のようなものです。

私的感覚は、具体的な出来事の中で次のように機能します。

  1. ある出来事が起こると、人は無意識に自分の「私的感覚」に照らし合わせます。
  2. その出来事が理想から外れている(マイナス)と判断されると、「劣等感」が生じます。これは「他人より劣っている」という意味ではなく、「自分の理想とはちがう現実が起きている」ことを指す感覚です。
  3. この劣等感は具体的には、不安、怒り、後悔などといった「陰性感情」として感じられます。
  4. そして人は、その理想と違う状況を解決し、理想状態(プラス)に近づけるために「対処行動」を起こします。

そのため、ある人の「私的感覚」を理解するためには、まず具体的な「エピソード(一回限りの出来事)」の分析から始めます。そのエピソードにおいて陰性感情が最も強いところや、あるいはエピソードの中で初めて陰性感情が出たところ、続いていた陰性感情が急に強まったところなど、「そのエピソードが一番ドラマティックに展開をみせたところ」を起点に、以下の3つの要素を分析します。

  • ライフタスク (Lifetask / LT):
    その「対処行動」を取らなければならなかった、困った現実のこと。私的感覚のマイナス面に触れた出来事。この現実に出会った時、人は「劣等感」(理想と現実のギャップ)を感じます。具体的には陰性感情(不安、怒り、後悔など)として感じられます。
  • 対処行動 (Coping Behavior / CB):
    問題を解決するために、その人が具体的に取った行動のこと。
  • 仮想的目標 (Fictional Goal / FG):
    その「対処行動」の結果として起きることが期待されている理想的な状態のこと。上述の「ライフタスク」が理想的に解決したイメージで、私的感覚のプラス面が現れたもの。その人が「こうなれば素晴らしい」と考える、キラキラした理想状態のイメージ。

「ライフタスク」と「仮想的目標」は、「私的感覚」という一つの価値判断から生まれています。そして「ライフタスク」という「相対的マイナス」から、「仮想的目標」という「相対的プラス」に向かっての「補償」が「対処行動」です。つまり個人は、私的感覚のマイナス面からあることがらを「ライフタスク」だと認識して「劣等感」、具体的には「陰性感情」を感じ、それを「補償」するために私的感覚のプラス面が示す理想状態を「仮想的目標」として「対処行動」を行う、と考えます。

そして、私的感覚から生まれる「仮想的目標」は、以下の2種類に分けられます。

  • 競合的な目標:
    相手と自分を比べ、優劣や善悪などを決めようとする目標。これは相手を「劣っている」「間違っている」と裁くことになるため、対立を生みやすくなります。
  • 協力的な目標:
    相手と一緒に問題を解決しようとする目標。

人間関係のトラブルは、多くの場合、私的感覚に照らして設定する仮想的目標のうち「競合的な目標」に向かって行動を起こそうとすることで生じます。その場合、解決のためには、仮想的目標を「協力的な目標」へと作り直す必要があります。

次に「私的感覚」と「ライフスタイル」の関係ですが、「ライフスタイル」とは、個人の人生を貫く、より根源的な思考・行動パターンのことです。アドラー心理学ではある個人が出来事に出会った際に持つ、「この出来事は私的感覚に照らすと『ライフタスク』だ。私的感覚が示す『仮想的目標』を実現するために、これこれの『対処行動』をしよう」といったような考え方の流れを「私的論理」と呼んでいますが、これが個別のエピソードにおける表層的な反応パターン(表層構造)だとすれば、「ライフスタイル」はその背後にある深層構造といえます。また、ある個人の複数のエピソードで共通して働いている「私的感覚」を「私的意味づけ」と呼びますが、その「私的意味づけ」を参照して、様々なエピソードで共通して動いている「私は~~だ。私は○○でなければならない。だから私はこれこれの行動をしよう。」というその人独特の論理を「ライフスタイル」と呼びます。

レベル価値判断の体系考え方の流れ
表層(個別のエピソード)私的感覚 (Private Sense)私的論理 (Private Logic)
深層(パーソナリティ全体)私的意味づけ (Private  meaning)ライフスタイル (Lifestyle)

「私的感覚」と「ライフスタイル」は以上のような関係にあります。

なお、ライフスタイルを分析する上で有用な素材となるのが、「早期回想(子ども時代のエピソード)」です。早期回想を分析する主な理由は以下の2つです。

  • 現在のエピソードと、時間的に遠く離れた子ども時代の思い出に共通のパターン(私的感覚、私的論理)が見つかれば、それは一時的なものではなく、その人の人生全体を貫く「ライフスタイル」である可能性が高まります。
  • 人がわざわざ記憶し続けている数少ない子ども時代の思い出には、「この世とはこういうものだ」「自分はこういう人間だ」といった、自分自身、他者、世界に対するその人の根本的な意味づけ(「私的意味づけ」)や、「このようにしたらうまくいった」「こうすると失敗する」など、その人が、優越目標(優越の位置の私的意味づけ)を達成するための手段や教訓がよりシンプルに表されていると考えられます。

早期回想の分析方法は、さまざまです。現在のエピソードの分析と同じようにする事もありますが、通常はいくつかの早期回想を素材にして、セラピストとクライエントが対話を通じて、それらの早期回想に共通する「構造」つまり「劣等の位置の私的意味づけ」「優越目標(=優越の位置の私的意味づけ」、「優越目標を達成するために採っている手段」を言語化していきます。「私的意味づけ」と「優越目標を達成する手段」の両方でもって「ライフスタイル」を表します。

「私的意味づけ」は価値観なので、変えることはむずかしいものです。アドラー心理学の心理療法(ライフスタイル分析)では、クライエントの「私的意味づけ」を変えるのではなく、優越目標を達成するための手段について、子ども時代に選択したものよりもより共同体に貢献的なものが選択できるよう勇気づけます。また、時には自分の優越目標を達成すること、つまり「私(だけ)が幸せになること」を、ほんの少しだけ棚上げにして、「みんなが幸せになるために私にできること」を実行できるよう勇気づけます。

野田は、「普通に社会生活を送っている人は、ライフスタイルを変化させるためにわざわざライフスタイル分析を受ける必要はない」と述べました。ではどうすればいいかというと、「エピソード分析」をして、次の3つのステップを繰り返す事で、ライフスタイルは自然に変化する、ということです。

  • 理解 (Understand):
    エピソード分析を通じて、自分の「私的感覚」や「私的論理」のパターンを言葉にし、「私はいつもこうやって失敗しているな」と理解する。
  • 行動 (Act):
    理解に基づいて、より協力的な目標や、より適切な対処行動を意識的に試してみる。
  • 成功 (Succeed):
    新しい行動によって、実際に関係がうまくいくという成功体験を積む。

この「理解→行動→成功」のサイクルが学習となって働き、個々の「私的感覚」がより協力的なものに変化することで、最終的には「ライフスタイル」そのものがより協力的な方向へ変化していくと考えられます。

ただし、これは自分ひとりで行えることではなく、周囲の協力と本人の努力があわさって、初めて可能となるものです。つまり、これは個人の成長過程であるとともに、個人が共同体に参加し、周囲と相互に貢献しあっていく過程でもあるのです。

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「私的論理」が個人の独自の価値観(私的感覚)に基づく主観的な思考の筋道であるのに対し、「共通感覚」は社会や共同体で共有される、いわゆる常識という価値観(私的感覚と対応するもの)を指します。

「私的論理」とは、個人が独自の価値観、思い込みに基づいて、自分自身や世界、他者について認識し、さらに相対的マイナスから相対的プラスへ向かって行動を選ぶ際の、その考え方の筋道(論理)のことです。人は私的論理の大前提となっている、その個人特有の価値観つまり私的感覚から、「わるい」状況と判断されるライフタスクを劣等感をともないながら認識するとともに、それに対する「よい」状態といえる仮想的目標を導き出して、この目標を達成するための対処行動を選択決定します。以上の過程での思考の筋道を、「私的論理」と呼びます。多くの場合、私的論理による結論は個人的には「正しい」判断だと思われていますが、必ずしも客観的・普遍的な妥当性を持つわけではありません。

一方、「共通感覚(コモン・センス)」とは、ある社会や共同体の中で広く共有されている考え方や価値観、つまり、いわゆる常識を指し、個人特有の価値観を指す「私的感覚」と対応関係にあります。私的感覚が共通感覚から大きく逸脱している場合、対人関係の困難や不適応が生じやすいと考えられますが、ただし共通感覚もまた、共同体内で多数説であるからといって、必ずしも正しいとは限りません。歴史にみられるように、共同体全体が誤った考えにとらわれていることもあるのです。そこでアドラー心理学では、「共通感覚」は人々の暮らしの中でたえず再検討されなければならないと考えており、より大きな共同体にも有益かどうかを問う「共同体感覚」をより重視します。そして「共通感覚」であって「共同体感覚」にも沿うものを、子どもたちに伝えていくべきだと考えています。

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アドラー心理学における「人生の課題(ライフタスク)」とは、人間が社会的な存在として生きていく上で直面せざるを得ず、個人の精神的健康や生き方(ライフスタイル)と深く結びついている「仕事」「交友」「愛」という3つの対人関係の課題を指します。

アドラー心理学における「ライフタスク」とは、人間が社会的な存在として生きていく上で、直面せざるを得ない「課題」を指します。タスクといっても、仕事などでよく用いられる「やるべきことのリスト」のことではなく、個人の精神的な健康や幸福、そしてその人の生き方そのもの(ライフスタイル)と深く結びついた、包括的な概念です。

アルフレッド・アドラー自身が明確に提唱したのは、以下の三つのライフタスクです。このどれもが対人関係であることは、とても重要な点といえます。またこの分類は、主として関係の継続性に基づいています。

  • 仕事のタスク:生計を立てるための職業活動、学業、家事など、生産性に関わるあらゆる活動を指します。社会の一員として貢献し、自分の居場所を確保するための基本的な課題です。
  • 交友のタスク:友人関係や地域社会との関わりなど、恋愛や家族関係以外のより広い対人関係を指します。他者と協力し、社会的なつながりを築く能力が問われます。
  • 愛のタスク:パートナーシップや親子関係といった、最も親密な対人関係を指します。ライフタスクの中で最も困難なものとされ、深いレベルでの信頼と貢献が求められます。

これらのタスクは実生活では、現実と、本人が理想とする状態(仮想的目標)とのギャップとして現れます。そのため「課題」として認識される際に、「劣等感」、具体的には不安、怒り、後悔などといった陰性感情を伴うことが一般的です。

これらの課題にどのように取り組み、そこで他者とどのように協力していけるかは、その人の人生のあり方と不可分といえます。アドラー心理学のカウンセリングでは、個人がこれらの課題にどう向き合い、困難を乗り越えていくか、について話し合います。また、必要に応じてその人の「ライフスタイル」を分析し、より根源的な解決策を見出すことを目指します。

なお、これらに加えて、アドラー派の論者によっては「自己との課題」「スピリチュアルな課題」などを加えることもあります(ハロルド・モザックによる提唱)。

こじれたコミュニケーションの5つの段階

アドラー心理学では、子どもの不適切な行動を単に罰するのではなく、その背景にある、「所属(居場所)」を得ようとする目的(賞賛・注目・権力争い等)を理解しようとし、それはしばしば大人との「こじれたコミュニケーション」の現れであると捉えます。

アドラー心理学では、子どもの不適切な行動(問題行動)に対して、いきなりその行動自体を罰したり禁止したりするのではなく、まず背景にある理由を理解しようと努めます(ただし他者に危害が及ぶなど緊急避難が必要な場合は、その限りではありません)。

子どもが不適切な行動をする理由は、いくつも考えられます。アドラーの直接の弟子であるR.ドライカースは、子どもが人々の間に居場所(所属)を得る目的で不適切な行動を起こすことがあると考えて、そうした行動と目的を「子どもの行動の誤った目標」と呼び、以下の4段階に分類しました。

  • 注目・関心を引く
  • 権力争い
  • 復讐する
  • 無能力を誇示する

その後、野田をはじめとする多くの現代の研究者は、上記の最初の段階として、

  • 賞賛を求める

という項目を追加しています。それぞれの段階における基本的な対応は、それらの行動とは別の建設的な方法で、人々の間に所属を得ることができると子どもに学んでもらえるよう、親や周囲の大人、あるいは専門家などから勇気づけを行うことです。

ところで、「子どもの行動の誤った目標」という呼び方について野田は、その呼び方では親などの大人が、「子どもの行動がこのように不適切なのであって、そのように思う私の判断は適切だ」と受け止めて、その結果、子どもを一面的かつ一方的に裁くことにつながりかねないと懸念しました。というのも、ある子どもが上記の段階のうちのいずれかの振る舞いを見せたとしても、別の場所や異なる相手に対しては、全く違う振る舞いをすることが少なくないのです。本当に子どもの側だけに問題があるのなら、子どもは常に、あらゆる相手に対して同じように振る舞うはずです。

野田は、ある大人に対して子どもが不適切な振る舞いをするのは、その大人と子どもとの間に、そのようなコミュニケーションの構造があるからだ、と指摘します。上記の5つの段階についても、「こじれたコミュニケーションの5つの段階」として説明しました。改善すべきなのは、親と子どもの競合的なコミュニケーションのあり方であって、そうした一環として、子どもには家族や社会への建設的な所属の仕方を学んでもらうのです。大人もまた、競合的でないコミュニケーションの仕方を学ばなくてはなりません。

なお、子どもの不適切な行動の理由は、ここで述べたコミュニケーションの問題以外にも考えられます。たとえば発達段階の途上で何が不適切な行動かを知らない場合、不適切だと知っていても、本当にどうすればよいか分からない場合、あるいは障がいを原因とする様々な困難を抱えている場合などです。実際の育児では、これらの要因を除外した上で、はじめてこの「こじれたコミュニケーションの5つの段階」を検討していくことになります。

「賞賛を求める」とは、こじれたコミュニケーションの第一段階で、子どもが「褒められない自分には価値がない」という考えから、賞賛されることによって集団内の居場所を得ようと「適切な行動」をとる状態であり、賞賛が得られなくなるとその行動をやめてしまうため、その行動自体ではなく他の貢献的な行動に注目して勇気づける必要があります。

こじれたコミュニケーション(子どもの不適切な行動の目的)、その第一段階が「賞賛を求める」です。子どもは大人(特に親や教師)に褒められることで集団の中に居場所を確保しようとして、「適切な行動」をとろうとします。つまり、「褒められない自分には価値がない」という考えに基づいているため、これはすでに勇気がくじかれた状態と捉えられます。ここで注意すべきは、子どもが適切な行動そのものではなく、それによって賞賛されることを重視しているという点です。

こうした子どもの行動は、表面上は不適切な行動に見えません。大人は当初、こうした行動に喜びなどの陽性感情を抱き、褒めてあげたいと感じるものです。しかし、子どもが繰り返し賞賛を求めてくると、次第にそれを煩わしく感じるようになっていきます。そして、子どもは賞賛が得られなくなると、ただちに適切な行動をやめてしまいます。子どもを褒めて育てる場合の弊害がここにあります。しかし、だからといってここで単純に褒めるのをやめてしまったり、あるいは子どもが競争に負けるなどして賞賛を得られなくなったりすると、次の段階の行動に移行してしまうおそれがあります。

ここでの対応として重要なのは、子どもが賞賛のために行っている行動を褒めるのではなく、その子が意識せずに行っている共同体への貢献的な行動に注目することです。その子自身が「(褒められなくとも)自分には価値があり、ここに居場所がある」と感じられるよう、援助していくことが求められます。

「注目・関心を引く」とは、こじれたコミュニケーションの第二段階で、良いことや普通のことでは注目されず価値がないと感じた子どもが、いたずらや騒ぐといった困った行動をわざと行うことで、たとえ怒られてでも「無視されるよりマシ」と大人の関心を引こうとする状態です。

こじれたコミュニケーション(不適切な行動の目的)、その第二段階が「注目・関心を引く」です。これは、子どもが良いことで注目されない、あるいは普通にしていても注目されないと感じたときに、悪いことや困った行動をすることで、大人(特に親や教師)の関心を引こうとする行動です。例えば、わざといたずらをする、大声で騒ぐ、ふざけるといった、大人の側でうるさく感じられ、つい介入したくなるような行動がこれにあたります。注意をすると子どもはその行動をいったんやめますから、大人の方はイライラしますが本気で腹は立ちません。

ここで子どもは「自分には良いことができないし、普通にしていても誰にも見てもらえない。こんな自分には価値がない。」と感じているので、これもまた勇気がくじかれた状態といえます。このような状態にあっては、「無視されるよりは怒られる方がまだマシ」なのです。

ここまでの段階では、子どもはまだ比較的肯定的な注目を求めているため、大人からの適切な注目や関心、そして勇気づけを通じて、より建設的な方法で所属を得るように促すことができます。適切な行動に対して陽性感情をもって注目(正の注目)をしつつ、不適切な行動に対して陰性感情をもって注目(負の注目)をしないという関わり方が基本となります。ただし、単に無視したり罰したりするだけでは、注目によって居場所を得ようとする子どもの目標は達成されません。子どもは自分には価値があるとますます思えなくなって、さらに次の段階の行動に進んでしまう可能性があります。 

「権力争い」とは、こじれたコミュニケーションの第三段階であり、不適切な行動で注目を得ても居場所がないと感じた子どもが、特に罰や強制を用いる大人に対して「勝たないと価値がない」と考え、反抗的な態度やルール破りによって自分の力を示そうとする状態を指します。

こじれたコミュニケーション(不適切な行動の目的)、その第三段階が「権力争い」です。前の段階である「不適切な行動で注目・関心を得る」を試みても、所属が得られないと感じたり、自分には価値があると十分感じられなかった場合にこの段階に進みます。つまり、注目が得られなかったから、今度は相手に勝つことで所属を得ようとするのです。こうした姿勢は、大人が子どもの不適切な行動をコントロールしようと罰を用いたり強制したりした場合に現れやすくなります。子どもは、大人に勝たないと自分には価値がなく、自分の居場所がないと感じます。そこで大人に対して反抗的な態度をとったり、指示に従わなかったり、わざとルールを破ったりすることなどで大人と戦い、自分の力を示そうとします。

この段階は、いわゆる「ケンカ」の形のコミュニケーションです。大人の側では腹立たしく感じられますが、だからといって正論や力で押さえつけようとすれば、子どもの抵抗はさらに強まり、次の「復讐」の段階に進んでしまいます。重要なのは、コミュニケーションが権力争いの形になってしまったことに気づいたら、その争いから降りることです。もしどうしても感情的になる場合にはその場を離れ、冷静になってから改めて話し合うことが大切です。その際には、大人が自分の意見を言う前に、相手の話を裁かず十分に聞くこと。そして、子どもの行動の適切な側面を探したり、子どもはそもそも何を解決したかったのかを考え、そのために大人が協力できることはないか相談したりすること。これらが、こじれたコミュニケーションを改善するために重要となります。

この段階までは、当事者の力でなんとか解決できる可能性があります。ですが、この先の「復讐」や「無能力の誇示」の段階に進んでしまうと、解決のためには専門家など第三者の存在が必要になったり、専門家でも解決が難しくなります。ですから、この「権力争い」の段階から先に進まないようにすることは、極めて大切です。

「復讐する」とは、こじれたコミュニケーションの第四段階であり、それまでの段階(賞賛、注目、権力争い)で所属感を得られず大人に傷つけられたと感じた子どもが、自分を傷つけたと認識する相手に対し、物を壊したり嘘をついたりするなど意図的に相手が嫌がることをして仕返ししようとする状態を指します。

こじれたコミュニケーション(不適切な行動の目的)、その第四段階は「復讐する」です。これは、第一段階「賞賛を求める」、第二段階「注目を得る」、第三段階「権力争い」といったいずれの行動でも、所属感や自分には価値があるという感じが持てず、大人から傷つけられたり、不当な扱いを受けたと感じたりした場合に現れます。子どもは、直接的には相手に勝てないと悟ると、間接的な方法で相手を傷つけようと試みます。つまり、自分を傷つけたと認識している相手に対し、意図的に相手が嫌がることや困ることを相手の見えないところで仕掛け、仕返しをして相手を傷つけようとするのです。例えば、物を壊す、嘘をつく、陰湿ないじめをするなどの行動です。非行に走ったり、神経症的な症状を出す事もあります。

この段階の子どもは深い絶望感や憎しみを抱いていることがあり、その場合、罰や叱責はもちろん、普通に話しかけることさえも、かえって復讐心を煽るだけとなります。大人の側も深く傷つくことの多いこの段階は、もはや当事者どうしでは解決できません。そのため、こじれたコミュニケーションは、一つ前の「権力争い」の段階で止めておく事が極めて重要となります。この復讐の段階では、第三者であるカウンセラーや心理療法士といった専門家の介入が必要になります。あるいは第三者でこの子どもと良好な関係を築いている大人がいれば、その方の援助を仰ぐ方法があります。

「無能力を誇示する」とは、こじれたコミュニケーションの第五段階であり、それまでの段階(賞賛、注目、権力争い、復讐)でも所属感が得られず自分に全く価値がないと深く絶望した子どもが、あらゆる建設的な努力を放棄し、「自分は無価値だから放っておいてくれ」という態度を示す状態を指します。

こじれたコミュニケーション(不適切な行動の目的)、その第五段階は「無能力を誇示する」です。これは、それまでの段階(賞賛、注目、権力争い、復讐)を経ても所属している感じが得られず、自分には価値がまったくないと感じている、きわめて勇気のくじかれた状態を指します。何をしても無駄だと深く絶望し、あらゆる建設的な努力を放棄してしまい、「自分は無価値で役に立たないんだから、あきらめてほっといてくれ」という態度を示すのです。極端な場合には、犯罪を繰り返したり、深刻な精神的症状によって入退院を繰り返すといった状態に至ることもあり、親の側としてもそうした行動に絶望してしまうことは少なくありません。

この段階にある子どもへの対応は極めて難しく、専門的なトレーニングを受けたカウンセラーや心理療法士や医師といった専門家の介入があっても、改善や治療が難しい事もあります。

カウンセリングと応用

アドラー心理学のカウンセリングは、クライアントが共同体感覚を育て、「競合」的な生き方から「協力」的な生き方へと移行するための「学び(再教育)」のプロセスであり、アドラー心理学の理論に沿って事例を分析し、クライアントの仮想的目標が協力的か競合的かを吟味し、より協力的な目標の実現を目指して新たな行動計画を立てる点に特徴があります。

アドラー心理学のカウンセリングは、単なる悩みの相談や気休めではなく、クライアントがより良い人生を送るための「学び」のプロセスです。洞察を重視し、必要であれば助言も行います。
その原理、具体的なプロセスは明確に示されており、カウンセラーや心理療法士には、医療関係者と同等かつ、アドラー心理学のプロバイダー(供給者)としての倫理的責任が求められます。

アドラー心理学のカウンセリングや心理療法の最終目的は、クライアントが共同体感覚を育てること、つまり「競合」的なあり方を抜け出して「協力」的なあり方を学ぶことです。アドラー心理学では、人間関係における問題や不幸の唯一の原因は、物事を「競合」的に捉えることにあると考えます。競合とは、相手と自分とを比較し、善悪・正誤・美醜・優劣・勝敗などの価値観でもって人の価値を決めようとする心の持ち方です。「相手が間違っている、自分が正しい」と裁くこの態度は、人間関係を勝ち負けの闘争にしてしまいます。それに対して協力とは、ある価値観において人間の価値を決めようとするのではなく、相手との違いを認め合った上で対等な立場で、力を合わせて問題を解決しようとする心の持ち方です。アドラー心理学のカウンセリングや心理療法は、この「競合」的な生き方から「協力」的な生き方へと移行するための再教育の場ですが、カウンセリングでは主に「エピソード分析」を用いてライフタスクに関する問題を解決することを目標にし、心理療法では、「ライフスタイル分析」によってライフスタイルに関する問題を解決することを目標にします。セッションの始まりには「前回はどんなことを学ばれましたか?」最後には「今日はどんなことを学ばれましたか?」と問われ、この学びをクライエント自身が言語化する事によって再認識できるようにします。

一般的にアドラー心理学のカウンセリングでは、ある日あるところで一度だけ起きた、陰性感情を伴う出来事の話(エピソード)を素材にします。エピソードの中でのクライエントの「思考」「感情」、「目標」を探し、分析します。そして、エピソードの中でクライエントがとった行動について、次に似たような場面があったら、エピソードでとった行動の代わりにそんなことができそうか、行動の代替案を考えます。この時出た代替案などが「宿題」となることがあります。

カウンセリングや心理療法で扱う人間の行動は、すべて「相対的マイナスから相対的プラスへの目標追求」という原理に基づいていると理解されます。人は、何か問題を感じる状況(相対的マイナス)に陥ると、それを解決し、より理想的な状態(相対的プラス)を目指して行動します。この「相対的プラス」の状態は、多くの場合、本人が無意識に抱いている非現実的で空想的な「仮想的目標」です。

この原理に基づき、カウンセリングは以下のステップで進められます。カウンセリングでは、この仮想的目標が「競合的」なのか「協力的」なのかを分析することがポイントになります。カウンセラーは、エピソードを聞き終えた時点で、このプロセス全体のシナリオを見通すこととができるよう、トレーニングが必要になります。

以下に示すのは、元来欧米の言語体系で構築されたアドラー心理学のカウンセリング手順を、日本語話者に理解しやすくやりやすく工夫した、『エピソード分析』の手順です。

  1. エピソードの聴取:
    「ある日、ある所で、一回だけ起こった、陰性感情を伴う出来事」を、客観的な事実として正確に聞き取ります。これが分析の出発点となります。
  2. 対処行動の特定:
    物語を最も大きく動かした、クライアント自身の具体的な行動や言葉を「対処行動」として特定します。
  3. ライフタスクの特定:
    その対処行動のきっかけとなった、相手の言動を「ライフタスク」として特定します。
  4. 仮想的目標の言語化:
    ライフタスクが理想的な形で解決された状態がどのようなものかを推量し、「仮想的目標」を言語化します。
  5. 協力的目標/競合的目標の判断:
    明らかになった仮想的目標が、協力的目標(一緒に問題を解決する方向性の目標。相手も納得してくれそうな目標)または競合的目標(相手を裁いたり、上下関係を決めようとしたりする。実現すると自分にとってはうれしいが、相手は同じようにうれしいとは思ってくれなそうな目標)のどちらにあたるかを、クライアントと共に吟味します。
  6. 新しい行動計画の立案:
    目標が協力的な場合は、その目標を達成するためにより有効と思えるような、対処行動の代替案(例:目標をそのまま相手に伝える)を考えます。
    目標が競合的な場合は、その目標を無理に達成しようとすると相手との関係が悪くなります。この場合は相手も納得してくれそうな協力的な目標を探し、その目標を達成するための、対処行動の代替案を一緒に探します。

なお、すべてのセッションの全過程を通じて基本となるのが、R.ドライカースの提唱した「治療的人間関係」、つまり、「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」という良い人間関係を終始築き、カウンセラー(心理療法士)とクライエントの共同作業を続けることです。アドラー心理学のカウンセリングは、教育的ではありますが、教示的ではありません。

アドラー心理学のカウンセラー(心理療法士)であるためには、まず自分自身の私的感覚や競合性を知り、日常生活でアドラー心理学の理論と思想にもとづいて物事を考え行動できるようになること、自分の私的感覚や私的論理を脇に置いて相手の話を聞いたり物事を考えられるようになることが必要です。

アドラー心理学のカウンセラーは、単なる技術者である「ユーザー」とは一線を画す、「プロバイダー(供給者)」として、以下の三つの重い倫理的責任を負っています。

  • 理論への忠実性:アドラー心理学の「基本前提」を正しく理解し、それを崩さずに伝える責任。もし同意できないなら「アドラー心理学」を名乗るべきではありません。
  • 思想の実践:「共同体感覚」という思想を、自らの実生活の中で実践し続ける責任。日常生活で競合的に暮らしている人に、協力的なカウンセリングはできません。
  • ムーブメントへの貢献:アドラー心理学を、より良い世界を実現するための社会運動(ムーブメント)と捉え、それに貢献する責任。これは、過去から未来にわたる世界中のアドレリアンに対する連帯責任を意味します。

この責任を果たすためには、海外の技法を文化的な風土を無視して輸入するのではなく、日本の文化に根差した実践(例:日本における「課題の分離」の重視など)が求められます。また、アドラーや他の先達の著作を「聖典」のように深く読み込み、その思想だけが人類を救済するというほどの確信と、自らの人生を懸けるほどの「覚悟」がプロバイダーには不可欠であるといえます。

身近な方からのご相談では、それがどんなご相談なのか、その相談で何を目指すのかを丁寧に確認します。相手への尊敬と信頼を忘れずに、自分の価値判断で相手を裁いたりせず、なるべく具体的なエピソードに沿いながら話を伺い、相手の方が何に困っていてどう解決したいのかを明確にします。ここで大切なのは自分に陰性感情がないかを終始観察することです。陰性感情があれば、よい相談にはなりません。

身近な方からの相談に乗る際のアドラー心理学からのアドバイスとしてはまず、それはどのような相談なのか、この相談で何を目指すのかを、相談する方とされる方両者が共有することです。

相談に乗ることになったら、相手への「尊敬」と「信頼」を持って、まずは相手の話を自分の価値判断で裁くことがないように、相手の話をよく聞きます。そして、相談する人が何に困っていて何を解決したいと考えているのかを明確にします。具体的な「エピソード」を素材にすると、問題の「原因」ではなく「どうなればいいのか(解決像)」を明らかにすることで、その解決像を実現するためにどのようなことができるかを一緒に考えていく事ができます。大切なのは、自分に陰性感情が出ていないかを終始観察することです。自分に陰性感情がある時は、よい相談はできません。

  1. 相談の時は「相談的人間関係」を保持する
    相談に乗る時に大切なのは、技術はもちろんですが、相手に対する向き合い方が極めて大切です。
    アドラー心理学では、相談にあたっての人間関係を「相談的人間関係」と呼んでとても重視します。これは、カウンセラーとクライエント、医師と患者、医療関係者と利用者、教師と生徒、などの「相談する/される」関係においてはもちろんですが、友人同士、夫と妻など、普段は「相談する/される」関係にない場合でも、「相談していい?」「いいですよ。何ですか?」という一往復の会話であってもお互いが「相談する/される」関係になったその瞬間から必要になります。
    また、相談に乗る側が、善かれと思ってつい「自分が相手を助けてあげなければ」「正しい道に導いてあげなければ」といった、相手への支配的な考え方にとらわれてしまうことがあります。このようなときは相談がうまくいきません。こうしたときも「相談的人間関係」について点検すると、道が開けることがあります。
    「相談的人間関係」については 「Q アドラー心理学カウンセリングにおける「相談的(治療的)人間関係」とは何ですか?」をご参照ください。
  2. まずは相手の話を聴く
    相手がこちらにどんなことを望んでいるのか(聴くだけでいいのか、アドバイスがほしいのか、一緒に解決を考えてほしいのか、など)、相手が何を問題と考えているのか(現状)、相談の結果どうなったらよいと考えているのか(目標)、などをききましょう。相手の話を、途中で遮らずに、最後まで聴きます。もし相談内容が自分では対応が難しい場合や、自分には無理と思われた場合は、相談を引き受けるのを断るほうが、おたがいにとって建設的である場合もあります。
  3. 自分の陰性感情に注意する
    相談をしていて、あるいはされていて、どうしても陰性感情が出てきてしまうことがあります。陰性感情を持ったままでは、なかなかよい結果にはつながりません。どちらかが陰性感情を持つときには大抵、もう片方も陰性感情を多少は持っていて、なんだかうまくいかないな、とお互いに感じていることが多いのです。相談中どうしても陰性感情を持ち続けてしまうようなら、一旦相談を中止して落ち着いたら再開するか、あるいは別の人と相談をすることにするかなどを検討する方がよいことがあります。
  4. 「どこから」ではなく「どこへ」を探す
    アドラー心理学の基本前提に「目的論」という考え方があります。人の行動の原因よりも目的を見ようとする考え方です。相談の時にも、今起きている問題について、その原因を探して除去しようとする方向ではなく、今の状態が結局どうなればいいのか、解決像を見つけてそれを実現するための行動を考える方向で進めると、できる事が見つかりやすいです。

このほか、具体的な技術に関心をお持ちの方は、まずアドラー心理学基礎講座応用編などを、カウンセリングについて勉強されたい方は基礎講座の後カウンセリング講座などを受講されることをおすすめします。

Tags: 協力, 目的論

アドラー心理学を教育現場で活かすには、アドラー心理学の理論、特に「目的論」に沿って様々な問題を考えることと、教師が生徒に対して「協力的な横の関係」でコミュニケーションをすること、この2点に注意が必要です。この土台の上に立つことによって、教科や人との関わり方など、将来社会をつくって行く人として必要な様々なことを、「賞罰」ではなく「勇気づけ」で学んでもらうことができます。

アドラー心理学を学校教育の現場で活かすためには、さまざまな機会に次の二つの点に注意することが重要です。

一つはアドラー心理学の理論、特に「目的論」にもとづいてものごとを考えているかに注意することです。
もう一つは、教師自身の、子どもたちをはじめとした他者との向き合い方にいつも注意を向けていることです。教師が「縦の関係」をつくる「競合的」な構えを持っていると、クラス全体も競合的な雰囲気になってしまって、いわゆる問題行動をする子どもが出てきたり、子ども同士の仲が悪くなってしまうことにつながります。反対に、教師が「横の関係」をつくる「協力的」な構えを持っていると、クラス全体が「協力的」な雰囲気になり、あたたかく、お互いに助け合うクラスになりやすいです。

ではそれぞれの注意点について、もう少し深く見ていきます。

  1. 「目的論」で問題を見る。
    アドラー心理学の基本前提のなかに「目的論」という考え方があります。
    クラスで起きた問題について考える時に、何が原因かではなく、どういう風になったよいのかを考える視点につながります。また、生徒の問題行動について考える時も、その子は何が原因でその行動をするのか、よりも、何のためにその行動をするのか、について考えると、問題解決の糸口が見つかりやすいとアドラー心理学は考えます。

    教師が問題だと感じるような行動をする生徒がいるときに、その行動の原因を考えてそれを取り除こうとしても、物理学や化学のようにははっきりとした原因が見つからないことが多いです。原因が見つからないときに原因を取り除くことは無理でしょう。行動の原因ではなく目的を考えるなら、その目的(目標)が、実現しても問題のないものであれば、目標が実現できるような他の行動を考えればよい、ということになります。

    人のすべての行動の究極的な目標は「所属」だ、とアドラー心理学は考えます。つまり、人の行動の目的は集団(社会)の中に自分の居場所を確保すること、と考えるのです。居場所を確保すること自体は、よい目的(目標)です。ひょっとしたら、生徒の「問題行動」も、クラスへの「所属」あるいは教師との「所属」という、本来よい目的(目標)のために行われているのかもしれません。そうであれば、生徒にその行動を改めさせる、という方針よりは、別の(問題とならない)行動で目標実現ができるように援助する方が、その生徒にとってもクラス全体にとってもプラスの方向へ向くと考えます。
    さらに関心がある方はぜひ、「Q こじれたコミュニケーションの5つの段階」をご参照ください。
     
  2. 「競合的な構え」と「協力的な構え」、「縦の関係」と「横の関係」
    競合的な構えは縦の関係をつくり、協力的な構えは横の関係をつくり出します。
    競合的な教育の中には、「権威的」な教育と「放任的」な教育があります。
    権威的な教育では、教師が生徒に命令し管理し生徒を支配しようとします。生徒は恐怖心から規律を守りますが、「権力を手に入れて弱い者を支配しよう」「強い者の前ではいい子でいて、陰では何をしてもいいや」などと考えるようになります。
    放任的な教育では、生徒のすることを何でも容認します。一見優しそうに見えますが、ウラを返せば無責任ということになります。限界を設定しないので、生徒は「自分がやりたいことは何をしてもよいのだ」と考えるようになり、自分で責任を取ることや、社会の中でしてはいけないことを学べません。また、自分がしたいことができないと、「自分がやりたいことができないのは○○のせいだ」などと、他者や社会を責めたりするようになるかもしれません。
    協力的な教育は「民主的」な方法をとります。教師は「教師と生徒は立場が違うが人間としては対等である」と考え生徒を「尊敬」「信頼」し「横の関係」を築きます。教師としての責任を果たし、生徒とたえず協力して問題を解決しようとします。そのような教師のあり方から生徒は責任を学び、教師とも、生徒同士も、協力し、話し合って物事を解決しようとするようになるでしょう。
    競合的で権威的な教育で使われるのが「賞と罰」という方法で、協力的な教育で使われるのが、「勇気づけ」です。

アドラー心理学を教育現場で活かすために不可欠なのが、以上の2点です。

次に、これらの点に注意しながらどんなことをしていくのがよいか、について述べます。

アドラー心理学では、人間が協力的な横の関係にもとづいて暮らせるのがよいことだと考えています。「勇気づけ」を行っていくことは、アドラー心理学を教育現場で実践することに他なりません。

「勇気づけ」の基礎と応用
それでは、「勇気づけ」というのはもう少し具体的にはどういうことでしょうか。アドラーをはじめアドラー心理学の先人たちは「勇気」や「勇気づけ」について様々な表現を用いています。野田俊作は育児学習コース『パセージ』で「『勇気づける』というのは、子育ての心理面の目標、1)私は能力がある。2)人びとは私の仲間だ。に向かうように、子どもを援助することです。」と述べています。
『パセージ』ではそのための実践的な方法を、段階を踏んで学んでいきます。
そのうちここでは最も基本的なことだけをご紹介しますと、

  • 子どもの話を聴く
  • 子どもの適切な行動や適切な側面を探す

この2つとなります。

「勇気づけ」というのは、ある特定の「言葉がけ」や行動などでは決してありません。ある言葉や行動が勇気づけになるかどうかは、教師の「構え」によっても違いますし、個々の子どもによっても違います。
たとえば子どもの話を聴くときに、「この子は困った子だ。なんとかしてあげなければ。」と思いながら聴くのと、「この子は困った行動をしたけれど、悪い子ではない。よいところもたくさんある。この子は何を望んでいるのだろう?」と思いながら聴くのでは、「勇気づけ」になるかどうかが全く違ってきます。また、たとえば「がんばれ!」という言葉が勇気づけになる子どももいますし、この言葉で勇気をくじかれてしまう子どももいます。ですから、何がその子にとって勇気づけになるかを知るためには、いつでも子どものことを観察していることと、プラスの感情を持って子どもとコミュニケーションすることがとても大切になります。

上述のような注意点や小さな実践を基礎としながら、さらに発展した実践として「クラス会議」を行う事ができます。
クラス会議は、みんなで自分たちのクラスをよりよいものにしていくためのものです。教師と生徒や生徒同士が協力的な横の関係で行われると、とてもよい勇気づけの場になります。ここでは教師は「ボス」ではなく「コーディネーター」の役割になります。クラスは、お互いに援助し会う場になり、クラスのルールなど決め事もここでみんなで決める事ができるようになるので、生徒は「民主的」な方法を学ぶ事ができます。

こうした事を実践するためには、文字情報ではなく講座で体験から学ぶのが効果的です。まずは基礎講座のご受講をおすすめします。

参考図書:『アドラー心理学でクラスはよみがえる』野田俊作・萩 雅子,創元社,2017

現代社会とアドラー心理学

アドラー心理学を学ぶことで、自己理解が深まります。人間関係において「相互尊敬」「相互信頼」「協力」「目標の一致」「勇気づけ」「葛藤解決」などを学ぶことを通じて、自分の人生を主体的に切り開き社会と調和した生き方について知ることができます。

アドラー心理学を学ぶことで期待できる個人の変化は多岐にわたります。

まず、周りの人との関係において、相手と協力的な関係になるには自分はどうしたらよいかを知ることができます。人間関係は、例えば子育てや家族関係、教師や保育士など子どもに関わる方の人間関係、職場の人間関係などで、困りごとや悩みについて解決に向け、実際に起きた「エピソード」を基に学ぶことができます。

自己理解が深まり、自分の行動や感情の背後にある目的や自分自身が大事にしている価値観に気づくことができ、相手と協力できる目標を見つけることができるようになります。これにより、実践を重ねていくうちに、不適切な行動のパターンを抜け出して、より建設的な生き方を選び取る力が養われます。

また対人関係において、相手を尊敬し信頼し協力し目標の一致をとることや葛藤の解決方法などを学ぶことで、競合的な関係から協力的な関係に変容し、不必要な摩擦や悩みが軽減されるでしょう。さらに、「共同体感覚」を学び「勇気づけ」を実践することで、自分自身や周囲の人とともに人間的成長が得られるかもしれません。例えばアドラー育児を学び、親子で話し合い、親子で一緒に成長するように。

総じて、自分の人生を主体的に切り開き、社会と調和した生き方を実現するための知恵と勇気が得られるでしょう。

トラウマ・原因論の否定について

アドラー心理学は、トラウマが現在を決定するという原因論の立場をとらず、むしろその経験に本人自身がどのような意味づけを与え、それを現在の暮らしの中で「目的」のためにどう用いているかを重視し、その意味づけは見直し可能であると考えます。

トラウマに関しては、フロイトの精神分析学が主張するように、現在の行動や感情のすべては過去の心的外傷(トラウマ)によって直接的に決定されている、という考え方と、現代の精神医療分野の知見が示す、「トラウマ」の生理的影響からPTSD等でみられるような症状が発現したり発達過程に広範な影響を与えうる、といった点が広く知られています。アドラー心理学は後者の生理的側面の重要性を踏まえつつ、以下のように、精神分析学の主張とは異なる立場をとります。

アドラーはトラウマについて、「私たちは経験による衝撃――いわゆるトラウマ――に苦しむのではなく、自分の目的に合うようにそれを解釈するのだ。」と述べています。アドラー心理学ではこのように、個人は自分の経験する出来事を主観的に、つまり自分の「私的意味づけ」に沿うように解釈し、利用して暮らしていると考えます。

そのため臨床では、ある経験に対して個人がどのような「意味づけ」をし、現在の人生を生きていくにあたってそれらをどのように用いているかという点を重視します。トラウマの経験を用いるよりも他に、人生の目標を達成するために有効な方法があるとわかると、より建設的な生き方を見出す可能性が開かれます。このように、アドラー心理学はトラウマに関してフロイト的な原因論の立場には立ちません。

ただし、ある体験をきっかけとして人に身体・精神症状が出現することがあること自体については、アドラー心理学は否定するものではありません。深刻なトラウマ体験による影響から回復するには、専門的な治療や長期的な心理的支援が不可欠となる場合があります。出来事をきっかけに個人が緊急的な、あるいは重篤な心理的危機に陥っている場合は、まずは精神科医療や危機介入に関する心理専門職の方の介入が優先されます(アドラー心理学の適応範囲についてはAIJアドラー心理学カウンセラーにお問い合わせください)。

世間で言われているような「アドラー心理学はトラウマを否定する」というような表層的な考え方をもとに、深刻な体験をきっかけに実際に苦しんでいる人に向かって「トラウマなんて気のせい」などと伝えるようなことは、あってはなりません。

アドラー心理学は、深刻な虐待や災害による苦しみを「利用しているだけ」といったような軽々しいものとは決して考えず、むしろその苦しみや不安などを、直面した脅威から「自分の身を守る」という切迫した目的のため個人全体が用いていると捉えます。

目的論に関するお尋ねかと思います。アドラー心理学では、感情や思考もまた何らかの目的を実現するために個人が主体的に用いていると考えます。個人は、自分にとって重大な意味があるからこそ他ならぬその感情を用いるのであって、「利用しているだけ」などといった軽々しいものではないのです。アドラー心理学は、深刻な虐待や恐ろしい災害に合われた方の、苦しみの現実やその深さを否定するものではありません。その後も続く気持ちの動転や強い不安まで含めて、それらは人間に本来的に備わっている、自分の身を守るための重要な仕組みであると考えます。つまり、こうした場合に出てくる様々な感情や思考も、全体としての個人が、遭遇した脅威に対応し、その先も社会の中でよりよい状態で生きていくために用いている、最大限の努力なのである、と考えるのです。

しかし、本来は身を守るためのそうした心身の働きが強まりすぎて、かえってご本人があまりにも暮らしづらさを感じておられる場合は、専門家による治療を検討されたほうがよいと考えています。ことに、非常に強い衝撃を受けるような出来事をきっかけに緊急的な心理的危機を引き起こしている場合は、一般的にはアドラー心理学によるカウンセリングや心理療法の適応とはなりません。その場合は、精神科医や危機介入を専門とする心理師の方の介入が優先されます(詳しくは危機介入というキーワードでお調べください)。

そうした上で、アドラー心理学のカウンセリングが必要とされる場合には、医療にかかっているときは主治医の承諾を得た上で、まずその方がご自分の体験にどのような意味づけをされて、それに基づいていまどのように生きておられるかについて焦点を当て、そこから、これからどうしたらより建設的な方向へ進めるかを、ご本人に寄り添ってご本人と共に考えていきます。

アドラー心理学では、たとえ問題の過去の原因が分かっても、それだけでは解決しないことが多い、という実践的な立場から、「原因探し」に終始するのではなく、本人が「どのような理想的状態に向かって行動を起こしているのか(目的/目標)」を明確にし、それが本人や人々にとって適切なものならば、その達成のために「何ができるか(行動)」について話し合い、そうした行動へと本人を勇気づけます。

アドラー心理学の臨床では、ある実際のエピソードのなかで、具体的な「対処行動」がどのような仮想的目標を実現するために行われているかを確認し、その目標やそれを実現するための対処行動が適切なものであるか、つまり、社会的に受け入れられる目標や行動かを検討します。その上で、新しい目標やそれを実現するための実際的な代替行動について話し合い、そうした目標や行動をご本人が選択できるよう勇気づけます。そこでは原因の代わりに目的(目標)に焦点を当てることで、洞察と具体的な行動変化を促し、問題解決を目指すのです。

Tag: 目的論

アドラー心理学ではすべての行動に無意識的な「目的(目標)」があると考えますが、自分ひとりでそれを探るのは非常に困難です。そのため、他者の視点も介在するカウンセリングやグループワークなどで、具体的なエピソードからアドラー心理学の理論と臨床技法に基づいて分析を行い、もし必要ならばより建設的な目的(目標)を見つけ出して、その実現に向けて新しい行動をとれるよう勇気づけを行います。

人は「相対的マイナス」すなわち「現状」から、「相対的プラス」すなわち「目標/目的」を目指して行動する、というのが、アドラー心理学の基本的な考え方です。つまりアドラー心理学では、すべての行動には何らかの「目的」があると考えます。通常この目的は無意識的なものです。一つ一つの行動のレベルでもその行動の目的を考えることが可能ですし、そうしたいくつかの行動に共通する目的を考えることは、ライフスタイルを知ることにつながります。

ご質問はそうした自分の行動の目的を、自分で見つけ出すにはどうするか、というご主旨かと思いますが、結論から申し上げますと、自分自身で見つけ出すことは非常に困難です。
人の行動というものは、その人独特のものの見方に裏付けられています。行動の目的に気がつくとは、その人ならではのものの見方を探り、それに気がつくことでもあります。
しかし、自分で自分のものの見方を見ようとしても、なにしろそのときも「自分固有のものの見方」を通してそれを見ているのですから、ちょうど色のついたガラス越しに同じ色を見ようとするのと同じで、なかなかその特徴を掴むことができません。たとえ自分の周りの他人には一目瞭然でも、自分だけは、それがどういったものか分かりにくいのです。

ですから、普通の日常でのある行動の目的もそうですが、ご自身のあらゆる感情や思考、行動全体に一貫する「目的(目標)」を見つけるとなると、他者の視点を経由して探るほうが正確な答を得やすくなります。ここにカウンセリングやグループワークの意味がある、といえます。アドラー心理学のカウンセラーによるカウンセリングや、エピソード分析を学ぶグループワークでは、クライアントの実際のエピソードをもとに、アドラー心理学の理論と臨床技法に基づいて、そこでの本人の感情の動きや行動のパターンを分析し、背景にあるその人固有のものの見方や目的(仮想的目標)を、あたたかな受容的な雰囲気のなかでクライアントとともに誠実に探求します。そしてもし必要があれば、ご本人と周囲にとってより建設的といえる新しい目的(目標)を見つけ出して、それを実現するための新しい行動を選択することへの勇気づけを行うのです。

後悔という感情自体は経験を次に活かすための自然なものですが、過去に捉われて「今やるべきことができない」状態が続く場合、アドラー心理学ではそこに別の目的があると捉えます。それは、過去のせいにして無意識的に現状維持を正当化したり、不幸を強調して周囲の同情や援助を得たりすることかもしれません。そのためカウンセリングでは、後悔を未来への学びに変え、「これからどうするか」に目を向けられるよう勇気づけます。

後悔という感情自体は、他の、例えば怒りや不安などといった感情と同じように、自然なものです。通常は、次に同じような事があったときにはこのときとは別の行動を選択しよう、といったような、警告や教訓、あるいは別の行動をとるためのエネルギーとして使われます。しかし、後悔している出来事からすでに歳月が過ぎているにもかかわらず、いつまでも「あの時こうしていれば」という思考や後悔の感情をあまりにも強く持ち続け、「そのために今やるべきことができない」といった状態にある場合は、そこには何か別の「目的」が隠れている可能性があるとアドラー心理学は考えます。つまり、「あの時違う選択をしていれば、今の苦労はなかったのに」あるいは、「あの出来事のせいで今、○○ができない」と思い詰め、無意識的に、現在の困難を過去の出来事のせいにして現在の行動を正当化していたり、目の前の課題に向き合うことを避けたり、周囲に「あの時の選択や出来事のせいで、こんなに私は不幸だ」と強調することで同情や援助を求め続けていたりする可能性があり、それはあまり幸福な暮らし方ではないとアドラー心理学は考えます。アドラー心理学のカウンセリングでは、その人がその感情を伴う出来事を未来への建設的な学びに変え、「これからどうするか」に目を向けられるよう必要な時間をかけて勇気づけるでしょう。

承認欲求の否定について

アドラー心理学は他者からの承認を得ようとすること自体を否定するのではなく、他者からの承認を「行動の唯一の目的」とすることを問題視しており、真の貢献とは他者からの承認が得られるかどうかにかかわらず、社会(共同体)に有益な行動を選択することだと考えます。

アドラー心理学の立場は、他者から承認されようとすることを、何もかも否定するわけではありません。他者に対して貢献的な行動をした結果、他者からの承認・賞賛を得られたとしても、何も問題はありません。

問題なのは、他者からの承認や賞賛を得ることが、自分の行動の目的になってしまう場合です。そうした見返りのためだけに誰かの役に立とうとするのなら、アドラー心理学でいうところの共同体感覚に基づいた貢献とはいえません。なぜなら、周りに認めてくれる人がいなければ、その人は貢献的な行動を起こすことがないからです。そうではなく、社会(共同体)の一員として、これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろうと考えて、そこで社会(共同体)に有益な行動を選択することこそを、私たちは真の貢献であると考えています。

ですので、他者からの承認は、それを目的や目標にすべきものではなく、あくまで良い行動を行ったときに、相手から自然に返ってくる態度のひとつにすぎないと考えています。

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人に褒められることや自信を持つことばかりを目的にすると、認められないときに落ち込んで、やる気をなくしてしまいます。認められたい気持ち自体は自然ですが、一番大切なのは褒められることではなく、周りのみんなの役に立とうとすることです。

「承認欲求(esteem needs)」という用語を最初に用いたのは、アブラハム・マズロー(1943)です。つまりこの概念はそもそもアドラー心理学の体系とは別のところにあり、アドラー心理学ではふつうこの言葉は使われません。ただ「承認欲求」という言葉は、世の中で「他者からの名声、評価、注目、尊重への欲求」という意味合いの言葉として定着していますので、ここではそのように解釈し、次のように考えます。

他者からの承認が行動の最大の目標であれば、それが得られなければ自己肯定感が低下したり無気力になったりする可能性は高いと考えられますが、アドラー心理学は自己肯定感そのものを最上の価値だとみなしません。

他者から承認されたり賞賛されたりすることを何よりも大切に思っていて、それが対人関係上の最大の目標になっていると、何かの理由でそれらが得られなくなったとき、無力感や悲しみ、悔しさなどで打ちのめされる可能性は、確かに大きいはずです。それらの陰性感情は、自分の期待が満たされない事態に遭遇した時にこそ感じる感情だからです。しかしそもそもアドラー心理学では、他者から承認されたり賞賛されたりすることだけを目標に暮らすことを、健全な生き方だと考えていません。それでは、それらが得られなければ貢献的な行動しないことになるからです。

ここで、時々誤解がみられるため申し上げますが、アドラー心理学は自己肯定感や自尊心を何よりの価値とするものではないのです。それらの維持や向上だけを目指す生き方は、アドラーのいう自己執着(Ichgebundenheit)のひとつであり、共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)とは明確に矛盾します。共同体感覚を平たくいえば「これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう」と考えることです。他方、自己執着とは、「これは私にとってどういうことだろう。私がしあわせになるために私はなにをすればいいだろう」と考えることです。自己肯定感や自尊心を第一に守ろうとすることは自己執着であり、自己執着は共同体感覚とは反対の考え方なのです。

もちろんアドラー心理学は、人が他者からの承認を求めることそのものを否定するわけではありません。人は社会的な生き物ですから、人々に認められたいと思うことそれ自体は、ごく自然な思考といえます。また、社会(共同体)の一員として役立ちたいという気持ちから行動し、その結果として感謝や承認が得られることに、何か問題があるわけでもありません。しかし承認を得ようとすることが、人々に様々な形で役立つことよりも大切になってしまえば、それは本末転倒だと言わねばなりません。

褒められることを主目的にすると、褒めてくれる人の存在や褒められる物事に依存してしまい、個人の成長からは遠ざかると考えます。

褒められることを目標とするのではなく、人々に貢献する行動による成果や、そうした行動そのものに意味を見出すことが望ましいと考えます。行動の結果を褒められれば嬉しく感じるのは自然な感情といえますが、褒められることが主たる目的になると、褒めてくれる人が常に身近にいないと努力ができないか、あるいは、誰かに成果を褒めてもらえる物事しか行わなくなるでしょう。それでは個人としての成長からは、ほど遠いのではないでしょうか。

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実践の難しさ・現実との乖離について

目的論は感情を「割り切る」ものではなく、アドラー心理学の実践では、その感情が対人関係で持つ「目的」を理解し、抑圧や発散とは異なる建設的な表現方法を学ぶことを目指します。

アドラー心理学は、人は理性も感情をも含む個人「全体」として、何らかの目的に向かって行動するという目的論の立場をとります。目的論から考えるなら、陰性感情(怒り、悲しみ、嫉妬など)を表出することも目的に向かって個人が選択する行動のひとつである、ということになります。

そもそも感情というものが、何らかの原因で勝手に生じて、「割り切る」などしないかぎり抑えられないという捉え方は、目的論ではなく原因論にあたります。また、個人の中で感情と理性が対立し続けるかのような捉え方は、全体論ではなく要素論といえます。いずれもアドラー心理学の考え方ではありません。

アドラー心理学の実践において大切なことは、自分自身の感情や思考、そして実際の行動が、対人関係の中でいったい何を「目的」としているかを理解することです。「目的」が分かれば感情は自然と消えていくこともありますし、そのままにしておくという選択肢もあります。そうして、今より少しでも社会に対して建設的かつ貢献的な対処方法を学んでいくことで、人は成長することができるのです。

もちろんたやすいものではなく、くりかえし練習することが必要です。自分ひとりで取り組むのは難しいので、本で学ぶだけでなく、講座やワークショップでの実践的な学習や、ともに学ぶ仲間のいるアドラー心理学の自助会などが助けになるでしょう。。

自己受容は確かに厳しさを伴いますが、しかし自己受容を避けると達成不可能な目標を追い求めてしまったり何もかも自分で抱え込んだりなど、さらに厳しい道が待ち受けています。

「自己受容が難しい」という状態は、アドラー心理学の言葉でいうなら「自己概念が低い」あるいは「劣等感が大きい」ということになろうかと思います。野田俊作の恩師バーナード・シャルマンは、「劣等感と優越目標は反比例する」と言いました。つまり自己受容ができない人は、非現実的なほどに高い目標を目指しがちです。高すぎる目標は当然達成できませんから、ますます「自分はだめな人間だ」と思い込む、というループにはまってしまいます。

アドラー心理学は「自分を勇気づける」こともまた大切にします。まずは、自己勇気くじきの目標を知ることから始めましょう。そして自分の短所ではなく長所(パーソナル・ストレンクス)を探してみましょう。次に、それをどう組み合わせれば、他者や共同体のために貢献できるかを、ゆっくり考えていきましょう。共同体のために生き始めれば、共同体の中に居場所ができ、自然と劣等感が小さくなっていくことが多いです。

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その他の疑問

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アドラー心理学の「目的論」は、他の基本前提と不可分であり、あらゆる欲求や行動の追求を無条件に正当化するものではありません。「欲求」は行動の原動力ではなく、個人が特定の目的を達成するために主体的に創り出す「道具」と定義されます。アドラー心理学は、共同体感覚に照らしてその目的が他者との協力や共存において建設的であるかを問う心理学です。

アドラー心理学の「目的論」は、個人のいかなる欲求やそれに基づく行動をも、無条件に肯定・是認するものではありません。アドラー心理学理論は、「個人の主体性」「目的論」「全体論」「社会統合論」「仮想論」という5つの基本前提から成り立つ統一的な体系であり、どの前提も他の前提と切り離して論じることはできません。これはすなわち、アドラー心理学でものを考えるという場合、どの点においても、これら5つの理論的特徴を備えている必要があることを意味します。したがってアドラー心理学でいう「目的論」とは、あくまで「個人の主体性」「全体論」「仮想論」「社会統合論」を前提とした「目的論」なのであり、単に「目的があるからその追求はすべて許される」とするような無制限の相対主義とは根本的に一線を画します。

フロイトは、欲求が人間を動かす原因だと考えました。しかしアドラー心理学では、「欲求」であれ「欲望」であれ、 それらに基づく行動も、すべて相対的マイナスから相対的プラスへの目標追求の中で考えます。すなわち、個人の心身「全体が」、その個人の「仮想する」「対人関係上の」「目的に向かって」、「個人の主体性」によって自ら選び創り出した「手段・方法」だと考えるのです。アドラー心理学の理論に基づいて考えるなら、人間は外的な刺激や内的な本能・衝動に突き動かされる受動的な存在ではありません。自らの意志で制御できない「抗いがたい衝動や欲求」という概念は、行動における責任を回避するための自己欺瞞として退けられます。

そして思想的・実践的見地においては、アドラー心理学の治療目標は「共同体感覚」の育成ですから、他者と協力し互いの長所を活かしながら共存を目指す目的こそ推奨されますが、他者を押しのけて競合的に進もうとする「欲求」は適切でないとされます。このようにアドラー心理学とは、むしろ個人の行動の「目的」を「問う」心理学なのであって、目的論を論拠に「いかなる欲求の追求も許容される」と解釈することは、理論的前提と価値基準の双方を看過した重大な誤読であるといえます。

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劣等感は人間にとって普遍的かつ自然な感情ですが、劣等感をバネに進むことが自分自身の成長につながるかどうかは、実際の行動とそこで目標としているものが共同体にとって有益かどうかによると考えます。

人間はみな、はじめは生物学的に何もできない状態で生まれてきますから、自分が小さくて劣っているという感情、すなわち劣等感は、子どもにとって普遍的な感情といえます。劣等感は、そうした主観的に相対的マイナスである立場から、相対的プラスといえる目標へ向かうために人が生み出す自然な感情といえるでしょう。劣等感は子どもの劣等性の必然の結果であり、それを補償するために人は発達・成長するのです。

ただし、劣等感を補償するための行動が、いつも人としての成長に繋がるとは限りません。劣等感は必ず陰性感情を伴いますから、悔しさや悲しさ、怒りなどの陰性感情の使い方を誤ると、その感情を向けられた相手との関係が悪化します。やみくもに「劣等感をバネに」進むことは、自分自身や他者にとって有益になるとは限らず、時として破壊的な結果を招くこともあるでしょう。そうならないように、具体的な行動の仕方と、そこでの目標の適切さが問われます。

アドラー心理学では、人の行動が適切かどうかを、社会(共同体)にとって有益かどうかという観点から判断します。劣等感が行動の契機だとしても、共同体にとって有益な目標と行動を選択することで、人は共同体の一員として成長できると考えています。

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