アドラー心理学Q&A

アドラー心理学についてよく見られるご質問と、それぞれへの私たちの見解をQ&A形式で簡単にまとめました。皆さまの率直な疑問にお答えするため、アドラー心理学に批判的なご質問や、誤解に基づくと思われるご質問も、あえてそのまま掲載しています。内容はさらに網羅的に充実させたいと考えております。

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基本前提

Category: 基本前提

アドラー心理学とは、個人を「分割できない全体」として捉え、その行動は未来の「目的」に向かって個人が主体的に決定し行うものと考え、個人は仮想の世界に暮らしており、なおかつ社会に組み込まれた存在だとする心理学です。他者と協力し社会(共同体)に貢献することを善とする「共同体感覚」の育成を重視する点が特徴です。

アドラー心理学は、オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラー(Alfred Adler, 1870-1937)が創始した心理学です。

人間の行動や心理を理解するにあたり、個人を自ら主体的に動く、分割できない全体として捉え、フロイトの精神分析などが過去の原因を重視するのに対し、アドラー心理学は、未来の目的や目標に向かって個人が現在の行動を決定すると考えます。また個人は主観的に意味づけられた仮想の世界に暮らしており、なおかつ、対人関係や社会に組み込まれた存在であると捉えます。したがって個人の人生における課題も目標もそれぞれ仮想であって、それらは社会的な文脈のなかにあると考えます。

またアドラー心理学は心理学でありながら、他者と争うのではなく協力し合って社会(共同体)に貢献することを善とする「共同体感覚」の育成に向けて、自分自身と他者を勇気づける、哲学的・思想的実践としての側面を持っています。

主要概念

Category: 主要概念

「共同体感覚」とは、「自分は社会(共同体)に所属しており、人々は仲間であり、自分は人々に貢献できる」という感覚のことで、他者と協力して幸福に生きるための最も重要な指標であり、アドラー心理学の究極的な目標であるため重視されます。

「共同体感覚」(独: Gemeinschaftsgefühl、英: Community Feeling / Social Interest)は、アドラー心理学における中心概念であり、個人の精神的な健康の最も重要な指標とされています。これは、「自分は社会(共同体)に所属しており、人々は仲間であり、自分は人々に貢献できる」という感覚を指します。

人間は『より良く生きたい』と願います。しかし、そこで自分一人の成功を目指すのではなく、「他者の目で見、他者の耳で聞き、他者の心で感じ」他者と協力し合いながら、社会の中で実際に自分の負うべき役割を果たし、『みんなのしあわせ』へと向かってこそ生きる意味が見つかってゆきます。

「共同体感覚」とはこうしたアドラー心理学の考え方を示す言葉であり、野田俊作はこれをわかりやすく、「『これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう』と考えること」と表現しました。

後述の「勇気づけ」は、この「共同体感覚」の育成を目的とする働きかけです。共同体感覚が育まれると、困難な状況に直面した際も、共同体感覚に基づいて判断することで、より広い視点から物事を捉え、建設的な解決策を見出しやすくなります。アドラー心理学の究極的な目標は、いっそう多くの人々が共同体感覚を成熟させ、調和のとれた社会をともに営み幸福な人生を送れるよう援助することにあります。

Category: 主要概念

「私的感覚」とは、出来事に対して「良い(プラス)」「悪い(マイナス)」を瞬時に判断する個人独自の無意識的な価値判断であり、これが個々のエピソードにおける表層的な反応(私的論理)を生み出すのに対し、「ライフスタイル」は、複数のエピソードに共通するその人固有の「私的感覚(=私的意味づけ)」の背後にある、パーソナリティ全体を貫く根源的な思考・行動パターン(深層構造)を指します。

「私的感覚(Private Sense)」は、価値判断です。これは、ある出来事や状況に直面した際に、「何が良いこと(プラス)で、何が悪いこと(マイナス)か」を瞬時に判断する、個人の行動の背後にある「黒幕」のようなものです。

私的感覚は、具体的な出来事の中で次のように機能します。

  1. ある出来事が起こると、人は無意識に自分の「私的感覚」に照らし合わせます。
  2. その出来事が理想から外れている(マイナス)と判断されると、「劣等感」が生じます。これは「他人より劣っている」という意味ではなく、「自分の理想とはちがう現実が起きている」ことを指す感覚です。
  3. この劣等感は具体的には、不安、怒り、後悔などといった「陰性感情」として感じられます。
  4. そして人は、その理想と違う状況を解決し、理想状態(プラス)に近づけるために「対処行動」を起こします。

そのため、ある人の「私的感覚」を理解するためには、まず具体的な「エピソード(一回限りの出来事)」の分析から始めます。そのエピソードにおいて陰性感情が最も強いところや、あるいはエピソードの中で初めて陰性感情が出たところ、続いていた陰性感情が急に強まったところなど、「そのエピソードが一番ドラマティックに展開をみせたところ」を起点に、以下の3つの要素を分析します。

  • ライフタスク (Lifetask / LT):
    その「対処行動」を取らなければならなかった、困った現実のこと。私的感覚のマイナス面に触れた出来事。この現実に出会った時、人は「劣等感」(理想と現実のギャップ)を感じます。具体的には陰性感情(不安、怒り、後悔など)として感じられます。
  • 対処行動 (Coping Behavior / CB):
    問題を解決するために、その人が具体的に取った行動のこと。
  • 仮想的目標 (Fictional Goal / FG):
    その「対処行動」の結果として起きることが期待されている理想的な状態のこと。上述の「ライフタスク」が理想的に解決したイメージで、私的感覚のプラス面が現れたもの。その人が「こうなれば素晴らしい」と考える、キラキラした理想状態のイメージ。

「ライフタスク」と「仮想的目標」は、「私的感覚」という一つの価値判断から生まれています。そして「ライフタスク」という「相対的マイナス」から、「仮想的目標」という「相対的プラス」に向かっての「補償」が「対処行動」です。つまり個人は、私的感覚のマイナス面からあることがらを「ライフタスク」だと認識して「劣等感」、具体的には「陰性感情」を感じ、それを「補償」するために私的感覚のプラス面が示す理想状態を「仮想的目標」として「対処行動」を行う、と考えます。

そして、私的感覚から生まれる「仮想的目標」は、以下の2種類に分けられます。

  • 競合的な目標:
    相手と自分を比べ、優劣や善悪などを決めようとする目標。これは相手を「劣っている」「間違っている」と裁くことになるため、対立を生みやすくなります。
  • 協力的な目標:
    相手と一緒に問題を解決しようとする目標。

人間関係のトラブルは、多くの場合、私的感覚に照らして設定する仮想的目標のうち「競合的な目標」に向かって行動を起こそうとすることで生じます。その場合、解決のためには、仮想的目標を「協力的な目標」へと作り直す必要があります。

次に「私的感覚」と「ライフスタイル」の関係ですが、「ライフスタイル」とは、個人の人生を貫く、より根源的な思考・行動パターンのことです。アドラー心理学ではある個人が出来事に出会った際に持つ、「この出来事は私的感覚に照らすと『ライフタスク』だ。私的感覚が示す『仮想的目標』を実現するために、これこれの『対処行動』をしよう」といったような考え方の流れを「私的論理」と呼んでいますが、これが個別のエピソードにおける表層的な反応パターン(表層構造)だとすれば、「ライフスタイル」はその背後にある深層構造といえます。また、ある個人の複数のエピソードで共通して働いている「私的感覚」を「私的意味づけ」と呼びますが、その「私的意味づけ」を参照して、様々なエピソードで共通して動いている「私は~~だ。私は○○でなければならない。だから私はこれこれの行動をしよう。」というその人独特の論理を「ライフスタイル」と呼びます。

レベル価値判断の体系考え方の流れ
表層(個別のエピソード)私的感覚 (Private Sense)私的論理 (Private Logic)
深層(パーソナリティ全体)私的意味づけ (Private  meaning)ライフスタイル (Lifestyle)

「私的感覚」と「ライフスタイル」は以上のような関係にあります。

なお、ライフスタイルを分析する上で有用な素材となるのが、「早期回想(子ども時代のエピソード)」です。早期回想を分析する主な理由は以下の2つです。

  • 現在のエピソードと、時間的に遠く離れた子ども時代の思い出に共通のパターン(私的感覚、私的論理)が見つかれば、それは一時的なものではなく、その人の人生全体を貫く「ライフスタイル」である可能性が高まります。
  • 人がわざわざ記憶し続けている数少ない子ども時代の思い出には、「この世とはこういうものだ」「自分はこういう人間だ」といった、自分自身、他者、世界に対するその人の根本的な意味づけ(「私的意味づけ」)や、「このようにしたらうまくいった」「こうすると失敗する」など、その人が、優越目標(優越の位置の私的意味づけ)を達成するための手段や教訓がよりシンプルに表されていると考えられます。

早期回想の分析方法は、さまざまです。現在のエピソードの分析と同じようにする事もありますが、通常はいくつかの早期回想を素材にして、セラピストとクライエントが対話を通じて、それらの早期回想に共通する「構造」つまり「劣等の位置の私的意味づけ」「優越目標(=優越の位置の私的意味づけ」、「優越目標を達成するために採っている手段」を言語化していきます。「私的意味づけ」と「優越目標を達成する手段」の両方でもって「ライフスタイル」を表します。

「私的意味づけ」は価値観なので、変えることはむずかしいものです。アドラー心理学の心理療法(ライフスタイル分析)では、クライエントの「私的意味づけ」を変えるのではなく、優越目標を達成するための手段について、子ども時代に選択したものよりもより共同体に貢献的なものが選択できるよう勇気づけます。また、時には自分の優越目標を達成すること、つまり「私(だけ)が幸せになること」を、ほんの少しだけ棚上げにして、「みんなが幸せになるために私にできること」を実行できるよう勇気づけます。

野田は、「普通に社会生活を送っている人は、ライフスタイルを変化させるためにわざわざライフスタイル分析を受ける必要はない」と述べました。ではどうすればいいかというと、「エピソード分析」をして、次の3つのステップを繰り返す事で、ライフスタイルは自然に変化する、ということです。

  • 理解 (Understand):
    エピソード分析を通じて、自分の「私的感覚」や「私的論理」のパターンを言葉にし、「私はいつもこうやって失敗しているな」と理解する。
  • 行動 (Act):
    理解に基づいて、より協力的な目標や、より適切な対処行動を意識的に試してみる。
  • 成功 (Succeed):
    新しい行動によって、実際に関係がうまくいくという成功体験を積む。

この「理解→行動→成功」のサイクルが学習となって働き、個々の「私的感覚」がより協力的なものに変化することで、最終的には「ライフスタイル」そのものがより協力的な方向へ変化していくと考えられます。

ただし、これは自分ひとりで行えることではなく、周囲の協力と本人の努力があわさって、初めて可能となるものです。つまり、これは個人の成長過程であるとともに、個人が共同体に参加し、周囲と相互に貢献しあっていく過程でもあるのです。

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アドラー心理学の「課題の分離」とは、ある課題の結末が最終的に誰にふりかかるかという観点から、その課題が「本来誰の課題か」を判断する考え方であり、他者が本人の課題に介入したり、本来は自分の課題であるものを他者に「肩代わり」させることを防ぐとともに、必要に応じて「共同の課題」として協力し合うための準備段階として重要になります。

アドラー心理学では、共同体のメンバーが人生の課題に遭遇したときに、その課題に責任をもつ本人が対処するのに加えて、必要に応じてその課題を共同体における「共同の課題」としてとらえ、他のメンバーも協力してそれに対処しようと考えます。しかし、そうした分担を的確に行うためには、共同体のメンバーの間で、その課題が誰のどのような課題であるかについて、あらかじめ明らかでなくてはなりません。

実は、それを明らかにする作業こそが、いわゆる「課題の分離」なのです。「課題の分離」とは、共同の課題を作るための準備段階として、その課題に関する結末が最終的にふりかかるのは誰か、という観点から、その課題が本来誰の課題であるかを判断するものです。

例えば、「子どもが勉強するかどうか」という課題は、本来は子ども自身の課題であるはずです。なぜならば、子どもが勉強するにせよしないにせよ、それによって左右されるのは、他ならぬ子ども自身の将来だからです。だとすると、宿題をしないことで親自身が感じる不安を解消したいなどの理由で、子どもの考えを聞いたり話し合ったりせずに、ひたすら叱責して宿題をやらせようとしたり、勉強の仕方に一方的に口を出したりすることは、子どもの課題に勝手に介入することになったり、親自身の課題である「子どもの勉強に対する不安」を解消するために、子どもに「課題の肩代わり」をさせることになると考えます。たとえもしそれで子どもの成績は伸びたとしてもそれは、子ども自身にとって本当の意味での成長につながるでしょうか?

「課題の分離」をせずに、子どもの課題に勝手に介入することは、自分のなすべきことを自分でやりとげる、あるいは誰かと協力してやりとげるという貴重な機会を子どもから奪ってしまうことに他なりません。そのため、課題への対処を子ども自身に任せる場合も、あるいはすべて子どもだけに任せず、共同の課題にする場合にも、あらかじめそれらについて、子どもとよく話し合わなければなりません。子どもがその課題についてどのように考えているのか、なにか助力を必要としているか、などについてまずは子どもの話をよく聴き、子どもがしてほしいことで親ができそうなことを具体的に親子で話し合って決めていくのです。

なお、こうして課題について話し合いをした後も、常に子どもを見守って、場合によっては共同の課題を作り直す、という作業が必要となります。一度課題を分離したらもうそれっきりで、「あなたの課題だから」と終わりにしてしまうのなら、それでは単なる無責任な放任育児であって、アドラー心理学とはいえません。

ちなみに課題の分離について、アドラー心理学でもっとも重要な技法だと紹介されることがあるようですが、それは誤りです。たしかに重要ですが、最重要ではありません。それよりも大事なのは、課題を分離した後の共同の課題をつくる過程であり、さらに大事なのは、そうして課題を分担し合い、協力しあってともに幸せに暮らすこと、そしてそのように育った人々が増えていくことで、次第にこの世の中が暮らしやすい世の中に変わっていくことです。大袈裟なようですが、それがアドラーの思い描いた人類の未来なのです。

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アドラー心理学の「勇気づけ」とは、単なる「褒め言葉」のような小手先のテクニックではなく、尊敬に基づいた対等な「横の関係」から、相手が共同体感覚を持って協力的に生きられるよう働きかける、包括的な哲学であり生き方そのものです。

「勇気づけ」とは、相手がより共同体感覚に基づく生き方、暮らし方ができるように働きかけること、と、アドラー心理学では考えます。ある働きかけが実際に相手において、人々とお互いに協力しあって幸福に暮らしていく勇気に結びついてこそ、その働きかけを「勇気づけ」と呼ぶことができるのです。

「勇気づけ」は、まず働きかける側が自分から、人々との競合的な構えを抜けて協力的に暮らす決心をすること、あるいは「縦の関係」を抜けて「横の関係」で生きる決心をすることから始まります。なぜならば、一方的な働きかけでもなければ他人事でもない、ともに貢献し合う仲間同士としての働きかけであってこそ、相手を勇気づけることができるからです。

「勇気づけ」の技法としては、「子ども(相手)の話を聴く」ことや「お願い口調」という話の仕方、「課題の分離」、あるいは貢献や協力に注目する、過程を重視する、すでに達成できている成果を指摘する、失敗をも受け入れる、個人の成長を重視する、相手に判断をゆだねる、肯定的な表現を使う、「私メッセージ」を使う、「意見言葉」を使う、感謝し共感する、といったように様々なものがありますが、このどれもが現実の対人関係の中での、心からの相手への働きかけであることをけっして忘れてはなりません。これらは、単に言葉をなぞっただけの形だけのものになってしまえば、一見うまくいったように見えてもただ単に相手の気分をよくするだけのことにとどまり、本当の意味での勇気づけにはならないことがあります。また、相手を支配しよう、つまり、相手を自分の思うとおりに動かそうとしてこれらの技法を使うならば、勇気づけどころか逆に「勇気くじき」になってしまい、かえって相手との関係を悪くするなど逆効果になることも少なくないのです。

すなわち「勇気づけ」とは、いわゆる「声がけ」や褒め言葉といったような小手先のテクニックなどではなく、人間への深い尊敬に基づいた包括的な哲学であり、生き方そのものといっても過言ではありません。「勇気づけ」の実践は、言葉への感性を磨き、対話のプロセスを大切にし、自らの感情をコントロールし、相手の貢献を信じてその機会を作り出す、たゆまぬ日々の心がけと努力の中にあります。それは、相手と私たち自身の人生を豊かにする、生涯をかけた学びの道程なのです。

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アドラー心理学では「勇気」を、単なる精神的な強さではなく、自分の課題に取り組み、他者と協力し、共同体感覚をもって共同体に貢献しようとする建設的な態度や行動の土台となるような、人生に対する姿勢や構えのようなものと考えます。

アドラー心理学でいう「勇気」とは、自らの責任を引き受けて、自分の負うべき課題に取り組み、他者と協力し合って共同体に貢献しようとする建設的な態度や行動を指します。つまりこれは単なる精神的な強さというよりも、そうした「姿勢」や「構え」に近いものです。

このようにアドラー心理学では、「勇気」という言葉を、一般とは異なる独特の意味合いで用いています。単に恐れ知らずで乱暴であることや、何もかも勝ち負けととらえて相手に譲らない姿勢などのことを、アドラー心理学では「勇気」と呼びません。野田はよく「したくてもしてはいけないことはしないこと、したくなくてもしなければいけないことをすること」と言っていました。「共同体感覚」を伴って行動する姿勢、あるいは共同体感覚を行為に移す力こそを、私たちは「勇気」と呼びます。たとえば、人々のために自分にできることを行うこと、人々にたいして対等な仲間として敬意を払うこと、人々と誠実かつ謙虚に話し合って物事にあたること、独善的とならず公正に行動すること、心をこめて人々への配慮を重ねていくことなど、行動にあたって共同体に有益な行為を選択することを、アドラー心理学では「勇気」と考えます。

カウンセリングと応用

アドラー心理学のカウンセリングは、クライアントが共同体感覚を育て、「競合」的な生き方から「協力」的な生き方へと移行するための「学び(再教育)」のプロセスであり、アドラー心理学の理論に沿って事例を分析し、クライアントの仮想的目標が協力的か競合的かを吟味し、より協力的な目標の実現を目指して新たな行動計画を立てる点に特徴があります。

アドラー心理学のカウンセリングは、単なる悩みの相談や気休めではなく、クライアントがより良い人生を送るための「学び」のプロセスです。洞察を重視し、必要であれば助言も行います。
その原理、具体的なプロセスは明確に示されており、カウンセラーや心理療法士には、医療関係者と同等かつ、アドラー心理学のプロバイダー(供給者)としての倫理的責任が求められます。

アドラー心理学のカウンセリングや心理療法の最終目的は、クライアントが共同体感覚を育てること、つまり「競合」的なあり方を抜け出して「協力」的なあり方を学ぶことです。アドラー心理学では、人間関係における問題や不幸の唯一の原因は、物事を「競合」的に捉えることにあると考えます。競合とは、相手と自分とを比較し、善悪・正誤・美醜・優劣・勝敗などの価値観でもって人の価値を決めようとする心の持ち方です。「相手が間違っている、自分が正しい」と裁くこの態度は、人間関係を勝ち負けの闘争にしてしまいます。それに対して協力とは、ある価値観において人間の価値を決めようとするのではなく、相手との違いを認め合った上で対等な立場で、力を合わせて問題を解決しようとする心の持ち方です。アドラー心理学のカウンセリングや心理療法は、この「競合」的な生き方から「協力」的な生き方へと移行するための再教育の場ですが、カウンセリングでは主に「エピソード分析」を用いてライフタスクに関する問題を解決することを目標にし、心理療法では、「ライフスタイル分析」によってライフスタイルに関する問題を解決することを目標にします。セッションの始まりには「前回はどんなことを学ばれましたか?」最後には「今日はどんなことを学ばれましたか?」と問われ、この学びをクライエント自身が言語化する事によって再認識できるようにします。

一般的にアドラー心理学のカウンセリングでは、ある日あるところで一度だけ起きた、陰性感情を伴う出来事の話(エピソード)を素材にします。エピソードの中でのクライエントの「思考」「感情」、「目標」を探し、分析します。そして、エピソードの中でクライエントがとった行動について、次に似たような場面があったら、エピソードでとった行動の代わりにそんなことができそうか、行動の代替案を考えます。この時出た代替案などが「宿題」となることがあります。

カウンセリングや心理療法で扱う人間の行動は、すべて「相対的マイナスから相対的プラスへの目標追求」という原理に基づいていると理解されます。人は、何か問題を感じる状況(相対的マイナス)に陥ると、それを解決し、より理想的な状態(相対的プラス)を目指して行動します。この「相対的プラス」の状態は、多くの場合、本人が無意識に抱いている非現実的で空想的な「仮想的目標」です。

この原理に基づき、カウンセリングは以下のステップで進められます。カウンセリングでは、この仮想的目標が「競合的」なのか「協力的」なのかを分析することがポイントになります。カウンセラーは、エピソードを聞き終えた時点で、このプロセス全体のシナリオを見通すこととができるよう、トレーニングが必要になります。

以下に示すのは、元来欧米の言語体系で構築されたアドラー心理学のカウンセリング手順を、日本語話者に理解しやすくやりやすく工夫した、『エピソード分析』の手順です。

  1. エピソードの聴取:
    「ある日、ある所で、一回だけ起こった、陰性感情を伴う出来事」を、客観的な事実として正確に聞き取ります。これが分析の出発点となります。
  2. 対処行動の特定:
    物語を最も大きく動かした、クライアント自身の具体的な行動や言葉を「対処行動」として特定します。
  3. ライフタスクの特定:
    その対処行動のきっかけとなった、相手の言動を「ライフタスク」として特定します。
  4. 仮想的目標の言語化:
    ライフタスクが理想的な形で解決された状態がどのようなものかを推量し、「仮想的目標」を言語化します。
  5. 協力的目標/競合的目標の判断:
    明らかになった仮想的目標が、協力的目標(一緒に問題を解決する方向性の目標。相手も納得してくれそうな目標)または競合的目標(相手を裁いたり、上下関係を決めようとしたりする。実現すると自分にとってはうれしいが、相手は同じようにうれしいとは思ってくれなそうな目標)のどちらにあたるかを、クライアントと共に吟味します。
  6. 新しい行動計画の立案:
    目標が協力的な場合は、その目標を達成するためにより有効と思えるような、対処行動の代替案(例:目標をそのまま相手に伝える)を考えます。
    目標が競合的な場合は、その目標を無理に達成しようとすると相手との関係が悪くなります。この場合は相手も納得してくれそうな協力的な目標を探し、その目標を達成するための、対処行動の代替案を一緒に探します。

なお、すべてのセッションの全過程を通じて基本となるのが、R.ドライカースの提唱した「治療的人間関係」、つまり、「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」という良い人間関係を終始築き、カウンセラー(心理療法士)とクライエントの共同作業を続けることです。アドラー心理学のカウンセリングは、教育的ではありますが、教示的ではありません。

アドラー心理学のカウンセラー(心理療法士)であるためには、まず自分自身の私的感覚や競合性を知り、日常生活でアドラー心理学の理論と思想にもとづいて物事を考え行動できるようになること、自分の私的感覚や私的論理を脇に置いて相手の話を聞いたり物事を考えられるようになることが必要です。

アドラー心理学のカウンセラーは、単なる技術者である「ユーザー」とは一線を画す、「プロバイダー(供給者)」として、以下の三つの重い倫理的責任を負っています。

  • 理論への忠実性:アドラー心理学の「基本前提」を正しく理解し、それを崩さずに伝える責任。もし同意できないなら「アドラー心理学」を名乗るべきではありません。
  • 思想の実践:「共同体感覚」という思想を、自らの実生活の中で実践し続ける責任。日常生活で競合的に暮らしている人に、協力的なカウンセリングはできません。
  • ムーブメントへの貢献:アドラー心理学を、より良い世界を実現するための社会運動(ムーブメント)と捉え、それに貢献する責任。これは、過去から未来にわたる世界中のアドレリアンに対する連帯責任を意味します。

この責任を果たすためには、海外の技法を文化的な風土を無視して輸入するのではなく、日本の文化に根差した実践(例:日本における「課題の分離」の重視など)が求められます。また、アドラーや他の先達の著作を「聖典」のように深く読み込み、その思想だけが人類を救済するというほどの確信と、自らの人生を懸けるほどの「覚悟」がプロバイダーには不可欠であるといえます。

「治療的人間関係」とは、アドラー心理学カウンセリングの基本となるルドルフ・ドライカースが提唱した「よい相談関係」を指し、カウンセラーが能動的に関わる「相互尊敬」「相互信頼」「協力」「目標の一致」という四つの条件を満たすものです。

専門的なご質問なので、少しばかり踏み込んだ回答となります。

「治療的人間関係」とは、カウンセリングにおける「よい相談関係」を指し、構築にあたっては、ルドルフ・ドライカースが提唱した「四つの条件」がその核心となります。これはカール・ロジャーズが提唱した「受容」や「共感」といった姿勢とは異なり、カウンセラー側がより能動的に関わっていく点を特徴としています。カウンセラーはこれらについて、カウンセリングが上手くいかない場合はもちろん、セッション前からセッション中、そしてセッション後にわたって常に自己点検しなくてはなりません。「治療的人間関係」を構成する四つの条件は以下の通りです。

  1. 相互尊敬
    これは、相手を単に敬うことではなく、「一回性(Einmaligkeit)」を持つ、すなわち一度きりのかけがえのない「歴史的存在」として捉えようとする、深く能動的な姿勢を指します。相互尊敬とは、語源である「re-spect(再び見る)」が示すように、相手を一人の人間として改めて見つめ直し、その人の人生の歴史全体を、丸ごと掴もうとすることなのです。この姿勢を通じて、相手の現在の言動が、その人自身がそれまでの人生を通じて形成してきたライフスタイルに根差していることを理解し、その人のさまざまな言動は、「所属」のための力一杯の努力なのだ、という視点でその人と向き合います。なお相互尊敬の「相互」は、まず自分自身が相手の人を尊敬することから始めます。相手から尊敬されたらこちらも尊敬する、という向き合い方では決してありません。
  2. 相互信頼
    これは、クライアントがどのような状態にあっても、その人は基本的に自分の問題を自分の力で解決する力があるのだと無条件に信じることです。野田やアドラー心理学の教師はよくこれを「白紙の小切手を切る」と表現しました。とはいえ、人はすべての問題を自分1人の力で解決できると、アドラー心理学は考えていません。相手が問題を解決するにあたって、何らかの手助けが必要かもしれないのです。それは何だろう、と、クライエントとともに考えていくことがカウンセリングの一つの重要なプロセスになります。なお「相互信頼」も「相互尊敬」と同様に、まず「私」の方から相手を信頼します。その結果、相手もこちらを信頼してくれるならば、そこで「相互信頼」が成立します。「そちらから先に信頼してよ」とか「あなたが信頼してくれれば私も信頼しましょう」というような向き合い方は、「信頼」ではない、とアドラー心理学は考えます。
  3. 協力
    これは、カウンセラーとクライアントが、問題解決に向かって「共に働く(ドイツ語: Mit-arbeit)」という対等な共同作業を行うこと、またはそうした関係性を意味します。カウンセラーとクライアントは、どちらかが「主」でどちらかが「従」といったような縦の関係ではなく、役割は違っても「人生の一時期を共に歩む」、一緒に問題を解決する対等な仲間として横の関係を築きます。共に作業し、共に時間を過ごすことを通じて、クライアントのその後の人生に良い影響が残ることを願う、温かい関わり方を指します。
  4. 目標の一致
    これは、クライアントとカウンセラーの間で、カウンセリングで何を解決するか、つまりカウンセリングの目標を明確に話し合い合意することです。先の三つの項目「相互尊敬」「相互信頼」「協力」の上に、この「目標の一致」がなされます。日本文化に見られがちな「仲間だから」「察して」といった曖昧な了解ではなく、カウンセリングの解決目標、互いの役割、協力する範囲やしない範囲などを、明確に言葉にして合意します。人間は一人では不完全であり、問題解決のために他者との協力を必要としますが、その協力関係が明確な合意に基づかなければ、誤解やトラブルの原因になると考えます。カウンセリングの冒頭で「何を目標とするか」を合意することで、その後のプロセスが不当な介入や単なるお説教になることを防ぎ、建設的な協力関係を築きます。また、この「目標」は一度設定したら変えられないものではなく、カウンセリングの中で必要な時はいつでも両者の間で話し合い、見直していくものです。

この「相談的人間関係」は、カウンセリングに限らず、様々な領域でアドラー心理学を実践する場合に必要です。たとえば育児、教育、医療・福祉などはもちろん、日常的な、友人関係や職場での人間関係などでも、相手と「相談的枠組み」にある場合は、常にこの「相談的人間関係」を意識する事が極めて重要となります。

Tag: 協力

「横の関係」とは、社会的な、あるいは組織上の役割の違いや責任の大小を認めつつ、互いを尊敬し、人間としての価値に優劣をつけず、対等な個人として関わっていく心のあり方です。それは、全員が「同じ」であると主張する「同等」の関係ではなく、それぞれの違いと役割を尊重した上で成り立つ、成熟した協力関係の基盤となるものです。

「横の関係」とは、アドラー心理学における人間関係の理想的なあり方を示す重要な概念です。これはアドラー自身ではなく、彼の弟子であるリディア・ジッヒャー(Lydia Sicher)によって提唱されました。この概念を深く理解するには、対の概念に位置づけられる「縦の関係」との比較、そして、よく似た日常語である「平等」や「同等」との正確な区別が不可欠です。

まず「縦の関係」とは、世の中の様々な価値観における自分と他者の優劣を、そのまま人間としての価値の優劣だと捉える関係をいいます。ジッヒャーはこうした関係を、心のなかに価値観という「はしご」を立てて、自分と他者とをそれぞれ上下の段に位置づけている状態になぞらえました。そのような捉え方のなかでは、同じ場所に立てる人は一人しかおらず、したがって人は常に他者との競争状態にあり、時として自分が上に立つため他者を蹴落としたり、引きずり下ろそうとします。。

一方「横の関係」とは、「縦の関係」とは対照的に、価値観の「はしご」を心のなかに立てずに、自分も他者も人間としての価値には優劣をつけない関係をいいます。そのため「横の関係」では、人々は同じ平面に一緒に立つことができ、そこでそれぞれ協力したり、あるいは別個に役割を果たしながら、互いに対等な立場で自分の人生を生きていくことができます。「横の関係」の中でも、ひとりひとりの人間は様々な点で優れていたり劣っていたりするでしょう。しかしそれらは「違い」なのであって、人としての価値の上下を意味するものではないのです。なお「縦の関係」「横の関係」は、英語ではそれぞれ Vertical Plane / Horizonal Plane と呼びます。

ここで注意が必要なのは、「横の関係」は、しばしば日常で使われる慣用語のイメージと混同されて、意味合いを大変誤解されやすい点です。たとえば、「横の関係」は、社会や組織にタテの序列や指示系統があってはいけない、などということではありません。企業における上司と部下のように、能力や適性などに応じて権限や責任が異なるのは、組織が円滑に機能するため必要となる役割分担であって、「横の関係」の観点からは、互いに役割は違えど人間としては対等だと捉えることができます。

問題なのは、そうした役割の違いを人間の価値の優劣と結びつけてしまうような、他者と向きあう上での心のあり方としての「縦の関係」です。そこで仮に「上司は上司だから人間として偉い、部下である私は人間として劣っている」あるいは「上司である私は当然人間として偉い、部下たちは人間として劣っている」などと考えたとしたら、それは「縦の関係」を自ら作り出していることになります。

また「横の関係」は、すべての人が「同じ(同等)」であることを意味するものではありません。これは最も重要な点です。個性や能力の違いや、男性と女性、若者と高齢者、親と子、あるいは教師と生徒などといった、生物学的違いや社会的立場の違いを無視して、人が全く「同等」に扱われると、ひとりひとりにとってはむしろ不公平で過酷となり、その結果、社会秩序も乱れることになるかもしれません。人はみな「違う」けれど人間としての価値は「平等」であると考えます。こうした「横の関係」の上に成り立つ社会、みなが決定に参加できる社会を作り、そうした社会の中で生きていくことが人間として幸せな状態であるとアドラー心理学では考えます。

そのような都合のよいものはありません。「コツ」をつかんで上手に毎日を乗り切ろう、という安直な考え方こそが、家族の人間関係を悪くするのです。

「ふーん、アドラー心理学は家庭内では役に立たないんだ・・・」と、思わないでくださいね(笑)。家庭内でアドラー心理学を実践する際の「基本」は、ちゃんとあります。

  • まず自分の方から相手を「尊敬」「信頼」すること。
  • そうして家族と、「どちらが正しいかを決めようとする競争相手」として暮らすのではなく、家庭内やその他の問題を「どうなったらよいのか」といった目標を考える方向で「力を合わせて解決する仲間」として暮らすこと。
  • そのために、自分の陰性感情に気をつけること。陰性感情があるときは、協力ができない状態になっています。
  • いつも家族の「よいところ」を見ながら生活をすることは、上の項目を実践するための大きな助けになります。

 このような事に気をつけながら実践することで、はじめて、アドラー心理学の育児本などで紹介されている様々な技法が有効に使えるようになります。

たとえば、

  • 話の聴き方:
    アドラー心理学の実践の第一歩は、相手の話を聴くことです。そのときに、上のようなことに気をつけながら聴きます。何のために相手の話を聴くのかというと、相手の考えを理解した上で、「一緒に問題を解決するため」です。決して、自分の考えを押し通すためや、相手の考えに、自分の価値判断でもってよしあしの判断を下すためではありません。
    話の聴き方は、実はこれが上手にできると、それだけで相手にとって大きな勇気づけとなる事があるほどです。また、以下に続く技術を効果的に行うためにも不可欠です。
  • 「勇気づけ」:
    よく誤解されるのですが、「勇気づけ」というのは単に相手の気分をよくすることではありません。また一定の言葉がけや、特定の決まった行動でもありません。この2点には充分な注意が必要です。詳しくは、「勇気づけ」に関する各項目をご覧ください。
  • 課題の分離と共同の課題:
    アドラー心理学の育児等の技術として「課題の分離」が有名になっているようですが、実は「課題の分離」は、それだけではアドラー心理学の技術とは言えません。「課題の分離」とは、その後の段階で「共同の課題」をつくるための準備作業にすぎないのです。したがって「共同の課題をつくる」ことの方が、本来、アドラー心理学の実践として重要となります。詳しくは、「課題の分離」についての項目をご覧ください。
  • 目標の一致:
    課題を解決するにあたって、相手と自分の目標が同じ方向を向いているかどうか確認したり、その方向をすりあわせることを、アドラー心理学では「目標の一致」と呼んでいます。ある課題について、双方の目標が一致していれば、その課題を「共同の課題」として、協力し合って解決することが可能となります。
    まず相手の話をよく聴き、そのあとで自分の考えを相手に伝え、お互いの目標が同じ方向を向いているかを確認をします。例えば、子どもが九九を覚えたいと望んでいて、親も子どもが九九を覚えることに賛成の場合などは、目標が一致している、と考えるのです。双方の目標が確認でき一致していると思われたならば、あるいは目標の方向に同意できたり、すりあわせることができたなら、次には、目標に向かって誰がどういう事をしていくかを話し合うことができます。
  • 目標が一致できなかった場合(「結末を体験する」):
    相手と自分の目標が違う方向を向いていて、どうしても目標の一致ができなかった場合には、無理に一致させようとするのはやめて、しばらくはそれぞれ自分自身の課題に向き合います。

    育児に関しては、この段階でやっと使えるのが「結末を体験する」方法です。
    • 「結末を体験する」方法:
      育児中の親子の場合、親は、育てている子どもにいろいろなことを教えなければなりませんし、子どもは社会に出るまでに、親からいろんな事を学ばなければなりません。アドラー心理学では、親は子育てという貴重な機会に、生活の知識などとともに、社会で大人たちが大切にしている「共通感覚」と、社会で協力しあって暮らすための「共同体感覚」を、子どもに伝えなくてはならないと考えます。

      子どもに物事を学んでもらうための方法の一つに、自分の行動の「結末を体験する」というものがあります。これは、使い方に細心の注意が必要な技法です。注意せずに使うと「勇気づけ」にならないどころか、子どもにとって「罰」になってしまい、親子関係を壊してしまうからです。そのため『パセージ』ではこの一部をコースの後半で学び、残りは『パセージ・プラス』で学ぶというように、特に時間をかけ段階を踏んで丁寧に学ぶ項目としています。

      野田俊作はここでいう「結末」について、次の3通りに分類しました。
      ・自然の結末:自然の法則によって起きる結末。
       例)雨の日に傘をささずに外へ出ると濡れる。
      ・社会的結末:法や慣習、伝統などよって起きる結末。
       例)どろぼうをすると警察に捕まる。
      ・論理的結末:論理的に導き出される結末。

      子どもが「自然の結末」を実際に体験することで、よく学ぶことのできる事柄は少なくありません。ただし場合によっては、子どもの身に危険がふりかかったり、子どもには結末がふりかからないが他人には迷惑をかけてしまうなど、この方法によって学んでもらうのに不向きな事柄もあります。そうしたケースでは「社会的結末」あるいは「論理的結末」といった技法を用いることができますが、しかし、親や教師がさせたいことを子どもにさせようとしてそれらの技法を使うと、かえって関係は悪くなってしまいます。

      たとえば、それらの技法のなかでは親から子どもに行動の選択肢を示して、その結末を体験してもらうことがあります。しかし、選択肢は何でもいいから示せばいいわけではありません。子育てのなかで子どもに伝えるべきことを考えて、「共通感覚であって共同体感覚に沿っているもの」を選択肢として設定する必要があります。また、選択肢と結末の間には社会の共通感覚からの必然、または厳密な論理的関係がなくてはなりません。それらを親や教師の好みや勝手な都合など(私的感覚)で設定すると、それは「結末の体験」ではなく「罰」、しかもかなり厳しい「罰」になってしまうのです。

      このように、これらは適用が難しく副作用が極めて大きな技法ですので、使用にあたっては細心の注意が必要となります。

以上の技法は、ここでは概略をお伝えすることしかできません。ここから先は、本やネットで見聞きした知識よりも、現実の育児に即した繰り返しの練習こそが大切になるのです。私どもの育児学習コース『パセージ』と『パセージ・プラス』ではここにあげている技法を含め、アドラー心理学による育児を実践的に学ぶことができますので、ぜひ受講をご検討ください。

身近な方からのご相談では、それがどんなご相談なのか、その相談で何を目指すのかを丁寧に確認します。相手への尊敬と信頼を忘れずに、自分の価値判断で相手を裁いたりせず、なるべく具体的なエピソードに沿いながら話を伺い、相手の方が何に困っていてどう解決したいのかを明確にします。ここで大切なのは自分に陰性感情がないかを終始観察することです。陰性感情があれば、よい相談にはなりません。

身近な方からの相談に乗る際のアドラー心理学からのアドバイスとしてはまず、それはどのような相談なのか、この相談で何を目指すのかを、相談する方とされる方両者が共有することです。

相談に乗ることになったら、相手への「尊敬」と「信頼」を持って、まずは相手の話を自分の価値判断で裁くことがないように、相手の話をよく聞きます。そして、相談する人が何に困っていて何を解決したいと考えているのかを明確にします。具体的な「エピソード」を素材にすると、問題の「原因」ではなく「どうなればいいのか(解決像)」を明らかにすることで、その解決像を実現するためにどのようなことができるかを一緒に考えていく事ができます。大切なのは、自分に陰性感情が出ていないかを終始観察することです。自分に陰性感情がある時は、よい相談はできません。

  1. 相談の時は「相談的人間関係」を保持する
    相談に乗る時に大切なのは、技術はもちろんですが、相手に対する向き合い方が極めて大切です。
    アドラー心理学では、相談にあたっての人間関係を「相談的人間関係」と呼んでとても重視します。これは、カウンセラーとクライエント、医師と患者、医療関係者と利用者、教師と生徒、などの「相談する/される」関係においてはもちろんですが、友人同士、夫と妻など、普段は「相談する/される」関係にない場合でも、「相談していい?」「いいですよ。何ですか?」という一往復の会話であってもお互いが「相談する/される」関係になったその瞬間から必要になります。
    また、相談に乗る側が、善かれと思ってつい「自分が相手を助けてあげなければ」「正しい道に導いてあげなければ」といった、相手への支配的な考え方にとらわれてしまうことがあります。このようなときは相談がうまくいきません。こうしたときも「相談的人間関係」について点検すると、道が開けることがあります。
    「相談的人間関係」については 「Q アドラー心理学カウンセリングにおける「相談的(治療的)人間関係」とは何ですか?」をご参照ください。
  2. まずは相手の話を聴く
    相手がこちらにどんなことを望んでいるのか(聴くだけでいいのか、アドバイスがほしいのか、一緒に解決を考えてほしいのか、など)、相手が何を問題と考えているのか(現状)、相談の結果どうなったらよいと考えているのか(目標)、などをききましょう。相手の話を、途中で遮らずに、最後まで聴きます。もし相談内容が自分では対応が難しい場合や、自分には無理と思われた場合は、相談を引き受けるのを断るほうが、おたがいにとって建設的である場合もあります。
  3. 自分の陰性感情に注意する
    相談をしていて、あるいはされていて、どうしても陰性感情が出てきてしまうことがあります。陰性感情を持ったままでは、なかなかよい結果にはつながりません。どちらかが陰性感情を持つときには大抵、もう片方も陰性感情を多少は持っていて、なんだかうまくいかないな、とお互いに感じていることが多いのです。相談中どうしても陰性感情を持ち続けてしまうようなら、一旦相談を中止して落ち着いたら再開するか、あるいは別の人と相談をすることにするかなどを検討する方がよいことがあります。
  4. 「どこから」ではなく「どこへ」を探す
    アドラー心理学の基本前提に「目的論」という考え方があります。人の行動の原因よりも目的を見ようとする考え方です。相談の時にも、今起きている問題について、その原因を探して除去しようとする方向ではなく、今の状態が結局どうなればいいのか、解決像を見つけてそれを実現するための行動を考える方向で進めると、できる事が見つかりやすいです。

このほか、具体的な技術に関心をお持ちの方は、まずアドラー心理学基礎講座応用編などを、カウンセリングについて勉強されたい方は基礎講座の後カウンセリング講座などを受講されることをおすすめします。

Tags: 協力, 目的論

アドラー心理学を教育現場で活かすには、アドラー心理学の理論、特に「目的論」に沿って様々な問題を考えることと、教師が生徒に対して「協力的な横の関係」でコミュニケーションをすること、この2点に注意が必要です。この土台の上に立つことによって、教科や人との関わり方など、将来社会をつくって行く人として必要な様々なことを、「賞罰」ではなく「勇気づけ」で学んでもらうことができます。

アドラー心理学を学校教育の現場で活かすためには、さまざまな機会に次の二つの点に注意することが重要です。

一つはアドラー心理学の理論、特に「目的論」にもとづいてものごとを考えているかに注意することです。
もう一つは、教師自身の、子どもたちをはじめとした他者との向き合い方にいつも注意を向けていることです。教師が「縦の関係」をつくる「競合的」な構えを持っていると、クラス全体も競合的な雰囲気になってしまって、いわゆる問題行動をする子どもが出てきたり、子ども同士の仲が悪くなってしまうことにつながります。反対に、教師が「横の関係」をつくる「協力的」な構えを持っていると、クラス全体が「協力的」な雰囲気になり、あたたかく、お互いに助け合うクラスになりやすいです。

ではそれぞれの注意点について、もう少し深く見ていきます。

  1. 「目的論」で問題を見る。
    アドラー心理学の基本前提のなかに「目的論」という考え方があります。
    クラスで起きた問題について考える時に、何が原因かではなく、どういう風になったよいのかを考える視点につながります。また、生徒の問題行動について考える時も、その子は何が原因でその行動をするのか、よりも、何のためにその行動をするのか、について考えると、問題解決の糸口が見つかりやすいとアドラー心理学は考えます。

    教師が問題だと感じるような行動をする生徒がいるときに、その行動の原因を考えてそれを取り除こうとしても、物理学や化学のようにははっきりとした原因が見つからないことが多いです。原因が見つからないときに原因を取り除くことは無理でしょう。行動の原因ではなく目的を考えるなら、その目的(目標)が、実現しても問題のないものであれば、目標が実現できるような他の行動を考えればよい、ということになります。

    人のすべての行動の究極的な目標は「所属」だ、とアドラー心理学は考えます。つまり、人の行動の目的は集団(社会)の中に自分の居場所を確保すること、と考えるのです。居場所を確保すること自体は、よい目的(目標)です。ひょっとしたら、生徒の「問題行動」も、クラスへの「所属」あるいは教師との「所属」という、本来よい目的(目標)のために行われているのかもしれません。そうであれば、生徒にその行動を改めさせる、という方針よりは、別の(問題とならない)行動で目標実現ができるように援助する方が、その生徒にとってもクラス全体にとってもプラスの方向へ向くと考えます。
    さらに関心がある方はぜひ、「Q こじれたコミュニケーションの5つの段階」をご参照ください。
     
  2. 「競合的な構え」と「協力的な構え」、「縦の関係」と「横の関係」
    競合的な構えは縦の関係をつくり、協力的な構えは横の関係をつくり出します。
    競合的な教育の中には、「権威的」な教育と「放任的」な教育があります。
    権威的な教育では、教師が生徒に命令し管理し生徒を支配しようとします。生徒は恐怖心から規律を守りますが、「権力を手に入れて弱い者を支配しよう」「強い者の前ではいい子でいて、陰では何をしてもいいや」などと考えるようになります。
    放任的な教育では、生徒のすることを何でも容認します。一見優しそうに見えますが、ウラを返せば無責任ということになります。限界を設定しないので、生徒は「自分がやりたいことは何をしてもよいのだ」と考えるようになり、自分で責任を取ることや、社会の中でしてはいけないことを学べません。また、自分がしたいことができないと、「自分がやりたいことができないのは○○のせいだ」などと、他者や社会を責めたりするようになるかもしれません。
    協力的な教育は「民主的」な方法をとります。教師は「教師と生徒は立場が違うが人間としては対等である」と考え生徒を「尊敬」「信頼」し「横の関係」を築きます。教師としての責任を果たし、生徒とたえず協力して問題を解決しようとします。そのような教師のあり方から生徒は責任を学び、教師とも、生徒同士も、協力し、話し合って物事を解決しようとするようになるでしょう。
    競合的で権威的な教育で使われるのが「賞と罰」という方法で、協力的な教育で使われるのが、「勇気づけ」です。

アドラー心理学を教育現場で活かすために不可欠なのが、以上の2点です。

次に、これらの点に注意しながらどんなことをしていくのがよいか、について述べます。

アドラー心理学では、人間が協力的な横の関係にもとづいて暮らせるのがよいことだと考えています。「勇気づけ」を行っていくことは、アドラー心理学を教育現場で実践することに他なりません。

「勇気づけ」の基礎と応用
それでは、「勇気づけ」というのはもう少し具体的にはどういうことでしょうか。アドラーをはじめアドラー心理学の先人たちは「勇気」や「勇気づけ」について様々な表現を用いています。野田俊作は育児学習コース『パセージ』で「『勇気づける』というのは、子育ての心理面の目標、1)私は能力がある。2)人びとは私の仲間だ。に向かうように、子どもを援助することです。」と述べています。
『パセージ』ではそのための実践的な方法を、段階を踏んで学んでいきます。
そのうちここでは最も基本的なことだけをご紹介しますと、

  • 子どもの話を聴く
  • 子どもの適切な行動や適切な側面を探す

この2つとなります。

「勇気づけ」というのは、ある特定の「言葉がけ」や行動などでは決してありません。ある言葉や行動が勇気づけになるかどうかは、教師の「構え」によっても違いますし、個々の子どもによっても違います。
たとえば子どもの話を聴くときに、「この子は困った子だ。なんとかしてあげなければ。」と思いながら聴くのと、「この子は困った行動をしたけれど、悪い子ではない。よいところもたくさんある。この子は何を望んでいるのだろう?」と思いながら聴くのでは、「勇気づけ」になるかどうかが全く違ってきます。また、たとえば「がんばれ!」という言葉が勇気づけになる子どももいますし、この言葉で勇気をくじかれてしまう子どももいます。ですから、何がその子にとって勇気づけになるかを知るためには、いつでも子どものことを観察していることと、プラスの感情を持って子どもとコミュニケーションすることがとても大切になります。

上述のような注意点や小さな実践を基礎としながら、さらに発展した実践として「クラス会議」を行う事ができます。
クラス会議は、みんなで自分たちのクラスをよりよいものにしていくためのものです。教師と生徒や生徒同士が協力的な横の関係で行われると、とてもよい勇気づけの場になります。ここでは教師は「ボス」ではなく「コーディネーター」の役割になります。クラスは、お互いに援助し会う場になり、クラスのルールなど決め事もここでみんなで決める事ができるようになるので、生徒は「民主的」な方法を学ぶ事ができます。

こうした事を実践するためには、文字情報ではなく講座で体験から学ぶのが効果的です。まずは基礎講座のご受講をおすすめします。

参考図書:『アドラー心理学でクラスはよみがえる』野田俊作・萩 雅子,創元社,2017

課題の分離について

親の責任とは、課題を肩代わりするのではなく、「課題の分離」を協力への準備段階と位置づけ、子どもが自ら課題に取り組む「勇気」を持てるよう援助することです。

「課題の分離」は無関心や放置を推奨するものではなく、相手の課題に土足で踏み込まない範囲で協力的な姿勢を示し、必要とされる場合に仲間として支援するものです。

「課題の分離」は他者への無関心を推奨するものではありません。対等な立場の仲間にたいして、困ったときは支援が可能と申し出ておくなど協力的な姿勢を示すことは、むしろ推奨される行為です。

だからといって相手の課題に土足で踏み込んだり、無断で相手の責任を肩代わりしたりすることは、相手を対等な立場で尊重しているとはいえません。チームの一員として信頼してお互いに仕事を分担しながら、相手の努力に注目し、必要とされる場合は仲間として可能な支援を行う、こうしたあり方こそが、むしろ良好なチームワークといえるのではないでしょうか。

また、本人が状況的、立場的、精神的、身体的に、助けを求めることができない場合があることにも注意が必要です。そのため、May I help you?という姿勢で「なにかお手伝いできることはありますか?」と尋ねて、相手の話をよく聴いてみることが大切になります。 

その通りで、課題の分離は協力的な関係のための準備作業ですから、一方的に主張するのではなく、まず相手の話を聴き、対話を通じてその課題が誰のものかを互いに確認した結果、相手に任せて様子を見る場合もありますし、「共同の課題」として役割分担をしていく場合もあります。

その通りです。そもそも「課題の分離」とは、様々な課題を本来負うべき人が負うことで適切に分担し、また必要に応じて皆の「共同の課題」として力を合わせて対処していくための、その準備作業にあたります。そのため、まずはじめに相手の話をじっくりと聴き、対話を通じて、その課題がいったい誰にとってのどのような課題であるのかを、お互いに確認することが大切になります。

したがって、ある日いきなり一方的に課題の分離を言い出して、それについて話し合いもせず、またその後を見守って適切な分担だったか確認もしないならば、アドラー心理学が目指す協力的な関係には結びつきません。それではただ、自分は物事の責任から極力逃れて、相手との関係を切り離そうとする姿勢でしかなく、それによる人間関係の悪化は、おっしゃる通り避けられないことでしょう。

対人関係について

ただちに他者との比較や競争意識を完全になくすことは、非現実的かもしれません。それでもなお、お互いに助け合い、協力して暮らしていくことが、幸せへの道だとアドラー心理学では考えます。私たち一人ひとりがお互いへの構えを競合から協力に変えていくことで、未来には協力的な社会が実現すると考えているのです。

まず、ご質問にある「競争社会」という前提自体を検討しなければなりません。というのも、世の中の競争は、むしろ協力関係を伴うことで成立しており、100%純粋な競争社会というものは考えられないからです。

実際の人々の暮らしをよく見てみると、競争の中にも協力関係がしっかりと息づいていることが分かります。競争が激しいビジネスの世界でも然りです。そもそも自由競争とは、公正なルールがあってこそ成立します。そして公正なルールは、人々が協力し合い支え合ってこそ維持できるものです。長年の積み重ねで商取引や雇用、製造等についての法や各種の規定が整備され、また、人々の間で公正な商慣習が積み重ねられてきたからこそ、健全な競争を続けることができるのです。仮に、誰もが協力し合うことをやめ、ルールを形骸化させてしまえば、競争は直ちに無秩序な収奪か、「万人の万人に対する闘争」に姿を変えてしまうことでしょう。しかし幸いにして、私たちが暮らす社会は概ね、そこまで極端な状況にはないと思われます。つまりいわゆる「競争社会」という捉え方は、世の中を一面的に捉えた、かなり偏ったものの見方といえるのではないでしょうか。

とはいえ、世の中に行き過ぎた競争があることもまた確かなことでしょう。それらは、「自分が必ず他者より上でなければならない」「必ず勝たねばならない」といった、個人の競合性によって生み出されると考えられます。ここでいう「競合」とは、自分と他者との間で、どちらが上でどちらが下か、どちらが正しくてどちらが間違っているか、どちらが美しくてどちらが醜いかなどを決めようとする態度のことです。アドラー心理学では、そうした他者との比較や競争意識は、個人の「劣等感」に関係すると考えます。「劣等感」とは、個人が理想とする状態とは違う現実に遭遇したときに起きる感覚のことです。その感覚は往々にして、「私は〇〇の点で人より劣っている」と他者と比較する形で自覚され、私たちはそれを補償しようとして競合的になり、他者と過剰に競いがちです。

そのような、他者を蹴落とし自分が上に上がろうとする「縦の関係」で生きる限り、人はいつも争い、不安におびえて生きていくことになります。しかし、そこから抜け出して「横の関係」で生きる、すなわち自分も他者も人間としての価値は等しい(equal)だと考えて、話し合って協力し、あるいは別個に役割を果たしながら、互いに対等な立場で自分の人生を生きていくことで、安心して幸せに生きていく、そうした選択肢も私たちにはあるのです。

ルドルフ・ドライカース(Rudolf Dreikurs)は、「不完全である勇気(Courage to be imperfect)」と言いました。一人ひとりが自分の不完全さを認めつつ、お互いの価値は等しいのだということに気がついて、自分ならではの役割を果たそうとすることが大切だと、アドラー心理学では考えています。

なお、ご質問が「世の中は100%純粋な『競争社会』だと信じながら、なおかつ、気持ちや態度の上では協力的でいられないか」ということであれば、それは人のあり方として矛盾であり、そのような矛盾を他者に強制することは所謂ダブルバインドであって、当然ながらアドラー心理学の主張はそのようなものではありません。

Tag: 協力

幸福・共同体感覚・貢献感について

アドラー心理学の「共同体」は、家族から宇宙までどこまでも広がる可能性を持っています。その範囲を定めることはできません。

テンニエスによれば人間社会のあり方には2つあるとされ、ひとつを血縁共同体(ゲマインシャフト)、もうひとつを契約社会(ゲゼルシャフト)と呼びます。アドラー心理学でいう「共同体」は、血縁共同体(ゲマインシャフト)のことです。ゲマインシャフトは、ひとつの家族のように、精神的な絆によって結びついている集団を意味します。したがって非常に広範な概念であり、具体的には家族や職場あるいは学校などの仲間といった身近なところから、ふだん暮らしている地域社会、可能性としては国家や人類規模の共同体も想定できます。また、時には生命全体や無生物、宇宙にまで広がるとされることもあります。

一方の契約社会(ゲゼルシャフト)は、その名のように契約によって成り立つ社会で、人々を結びつける力は多くの場合は利益であり、それ以上の精神的な結びつきはありません。現代の国家は通常ゲゼルシャフトとして営まれており、一定以上の規模の企業も同様といえます。野田はゲゼルシャフトの役割を認めながらも、その中では人が道徳的にふるまうことは難しいと考えました。

さて、共同体感覚を持つべき範囲ですが、これを定めることはできません。もしも、「この範囲の共同体に対して有益な行動をとるべきだ」と唱えるなら、その構造はそのまま全体主義(ファシズム)と同じになってしまうでしょう。それはアドラーが最も忌み嫌ったことです。共同体感覚の範囲は、個人がそれぞれの成長に応じて決めるものだと考えます。

実践の難しさ・現実との乖離について

アドラー心理学では、強さを発揮するだけでなく自身の不完全さも受け入れて、持てる様々な美徳を発揮することで、誰もが社会に貢献できると考えます。互いの可能性を見出し、仲間として協力して共同体を支え合う実践の道を示しているのです。

人間は誰もが弱く誰もが強みをもっています。ある人のある弱さは、裏を返せば強さでもあるのです。たとえば、「仕事が遅い」というのは一見、弱点のように思えますが、実は「丁寧である」「慎重である」という強さでもあります。逆に「仕事が早い」のは長所のように思えますが、ひょっとしたら「ミスが多い」「雑だ」などの弱さがあるかもしれません。

人間関係においても同じです。たとえば「人と交わるのが下手だ」と思っている人は、「思慮深い」「ひとりで行動できる」「自分の好きなことに集中できる」人かもしれません。これらはすべてその人の「パーソナル・ストレンクス」として、社会の中で役立てることができます。

人はそれぞれ違っており、それぞれが異なる弱さと強さをもっています。それぞれが身につけている能力を発揮することにより、各人各様の仕方で社会に貢献することができます。アドラー心理学の実践とは、お互いの持つ多種多様な貢献の可能性を見出しながら、仲間同士として助け合い協力し合って、ともに社会を支えていこうとする道なのです。

その他の疑問

Category: その他の疑問

他者の期待に応えること自体は否定しません。ただし、全ての人に常に好かれることは不可能なのですから、他者の期待を「何もかも」満たそうとしたり、他者の期待を満たすため「だけ」に生きようとしたりすることは、不健康な生き方だと考えます。

ご質問は、アドラー心理学では他者の期待に一切応えてはいけない、としているように聞いたが、それはおかしいのではないか、というご指摘でしょうか。結論から申しますと、たしかにアドラー心理学では、人が他者の期待を「何もかも」満たそうとしたり、他者の期待を満たすため「だけ」に生きようとしたりすることは、とても不健康な生き方だと考えています。しかし、他者の期待に応えること、それ自体を否定しているわけではありません。

かつて野田俊作は、ある講演会の質疑応答で「私は付き合う相手の期待を満たすために生まれてきたのではないのに、相手は私に自分の希望や要求を満たすような行動を期待し、それに沿わないと不機嫌になります。上手く立ち回るにはどうしたらいいでしょうか」と聞かれた際に、次のように答えています。

「世の中の人は皆そうですから、それは仕方がありません。私は、人の期待を満たさないことにしております。ということは、嫌われる覚悟をしているということです。10人の人と付き合うと、2人は私が何をしても好きでいてくれ、1人は私がどんなことをしても絶対に憎み続ける、そして残りの7人はその時々で態度を変える、と思っています。

ですから、絶対に孤独にはなりません。確実に仲間になってくれる人がいる、ということさえ信じられれば、人に嫌われることは平気です。大事なことは、その信じられる仲間を作ることです。そこができないと、周りの評価にふらふらと左右されてしまいます。

どうやってその一番近い環境を作るかというと、今日お話ししたように、協力的な関係を築こうとすることです。それはおそらく、家族やごく近い親友といった人々でしょう。そこを中心にして考えていけば、残りの人たちが自分のことを好きになったり嫌いになったりするのは、そんなものだと受け入れられます。みんなに好かれて暮らすことなど、絶対に不可能なのですから」。

これは野田がよく話していたことでもあります。中には、この話の冒頭だけを聞いて、他者には嫌われなくてはいけない、他者の期待には一切応えてはならない、と勘違いした方がおられるかもしれません。しかし野田は、人の期待を「満たさない」と言っており、「応えない」とは言っていないのです。つまり話の主旨は、人々の期待を何もかも満たして『みんなに好かれて暮らすことなど絶対に不可能だが、家族やごく近い親友など、確実に仲間になってくれる人がいるということさえ信じられれば、残りの人たちが自分のことを好きになったり嫌いになったりするのは、そんなものだと受け入れられる、その信じられる仲間を作るためには、協力的な関係を築こうとすることが大事です』といったところにあります。そして、そうした仲間たちとともに社会生活を送っていく上では、おっしゃるとおり他者の期待に応える局面は多々あることと思います。

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