アドラー心理学についてよく見られるご質問と、それぞれへの私たちの見解をQ&A形式で簡単にまとめました。皆さまの率直な疑問にお答えするため、アドラー心理学に批判的なご質問や、誤解に基づくと思われるご質問も、あえてそのまま掲載しています。内容はさらに網羅的に充実させたいと考えております。
なお、各項目についてより踏み込んだ回答をお求めの場合、あるいはより分かりやすい説明をご希望の場合は、よろしければ『AIJアドラー心理学基礎講座』の受講をご検討ください。
カウンセリングと応用
アドラー心理学のカウンセリングは、クライアントが共同体感覚を育て、「競合」的な生き方から「協力」的な生き方へと移行するための「学び(再教育)」のプロセスであり、アドラー心理学の理論に沿って事例を分析し、クライアントの仮想的目標が協力的か競合的かを吟味し、より協力的な目標の実現を目指して新たな行動計画を立てる点に特徴があります。
アドラー心理学のカウンセリングは、単なる悩みの相談や気休めではなく、クライアントがより良い人生を送るための「学び」のプロセスです。洞察を重視し、必要であれば助言も行います。
その原理、具体的なプロセスは明確に示されており、カウンセラーや心理療法士には、医療関係者と同等かつ、アドラー心理学のプロバイダー(供給者)としての倫理的責任が求められます。
アドラー心理学のカウンセリングや心理療法の最終目的は、クライアントが共同体感覚を育てること、つまり「競合」的なあり方を抜け出して「協力」的なあり方を学ぶことです。アドラー心理学では、人間関係における問題や不幸の唯一の原因は、物事を「競合」的に捉えることにあると考えます。競合とは、相手と自分とを比較し、善悪・正誤・美醜・優劣・勝敗などの価値観でもって人の価値を決めようとする心の持ち方です。「相手が間違っている、自分が正しい」と裁くこの態度は、人間関係を勝ち負けの闘争にしてしまいます。それに対して協力とは、ある価値観において人間の価値を決めようとするのではなく、相手との違いを認め合った上で対等な立場で、力を合わせて問題を解決しようとする心の持ち方です。アドラー心理学のカウンセリングや心理療法は、この「競合」的な生き方から「協力」的な生き方へと移行するための再教育の場ですが、カウンセリングでは主に「エピソード分析」を用いてライフタスクに関する問題を解決することを目標にし、心理療法では、「ライフスタイル分析」によってライフスタイルに関する問題を解決することを目標にします。セッションの始まりには「前回はどんなことを学ばれましたか?」最後には「今日はどんなことを学ばれましたか?」と問われ、この学びをクライエント自身が言語化する事によって再認識できるようにします。
一般的にアドラー心理学のカウンセリングでは、ある日あるところで一度だけ起きた、陰性感情を伴う出来事の話(エピソード)を素材にします。エピソードの中でのクライエントの「思考」「感情」、「目標」を探し、分析します。そして、エピソードの中でクライエントがとった行動について、次に似たような場面があったら、エピソードでとった行動の代わりにそんなことができそうか、行動の代替案を考えます。この時出た代替案などが「宿題」となることがあります。
カウンセリングや心理療法で扱う人間の行動は、すべて「相対的マイナスから相対的プラスへの目標追求」という原理に基づいていると理解されます。人は、何か問題を感じる状況(相対的マイナス)に陥ると、それを解決し、より理想的な状態(相対的プラス)を目指して行動します。この「相対的プラス」の状態は、多くの場合、本人が無意識に抱いている非現実的で空想的な「仮想的目標」です。
この原理に基づき、カウンセリングは以下のステップで進められます。カウンセリングでは、この仮想的目標が「競合的」なのか「協力的」なのかを分析することがポイントになります。カウンセラーは、エピソードを聞き終えた時点で、このプロセス全体のシナリオを見通すこととができるよう、トレーニングが必要になります。
以下に示すのは、元来欧米の言語体系で構築されたアドラー心理学のカウンセリング手順を、日本語話者に理解しやすくやりやすく工夫した、『エピソード分析』の手順です。
- エピソードの聴取:
「ある日、ある所で、一回だけ起こった、陰性感情を伴う出来事」を、客観的な事実として正確に聞き取ります。これが分析の出発点となります。 - 対処行動の特定:
物語を最も大きく動かした、クライアント自身の具体的な行動や言葉を「対処行動」として特定します。 - ライフタスクの特定:
その対処行動のきっかけとなった、相手の言動を「ライフタスク」として特定します。 - 仮想的目標の言語化:
ライフタスクが理想的な形で解決された状態がどのようなものかを推量し、「仮想的目標」を言語化します。 - 協力的目標/競合的目標の判断:
明らかになった仮想的目標が、協力的目標(一緒に問題を解決する方向性の目標。相手も納得してくれそうな目標)または競合的目標(相手を裁いたり、上下関係を決めようとしたりする。実現すると自分にとってはうれしいが、相手は同じようにうれしいとは思ってくれなそうな目標)のどちらにあたるかを、クライアントと共に吟味します。 - 新しい行動計画の立案:
目標が協力的な場合は、その目標を達成するためにより有効と思えるような、対処行動の代替案(例:目標をそのまま相手に伝える)を考えます。
目標が競合的な場合は、その目標を無理に達成しようとすると相手との関係が悪くなります。この場合は相手も納得してくれそうな協力的な目標を探し、その目標を達成するための、対処行動の代替案を一緒に探します。
なお、すべてのセッションの全過程を通じて基本となるのが、R.ドライカースの提唱した「治療的人間関係」、つまり、「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」という良い人間関係を終始築き、カウンセラー(心理療法士)とクライエントの共同作業を続けることです。アドラー心理学のカウンセリングは、教育的ではありますが、教示的ではありません。
アドラー心理学のカウンセラー(心理療法士)であるためには、まず自分自身の私的感覚や競合性を知り、日常生活でアドラー心理学の理論と思想にもとづいて物事を考え行動できるようになること、自分の私的感覚や私的論理を脇に置いて相手の話を聞いたり物事を考えられるようになることが必要です。
アドラー心理学のカウンセラーは、単なる技術者である「ユーザー」とは一線を画す、「プロバイダー(供給者)」として、以下の三つの重い倫理的責任を負っています。
- 理論への忠実性:アドラー心理学の「基本前提」を正しく理解し、それを崩さずに伝える責任。もし同意できないなら「アドラー心理学」を名乗るべきではありません。
- 思想の実践:「共同体感覚」という思想を、自らの実生活の中で実践し続ける責任。日常生活で競合的に暮らしている人に、協力的なカウンセリングはできません。
- ムーブメントへの貢献:アドラー心理学を、より良い世界を実現するための社会運動(ムーブメント)と捉え、それに貢献する責任。これは、過去から未来にわたる世界中のアドレリアンに対する連帯責任を意味します。
この責任を果たすためには、海外の技法を文化的な風土を無視して輸入するのではなく、日本の文化に根差した実践(例:日本における「課題の分離」の重視など)が求められます。また、アドラーや他の先達の著作を「聖典」のように深く読み込み、その思想だけが人類を救済するというほどの確信と、自らの人生を懸けるほどの「覚悟」がプロバイダーには不可欠であるといえます。
「治療的人間関係」とは、アドラー心理学カウンセリングの基本となるルドルフ・ドライカースが提唱した「よい相談関係」を指し、カウンセラーが能動的に関わる「相互尊敬」「相互信頼」「協力」「目標の一致」という四つの条件を満たすものです。
専門的なご質問なので、少しばかり踏み込んだ回答となります。
「治療的人間関係」とは、カウンセリングにおける「よい相談関係」を指し、構築にあたっては、ルドルフ・ドライカースが提唱した「四つの条件」がその核心となります。これはカール・ロジャーズが提唱した「受容」や「共感」といった姿勢とは異なり、カウンセラー側がより能動的に関わっていく点を特徴としています。カウンセラーはこれらについて、カウンセリングが上手くいかない場合はもちろん、セッション前からセッション中、そしてセッション後にわたって常に自己点検しなくてはなりません。「治療的人間関係」を構成する四つの条件は以下の通りです。
- 相互尊敬
これは、相手を単に敬うことではなく、「一回性(Einmaligkeit)」を持つ、すなわち一度きりのかけがえのない「歴史的存在」として捉えようとする、深く能動的な姿勢を指します。相互尊敬とは、語源である「re-spect(再び見る)」が示すように、相手を一人の人間として改めて見つめ直し、その人の人生の歴史全体を、丸ごと掴もうとすることなのです。この姿勢を通じて、相手の現在の言動が、その人自身がそれまでの人生を通じて形成してきたライフスタイルに根差していることを理解し、その人のさまざまな言動は、「所属」のための力一杯の努力なのだ、という視点でその人と向き合います。なお相互尊敬の「相互」は、まず自分自身が相手の人を尊敬することから始めます。相手から尊敬されたらこちらも尊敬する、という向き合い方では決してありません。 - 相互信頼
これは、クライアントがどのような状態にあっても、その人は基本的に自分の問題を自分の力で解決する力があるのだと無条件に信じることです。野田やアドラー心理学の教師はよくこれを「白紙の小切手を切る」と表現しました。とはいえ、人はすべての問題を自分1人の力で解決できると、アドラー心理学は考えていません。相手が問題を解決するにあたって、何らかの手助けが必要かもしれないのです。それは何だろう、と、クライエントとともに考えていくことがカウンセリングの一つの重要なプロセスになります。なお「相互信頼」も「相互尊敬」と同様に、まず「私」の方から相手を信頼します。その結果、相手もこちらを信頼してくれるならば、そこで「相互信頼」が成立します。「そちらから先に信頼してよ」とか「あなたが信頼してくれれば私も信頼しましょう」というような向き合い方は、「信頼」ではない、とアドラー心理学は考えます。 - 協力
これは、カウンセラーとクライアントが、問題解決に向かって「共に働く(ドイツ語: Mit-arbeit)」という対等な共同作業を行うこと、またはそうした関係性を意味します。カウンセラーとクライアントは、どちらかが「主」でどちらかが「従」といったような縦の関係ではなく、役割は違っても「人生の一時期を共に歩む」、一緒に問題を解決する対等な仲間として横の関係を築きます。共に作業し、共に時間を過ごすことを通じて、クライアントのその後の人生に良い影響が残ることを願う、温かい関わり方を指します。 - 目標の一致
これは、クライアントとカウンセラーの間で、カウンセリングで何を解決するか、つまりカウンセリングの目標を明確に話し合い合意することです。先の三つの項目「相互尊敬」「相互信頼」「協力」の上に、この「目標の一致」がなされます。日本文化に見られがちな「仲間だから」「察して」といった曖昧な了解ではなく、カウンセリングの解決目標、互いの役割、協力する範囲やしない範囲などを、明確に言葉にして合意します。人間は一人では不完全であり、問題解決のために他者との協力を必要としますが、その協力関係が明確な合意に基づかなければ、誤解やトラブルの原因になると考えます。カウンセリングの冒頭で「何を目標とするか」を合意することで、その後のプロセスが不当な介入や単なるお説教になることを防ぎ、建設的な協力関係を築きます。また、この「目標」は一度設定したら変えられないものではなく、カウンセリングの中で必要な時はいつでも両者の間で話し合い、見直していくものです。
この「相談的人間関係」は、カウンセリングに限らず、様々な領域でアドラー心理学を実践する場合に必要です。たとえば育児、教育、医療・福祉などはもちろん、日常的な、友人関係や職場での人間関係などでも、相手と「相談的枠組み」にある場合は、常にこの「相談的人間関係」を意識する事が極めて重要となります。
「横の関係」とは、社会的な、あるいは組織上の役割の違いや責任の大小を認めつつ、互いを尊敬し、人間としての価値に優劣をつけず、対等な個人として関わっていく心のあり方です。それは、全員が「同じ」であると主張する「同等」の関係ではなく、それぞれの違いと役割を尊重した上で成り立つ、成熟した協力関係の基盤となるものです。
「横の関係」とは、アドラー心理学における人間関係の理想的なあり方を示す重要な概念です。これはアドラー自身ではなく、彼の弟子であるリディア・ジッヒャー(Lydia Sicher)によって提唱されました。この概念を深く理解するには、対の概念に位置づけられる「縦の関係」との比較、そして、よく似た日常語である「平等」や「同等」との正確な区別が不可欠です。
まず「縦の関係」とは、世の中の様々な価値観における自分と他者の優劣を、そのまま人間としての価値の優劣だと捉える関係をいいます。ジッヒャーはこうした関係を、心のなかに価値観という「はしご」を立てて、自分と他者とをそれぞれ上下の段に位置づけている状態になぞらえました。そのような捉え方のなかでは、同じ場所に立てる人は一人しかおらず、したがって人は常に他者との競争状態にあり、時として自分が上に立つため他者を蹴落としたり、引きずり下ろそうとします。。
一方「横の関係」とは、「縦の関係」とは対照的に、価値観の「はしご」を心のなかに立てずに、自分も他者も人間としての価値には優劣をつけない関係をいいます。そのため「横の関係」では、人々は同じ平面に一緒に立つことができ、そこでそれぞれ協力したり、あるいは別個に役割を果たしながら、互いに対等な立場で自分の人生を生きていくことができます。「横の関係」の中でも、ひとりひとりの人間は様々な点で優れていたり劣っていたりするでしょう。しかしそれらは「違い」なのであって、人としての価値の上下を意味するものではないのです。なお「縦の関係」「横の関係」は、英語ではそれぞれ Vertical Plane / Horizonal Plane と呼びます。
ここで注意が必要なのは、「横の関係」は、しばしば日常で使われる慣用語のイメージと混同されて、意味合いを大変誤解されやすい点です。たとえば、「横の関係」は、社会や組織にタテの序列や指示系統があってはいけない、などということではありません。企業における上司と部下のように、能力や適性などに応じて権限や責任が異なるのは、組織が円滑に機能するため必要となる役割分担であって、「横の関係」の観点からは、互いに役割は違えど人間としては対等だと捉えることができます。
問題なのは、そうした役割の違いを人間の価値の優劣と結びつけてしまうような、他者と向きあう上での心のあり方としての「縦の関係」です。そこで仮に「上司は上司だから人間として偉い、部下である私は人間として劣っている」あるいは「上司である私は当然人間として偉い、部下たちは人間として劣っている」などと考えたとしたら、それは「縦の関係」を自ら作り出していることになります。
また「横の関係」は、すべての人が「同じ(同等)」であることを意味するものではありません。これは最も重要な点です。個性や能力の違いや、男性と女性、若者と高齢者、親と子、あるいは教師と生徒などといった、生物学的違いや社会的立場の違いを無視して、人が全く「同等」に扱われると、ひとりひとりにとってはむしろ不公平で過酷となり、その結果、社会秩序も乱れることになるかもしれません。人はみな「違う」けれど人間としての価値は「平等」であると考えます。こうした「横の関係」の上に成り立つ社会、みなが決定に参加できる社会を作り、そうした社会の中で生きていくことが人間として幸せな状態であるとアドラー心理学では考えます。
そのような都合のよいものはありません。「コツ」をつかんで上手に毎日を乗り切ろう、という安直な考え方こそが、家族の人間関係を悪くするのです。
「ふーん、アドラー心理学は家庭内では役に立たないんだ・・・」と、思わないでくださいね(笑)。家庭内でアドラー心理学を実践する際の「基本」は、ちゃんとあります。
- まず自分の方から相手を「尊敬」「信頼」すること。
- そうして家族と、「どちらが正しいかを決めようとする競争相手」として暮らすのではなく、家庭内やその他の問題を「どうなったらよいのか」といった目標を考える方向で「力を合わせて解決する仲間」として暮らすこと。
- そのために、自分の陰性感情に気をつけること。陰性感情があるときは、協力ができない状態になっています。
- いつも家族の「よいところ」を見ながら生活をすることは、上の項目を実践するための大きな助けになります。
このような事に気をつけながら実践することで、はじめて、アドラー心理学の育児本などで紹介されている様々な技法が有効に使えるようになります。
たとえば、
- 話の聴き方:
アドラー心理学の実践の第一歩は、相手の話を聴くことです。そのときに、上のようなことに気をつけながら聴きます。何のために相手の話を聴くのかというと、相手の考えを理解した上で、「一緒に問題を解決するため」です。決して、自分の考えを押し通すためや、相手の考えに、自分の価値判断でもってよしあしの判断を下すためではありません。
話の聴き方は、実はこれが上手にできると、それだけで相手にとって大きな勇気づけとなる事があるほどです。また、以下に続く技術を効果的に行うためにも不可欠です。 - 「勇気づけ」:
よく誤解されるのですが、「勇気づけ」というのは単に相手の気分をよくすることではありません。また一定の言葉がけや、特定の決まった行動でもありません。この2点には充分な注意が必要です。詳しくは、「勇気づけ」に関する各項目をご覧ください。 - 課題の分離と共同の課題:
アドラー心理学の育児等の技術として「課題の分離」が有名になっているようですが、実は「課題の分離」は、それだけではアドラー心理学の技術とは言えません。「課題の分離」とは、その後の段階で「共同の課題」をつくるための準備作業にすぎないのです。したがって「共同の課題をつくる」ことの方が、本来、アドラー心理学の実践として重要となります。詳しくは、「課題の分離」についての項目をご覧ください。 - 目標の一致:
課題を解決するにあたって、相手と自分の目標が同じ方向を向いているかどうか確認したり、その方向をすりあわせることを、アドラー心理学では「目標の一致」と呼んでいます。ある課題について、双方の目標が一致していれば、その課題を「共同の課題」として、協力し合って解決することが可能となります。
まず相手の話をよく聴き、そのあとで自分の考えを相手に伝え、お互いの目標が同じ方向を向いているかを確認をします。例えば、子どもが九九を覚えたいと望んでいて、親も子どもが九九を覚えることに賛成の場合などは、目標が一致している、と考えるのです。双方の目標が確認でき一致していると思われたならば、あるいは目標の方向に同意できたり、すりあわせることができたなら、次には、目標に向かって誰がどういう事をしていくかを話し合うことができます。 - 目標が一致できなかった場合(「結末を体験する」):
相手と自分の目標が違う方向を向いていて、どうしても目標の一致ができなかった場合には、無理に一致させようとするのはやめて、しばらくはそれぞれ自分自身の課題に向き合います。
育児に関しては、この段階でやっと使えるのが「結末を体験する」方法です。
- 「結末を体験する」方法:
育児中の親子の場合、親は、育てている子どもにいろいろなことを教えなければなりませんし、子どもは社会に出るまでに、親からいろんな事を学ばなければなりません。アドラー心理学では、親は子育てという貴重な機会に、生活の知識などとともに、社会で大人たちが大切にしている「共通感覚」と、社会で協力しあって暮らすための「共同体感覚」を、子どもに伝えなくてはならないと考えます。
子どもに物事を学んでもらうための方法の一つに、自分の行動の「結末を体験する」というものがあります。これは、使い方に細心の注意が必要な技法です。注意せずに使うと「勇気づけ」にならないどころか、子どもにとって「罰」になってしまい、親子関係を壊してしまうからです。そのため『パセージ』ではこの一部をコースの後半で学び、残りは『パセージ・プラス』で学ぶというように、特に時間をかけ段階を踏んで丁寧に学ぶ項目としています。
野田俊作はここでいう「結末」について、次の3通りに分類しました。
・自然の結末:自然の法則によって起きる結末。
例)雨の日に傘をささずに外へ出ると濡れる。
・社会的結末:法や慣習、伝統などよって起きる結末。
例)どろぼうをすると警察に捕まる。
・論理的結末:論理的に導き出される結末。
子どもが「自然の結末」を実際に体験することで、よく学ぶことのできる事柄は少なくありません。ただし場合によっては、子どもの身に危険がふりかかったり、子どもには結末がふりかからないが他人には迷惑をかけてしまうなど、この方法によって学んでもらうのに不向きな事柄もあります。そうしたケースでは「社会的結末」あるいは「論理的結末」といった技法を用いることができますが、しかし、親や教師がさせたいことを子どもにさせようとしてそれらの技法を使うと、かえって関係は悪くなってしまいます。
たとえば、それらの技法のなかでは親から子どもに行動の選択肢を示して、その結末を体験してもらうことがあります。しかし、選択肢は何でもいいから示せばいいわけではありません。子育てのなかで子どもに伝えるべきことを考えて、「共通感覚であって共同体感覚に沿っているもの」を選択肢として設定する必要があります。また、選択肢と結末の間には社会の共通感覚からの必然、または厳密な論理的関係がなくてはなりません。それらを親や教師の好みや勝手な都合など(私的感覚)で設定すると、それは「結末の体験」ではなく「罰」、しかもかなり厳しい「罰」になってしまうのです。
このように、これらは適用が難しく副作用が極めて大きな技法ですので、使用にあたっては細心の注意が必要となります。
- 「結末を体験する」方法:
以上の技法は、ここでは概略をお伝えすることしかできません。ここから先は、本やネットで見聞きした知識よりも、現実の育児に即した繰り返しの練習こそが大切になるのです。私どもの育児学習コース『パセージ』と『パセージ・プラス』ではここにあげている技法を含め、アドラー心理学による育児を実践的に学ぶことができますので、ぜひ受講をご検討ください。
身近な方からのご相談では、それがどんなご相談なのか、その相談で何を目指すのかを丁寧に確認します。相手への尊敬と信頼を忘れずに、自分の価値判断で相手を裁いたりせず、なるべく具体的なエピソードに沿いながら話を伺い、相手の方が何に困っていてどう解決したいのかを明確にします。ここで大切なのは自分に陰性感情がないかを終始観察することです。陰性感情があれば、よい相談にはなりません。
身近な方からの相談に乗る際のアドラー心理学からのアドバイスとしてはまず、それはどのような相談なのか、この相談で何を目指すのかを、相談する方とされる方両者が共有することです。
相談に乗ることになったら、相手への「尊敬」と「信頼」を持って、まずは相手の話を自分の価値判断で裁くことがないように、相手の話をよく聞きます。そして、相談する人が何に困っていて何を解決したいと考えているのかを明確にします。具体的な「エピソード」を素材にすると、問題の「原因」ではなく「どうなればいいのか(解決像)」を明らかにすることで、その解決像を実現するためにどのようなことができるかを一緒に考えていく事ができます。大切なのは、自分に陰性感情が出ていないかを終始観察することです。自分に陰性感情がある時は、よい相談はできません。
- 相談の時は「相談的人間関係」を保持する
相談に乗る時に大切なのは、技術はもちろんですが、相手に対する向き合い方が極めて大切です。
アドラー心理学では、相談にあたっての人間関係を「相談的人間関係」と呼んでとても重視します。これは、カウンセラーとクライエント、医師と患者、医療関係者と利用者、教師と生徒、などの「相談する/される」関係においてはもちろんですが、友人同士、夫と妻など、普段は「相談する/される」関係にない場合でも、「相談していい?」「いいですよ。何ですか?」という一往復の会話であってもお互いが「相談する/される」関係になったその瞬間から必要になります。
また、相談に乗る側が、善かれと思ってつい「自分が相手を助けてあげなければ」「正しい道に導いてあげなければ」といった、相手への支配的な考え方にとらわれてしまうことがあります。このようなときは相談がうまくいきません。こうしたときも「相談的人間関係」について点検すると、道が開けることがあります。
「相談的人間関係」については 「Q アドラー心理学カウンセリングにおける「相談的(治療的)人間関係」とは何ですか?」をご参照ください。 - まずは相手の話を聴く
相手がこちらにどんなことを望んでいるのか(聴くだけでいいのか、アドバイスがほしいのか、一緒に解決を考えてほしいのか、など)、相手が何を問題と考えているのか(現状)、相談の結果どうなったらよいと考えているのか(目標)、などをききましょう。相手の話を、途中で遮らずに、最後まで聴きます。もし相談内容が自分では対応が難しい場合や、自分には無理と思われた場合は、相談を引き受けるのを断るほうが、おたがいにとって建設的である場合もあります。 - 自分の陰性感情に注意する
相談をしていて、あるいはされていて、どうしても陰性感情が出てきてしまうことがあります。陰性感情を持ったままでは、なかなかよい結果にはつながりません。どちらかが陰性感情を持つときには大抵、もう片方も陰性感情を多少は持っていて、なんだかうまくいかないな、とお互いに感じていることが多いのです。相談中どうしても陰性感情を持ち続けてしまうようなら、一旦相談を中止して落ち着いたら再開するか、あるいは別の人と相談をすることにするかなどを検討する方がよいことがあります。 - 「どこから」ではなく「どこへ」を探す
アドラー心理学の基本前提に「目的論」という考え方があります。人の行動の原因よりも目的を見ようとする考え方です。相談の時にも、今起きている問題について、その原因を探して除去しようとする方向ではなく、今の状態が結局どうなればいいのか、解決像を見つけてそれを実現するための行動を考える方向で進めると、できる事が見つかりやすいです。
このほか、具体的な技術に関心をお持ちの方は、まずアドラー心理学基礎講座応用編などを、カウンセリングについて勉強されたい方は基礎講座の後カウンセリング講座などを受講されることをおすすめします。
高齢の親とも、他のすべての人間関係と同様、「縦の関係」を抜けて「横の関係」で暮らすことができることが望ましいとアドラー心理学は考えます。まずは子どもである私たちのほうから親を「尊敬」「信頼」することが大切です。具体的には、日常の出来事を共有したり、相談したり、親の経験から来る意見をきくことなどを通じて、親にも「私は能力がある」「人びとは私の仲間だ」といった「自尊心」と「所属感」を保ってもらえるようなコミュニケーションをすることをアドラー心理学は提案します。
高齢者、特に自身の親と良好な関係を築くためには、テクニック以前に、まず私たちの対人的な構えを見直すことが大切です。そこでの基本的な考え方は、アドラー心理学における子育ての考え方と多くが共通しています。つまりそれは、自分たちのなかでどちらが「正しい/間違い」などを決めようと争う、競合的な「縦の関係」ではなく、同じ家族として遭遇する日々の問題を一緒に解決しようとする、協力的な「横の関係」を築くことです。しかし親との関係には、次の2つの難しさがあります。
《寛容さの違い》
私たちは子供の未熟さや失敗には辛抱強く寛容であれますが、自分の親に対しては感情的になりやすく、寛容さを失いがちです。特に、配偶者の親(姑・舅)に対しては、その傾向がさらに強まることがあります。
《長年繰り返してきたコミュニケーションを変える難しさ》
親子はこれまでとても長い時間をかけて、今のコミュニケーションを作り上げてきています。それは実際には、過去のある時にできたコミュニケーションの「ひな形」を繰り返していることが多いのですが、長い間繰り返してきたコミュニケーションのパターンを変えるためには、とても大きな勇気が必要となります。また、親はいつまでも我が子を「子供」として見てしまいがちです(例:60歳を過ぎた息子に18歳当時と同じ量の食事を用意する)。同時に、子どもの方も親に対して「自分が子供の頃の親」のイメージを引きずってしまいやすいのです。
こうしたことから抜け出して対等な大人同士として向き合うことは、難しく感じられることがありますが、焦らずじっくり取り組めば、次第に上手にできるようになることが多いのです。
それではこうした中で、実際に親と建設的な関係を築くためにはどうすればいいでしょうか。そのためには、まず親の現在の状況を理解しようとすることと、普段の過ごし方がとても大切です。ただし、普段はどんなに関係がよくても、たとえ親の事をよく理解していると思っていたとしても、それでも親と衝突してしまうことはあるでしょう。そんなときは、衝突したときのできごと(エピソード)から何が起きているのかを理解することが重要です。
- 親の状況を理解する
例えば、親が「不平不満や悪口をいう」などといった、私たちが陰性感情を持つような行動をする背景を考えてみます。
人は、高齢になるとたとえば「前はできたことができなくなっている」とか「聞き取りづらい」、「見えにくい」、「(若い人の)会話について行けない」などといった、アドラー心理学で言う「劣等感」をもつ状況が増えて行きます。このような「劣等感」を持つ状況は、いわば本人にとって「相対的マイナス」の状況ですから、人はその状況を「相対的プラス」に変えるために、何らかの「行動(対処行動)」を起こします。(「Q アドラー心理学で言う「目的論」とは何ですか? フロイトの「原因論」との違いは何ですか?」参照)
その「行動(対処行動)」にあたるのが、「不平不満や悪口を言う」などといった、一つ一つの行動と考えます。
アドラー心理学では、人の究極的な目標は(社会に)所属することと考えますから、こうした行動は最終的には、相手と自分が「所属している」状態の実現に向かって行われていると考えます。
たとえば、不平不満をいうと、相手は否定的な反応をするかもしれません。それでも、なにか反応をしてもらったということは、たとえネガティブな形であれ、自分とその相手はともかく「所属している」のです。
このネガティブな形での所属がポジティブな形の所属に変わるようにコミュニケーションを変えることで、問題が解決へと向かうとアドラー心理学では考えます。
このように問題を理解することが、問題が起きる前の「予防」と、起きてしまった後の「対処」につながっていきます。
まずは普段のコミュニケーションが大切!
普段から高齢の親とプラスの面でつながり、コミュニケーションを取る機会を増やすようにすると、親に「私は能力がある」「人びとは私の仲間だ」感じてもらいやすくなるかもしれません。そのための働きかけとしては、たとえば以下のような事が考えられます。
- 共通の話題を継続的に提供する
日々の出来事をメールやSNSで報告したり、電話で話したりして、近況を共有することができます。「今度、あそこへ行くんだ」とか「今日の朝ドラ見た?」といった日常的な雑談ができることは、何気ないことのようですが、人と人との関わりにおいてはとても大切なことだと言えます。 - 親の知識や経験は貴重なもの。様々なことを相談する
冠婚葬祭のしきたりやおせち料理の作り方など、親が得意とする分野について「教えてもらう」ことや「意見を聞く」ことも、親が「私は能力がある」「人びとは私の仲間だ」と感じることにつながります。もちろん、相談したり教えてもらったことすべてに従わなければならないというわけではありません。そのような場合には、例えば後で「教えてもらったのとはちょっと違うけど、今回はこういう風にしたの。あのときは助かったわ、ありがとうね。また何かあったら相談するね。」などと伝えられると、また会話をするきっかけにもなるでしょう。
問題が起きた時は陰性感情に注意!
たとえば親が「不満を言う」など、子どもが陰性感情をもつような行動を始めたときも、感情的になってすぐに反論してしまうと「権力争い」というこじれたコミュニケーションに陥りかねません。とても大切なことは、自分に陰性感情があると思ったらまず「土俵から降りる」ことです。「戦わない、降参しない(Never fight Never give in!)」です。たとえば、その場を離れるなどして、陰性感情を落ち着けます。相手(ここでは高齢の親)を言い負かすことよりも「もう一度、仲間になること」を目標にすると、できることが見つかりやすいです。
陰性感情が落ち着いている時には、次のような方法で相手の話を聴いてみることができます。そのときに、自分の正しさを主張しようとして話を聴いては何にもなりません。ですから、話を聴きながらも、終始自分の陰性感情に注意することは極めて重要です。話しを聴く目的はあくまでも、親の考えを理解し協力することにあるのです。
- 相手の話を最後まで聞く
相手の方に心と体を向けて、相槌を打ちながら、話を遮らずに最後まで聞きます。それだけで相手の気持ちが落ち着くこともあります。また、相手の話を最後まで聞いてはじめて、相手にもこちらの話を聞いてもらいやすくなります。 - 「開いた質問」を使って、相手に話してもらう
「開いた質問」つまり「はい/いいえ」で終わらない質問(例:「へえ、例えばどんなことがあったの?」)をすることで、相手は自分の気持ちや状況をより自由に話すことができます。 - 相手の言葉の背景を理解する
相手の不満話を聞いているうちに、不満の裏にある相手の望みや目標、良い思い出などが語られることもあります。例えば「夫の金遣いが荒い」という不満も、見方を変えれば「気前が良い」という長所を語っていることに気づくかもしれませんし、話を伺っているうちに「将来に備えて今できるだけ貯金しておきたい」などという相手の望みが語られるかもしれません。じっくり話を聞くことで、相手の考えをより深く理解することができますし、建設的な目標が見つかれば、それに向かってともに協力してできる事が見つかるかもしれません。
尊敬と信頼の出発点は?
親に対しても、他の人間関係と同じく、「相互尊敬」「相互信頼」「協力」「目標の一致」の「相談的人間関係」が大切です。まずは、こちらから親に対して尊敬や信頼を始めることが、相互尊敬や相互信頼の第一歩となります。
親子関係にはそれまでの長い関係の歴史があって、その上に今現在の状態があります。ですから、実を言うとアドラー心理学的には、エピソードや個々の事例の状況を聴かずに一般的なアドバイスだけする、などということはできないのです。
実際のところ、相手を尊敬したり信頼することがとても難しいという関係の親子もあると、認めざるを得ません。そういう場合は、今すぐに協力的な横の関係を築くのは容易なことではないでしょう。しかしそれでも「親とよりよい関係を築きたい」という願いがあるならば、たとえ親がどのような行動をしたとしても、「これに対して今ここでどのように行動すると自分の望むようなよい関係に近づけるか?」と考えて、ごく些細なことから、今までとはほんの少し違ったことをはじめてみることができるかもしれません。
認知症への応用
認知症には特有で不可逆的な症状があります。そうした症状に対してどのように対応するとよいかは専門家の意見を聞かれることをおすすめします。そのうえで、ここでご紹介した考え方は、親が認知症になった場合でも応用できます。病気自体が治せなくても、私たちの向き合い方で、日常生活の様子や症状が変わってくることはありえます。けっして容易いことではありませんが、どのような状態であろうとも相手を尊敬・信頼し、相手に「私は能力がある」「人びとは私の仲間だ」と思ってもらえるようなコミュニケーションを続けることが大切だと私たちは考えます。
付記: 「終活」について ~現代社会における「家族」のあり方~
アドラー心理学は、自分の人生をどのように終わりにするかも究極的には自分が決めるのだと考えています。これが個人の尊厳だと考えます。
たとえば、病院のベッドの上ではなく、住み慣れた家で、家族に囲まれて最期を迎えたいと願っている人もいるでしょう。また、できるだけ人に関わられずに、静かに逝きたいと望む人もいるでしょう。可能なら臓器を提供したいと考える人もいるでしょうし、それは絶対にイヤだと考える人もいるでしょう。一方で家族の方にも、どうしてほしい、という願いがある場合もあるでしょう。これらは、どの願いが正しいとか、よいとか、どうすべき、とかいうものではありません。ただ確かなことは、どのように亡くなるかについて、亡くなる側ただ一人で上手に決められるケースは、少ないということです。
このようなことについて親子や家族の間で話をしておくことは、とても大切なことだとアドラー心理学では考えます。もちろん命と、それぞれの人生がかかった話し合いなのですから、軽々しく行うことはできません。そのため、こうした話をお互いに包み隠さず率直にできる、とてもよい家族関係を普段からつくっておくことが極めて大切になります。
その人が望む最後の迎え方を家族が理解することができれば、家族は可能な限りその実現に協力することもできるでしょうし、家族の方も、望みがあれば伝えてもかまわないのです。そうした話し合いができておれば、現行の社会制度や持っている資産をどのように活用するかなども、冷静かつ現実的に考え、相談しながら決めることができるでしょう。
高齢者との付き合いは、単なるさしあたってのコミュニケーション技術の問題ではありません。「お年寄りとどう暮らすか」ということは、私たちがどういう方向を目指して家族を、ひいては社会をつくって行くのかという、より大きなテーマの一端なのです。尊敬、信頼、そして協力を基盤とした人間らしい関係を、私たち自身の決意によって見直し築いていくことが人びとが幸福に暮らせる社会を築いていく上で極めて大切だと考えます。
アドラー心理学を教育現場で活かすには、アドラー心理学の理論、特に「目的論」に沿って様々な問題を考えることと、教師が生徒に対して「協力的な横の関係」でコミュニケーションをすること、この2点に注意が必要です。この土台の上に立つことによって、教科や人との関わり方など、将来社会をつくって行く人として必要な様々なことを、「賞罰」ではなく「勇気づけ」で学んでもらうことができます。
アドラー心理学を学校教育の現場で活かすためには、さまざまな機会に次の二つの点に注意することが重要です。
一つはアドラー心理学の理論、特に「目的論」にもとづいてものごとを考えているかに注意することです。
もう一つは、教師自身の、子どもたちをはじめとした他者との向き合い方にいつも注意を向けていることです。教師が「縦の関係」をつくる「競合的」な構えを持っていると、クラス全体も競合的な雰囲気になってしまって、いわゆる問題行動をする子どもが出てきたり、子ども同士の仲が悪くなってしまうことにつながります。反対に、教師が「横の関係」をつくる「協力的」な構えを持っていると、クラス全体が「協力的」な雰囲気になり、あたたかく、お互いに助け合うクラスになりやすいです。
ではそれぞれの注意点について、もう少し深く見ていきます。
- 「目的論」で問題を見る。
アドラー心理学の基本前提のなかに「目的論」という考え方があります。
クラスで起きた問題について考える時に、何が原因かではなく、どういう風になったよいのかを考える視点につながります。また、生徒の問題行動について考える時も、その子は何が原因でその行動をするのか、よりも、何のためにその行動をするのか、について考えると、問題解決の糸口が見つかりやすいとアドラー心理学は考えます。
教師が問題だと感じるような行動をする生徒がいるときに、その行動の原因を考えてそれを取り除こうとしても、物理学や化学のようにははっきりとした原因が見つからないことが多いです。原因が見つからないときに原因を取り除くことは無理でしょう。行動の原因ではなく目的を考えるなら、その目的(目標)が、実現しても問題のないものであれば、目標が実現できるような他の行動を考えればよい、ということになります。
人のすべての行動の究極的な目標は「所属」だ、とアドラー心理学は考えます。つまり、人の行動の目的は集団(社会)の中に自分の居場所を確保すること、と考えるのです。居場所を確保すること自体は、よい目的(目標)です。ひょっとしたら、生徒の「問題行動」も、クラスへの「所属」あるいは教師との「所属」という、本来よい目的(目標)のために行われているのかもしれません。そうであれば、生徒にその行動を改めさせる、という方針よりは、別の(問題とならない)行動で目標実現ができるように援助する方が、その生徒にとってもクラス全体にとってもプラスの方向へ向くと考えます。
さらに関心がある方はぜひ、「Q こじれたコミュニケーションの5つの段階」をご参照ください。
- 「競合的な構え」と「協力的な構え」、「縦の関係」と「横の関係」
競合的な構えは縦の関係をつくり、協力的な構えは横の関係をつくり出します。
競合的な教育の中には、「権威的」な教育と「放任的」な教育があります。
権威的な教育では、教師が生徒に命令し管理し生徒を支配しようとします。生徒は恐怖心から規律を守りますが、「権力を手に入れて弱い者を支配しよう」「強い者の前ではいい子でいて、陰では何をしてもいいや」などと考えるようになります。
放任的な教育では、生徒のすることを何でも容認します。一見優しそうに見えますが、ウラを返せば無責任ということになります。限界を設定しないので、生徒は「自分がやりたいことは何をしてもよいのだ」と考えるようになり、自分で責任を取ることや、社会の中でしてはいけないことを学べません。また、自分がしたいことができないと、「自分がやりたいことができないのは○○のせいだ」などと、他者や社会を責めたりするようになるかもしれません。
協力的な教育は「民主的」な方法をとります。教師は「教師と生徒は立場が違うが人間としては対等である」と考え生徒を「尊敬」「信頼」し「横の関係」を築きます。教師としての責任を果たし、生徒とたえず協力して問題を解決しようとします。そのような教師のあり方から生徒は責任を学び、教師とも、生徒同士も、協力し、話し合って物事を解決しようとするようになるでしょう。
競合的で権威的な教育で使われるのが「賞と罰」という方法で、協力的な教育で使われるのが、「勇気づけ」です。
アドラー心理学を教育現場で活かすために不可欠なのが、以上の2点です。
次に、これらの点に注意しながらどんなことをしていくのがよいか、について述べます。
アドラー心理学では、人間が協力的な横の関係にもとづいて暮らせるのがよいことだと考えています。「勇気づけ」を行っていくことは、アドラー心理学を教育現場で実践することに他なりません。
「勇気づけ」の基礎と応用
それでは、「勇気づけ」というのはもう少し具体的にはどういうことでしょうか。アドラーをはじめアドラー心理学の先人たちは「勇気」や「勇気づけ」について様々な表現を用いています。野田俊作は育児学習コース『パセージ』で「『勇気づける』というのは、子育ての心理面の目標、1)私は能力がある。2)人びとは私の仲間だ。に向かうように、子どもを援助することです。」と述べています。
『パセージ』ではそのための実践的な方法を、段階を踏んで学んでいきます。
そのうちここでは最も基本的なことだけをご紹介しますと、
- 子どもの話を聴く
- 子どもの適切な行動や適切な側面を探す
この2つとなります。
「勇気づけ」というのは、ある特定の「言葉がけ」や行動などでは決してありません。ある言葉や行動が勇気づけになるかどうかは、教師の「構え」によっても違いますし、個々の子どもによっても違います。
たとえば子どもの話を聴くときに、「この子は困った子だ。なんとかしてあげなければ。」と思いながら聴くのと、「この子は困った行動をしたけれど、悪い子ではない。よいところもたくさんある。この子は何を望んでいるのだろう?」と思いながら聴くのでは、「勇気づけ」になるかどうかが全く違ってきます。また、たとえば「がんばれ!」という言葉が勇気づけになる子どももいますし、この言葉で勇気をくじかれてしまう子どももいます。ですから、何がその子にとって勇気づけになるかを知るためには、いつでも子どものことを観察していることと、プラスの感情を持って子どもとコミュニケーションすることがとても大切になります。
上述のような注意点や小さな実践を基礎としながら、さらに発展した実践として「クラス会議」を行う事ができます。
クラス会議は、みんなで自分たちのクラスをよりよいものにしていくためのものです。教師と生徒や生徒同士が協力的な横の関係で行われると、とてもよい勇気づけの場になります。ここでは教師は「ボス」ではなく「コーディネーター」の役割になります。クラスは、お互いに援助し会う場になり、クラスのルールなど決め事もここでみんなで決める事ができるようになるので、生徒は「民主的」な方法を学ぶ事ができます。
こうした事を実践するためには、文字情報ではなく講座で体験から学ぶのが効果的です。まずは基礎講座のご受講をおすすめします。
参考図書:『アドラー心理学でクラスはよみがえる』野田俊作・萩 雅子,創元社,2017
アドラー心理学では賞罰に代わる教育法としてこの「結末から学ぶ技法」を重視します。米国のドライカースは「自然/論理的結末」を提唱しましたが、文化の違いや誤用によって支配や罰の道具になりかねない課題がありました。これを受け、日本の野田俊作は日本の文化特性や臨床リスクに配慮し、「自然/社会/論理の結末」の3つに再定義して導入しました。特に「論理的結末」は成熟した親子関係が前提の高度な技術であり、ハラスメント化するリスクを避けるためにも段階的な学習が不可欠です。
一般に人がものを学ぶ方法には、ことばを通じて学習する、親や先生などのモデルを見て学ぶ、試行錯誤をしながら体験を通して学ぶ、という3種類の学び方があります。人が子どもから大人へと成長していくには、このいずれの方法も大切となります。ですが、このなかで最も効果的に、子どもが自ら学び成長できる学び方は、試行錯誤をしながら行動の結末の体験を通して学ぶ方法に他なりません。アドラー心理学ではこうした教育法について、アメリカにおいてはドライカースが「自然の結末」と「論理的結末」から学ぶ技法を提唱し、日本においては野田俊作が「自然の結末」「社会的結末」「論理的結末」の3つから学ぶ技法を提唱しました。
まずは野田のアイデアから説明します。「自然の結末」とは、「自然の法則」、すなわち物理学的な法則や生物学的な因果関係によって起こる結末のことです。たとえば、雨が降るのに傘を持たずに外に出れば、「自然の法則」によって服が濡れますから、「自然の結末」を体験することになります。さらに、そのために冷えて風邪をひくかもしれませんが、これも「自然の法則」によるものですから「自然の結末」です。子どもは「自然の結末」を自ら体験することで、学び、成長することができます。「自然の結末」の体験に際して、子ども自身と他人の身に危害がおよぶとか、取り返しのつかない結末とかでない限り、親などはできるだけ介入しないほうがよいとアドラー心理学では考えます。
しかし、子どもの教育を「自然の結末」だけに任せていては、子どもは生きていくのに必要な、社会のルールや常識を学ぶことができません。人は社会的な動物ですから、子どもに社会と調和して生きる大人に育ってもらうことが大切です。子どもたちは社会を生きていくため、法律はもちろん、ルールや約束、さらに慣習や文化などに由来する「社会の法則」を学ぶ必要があります。「自然の法則」によって望ましくない「自然の結末」を体験することがあるように、もし「社会の法則」に反する行為を選択すると、なんらかの「社会的結末」を体験することになるでしょう。たとえば、他人のものを断りなく自分のものにすると、「社会の法則」によって叱られる、あるいは罰を受ける、といった結末を体験するのです。このように「社会的結末」を体験することによって、子どもは自らの行為に対する責任を学ぶことができます。
では、3つめの「論理的結末」とはなんでしょうか。これは「論理の法則」によってもたらされる結末です。「論理の法則」とは、親も子どもも、それ以外の誰であろうと、話し合えばともに納得できる「筋の通った」法則性のことです。たとえば食事中に遊ぶのは、常識に照らして好ましくない行動ですし、まわりの迷惑にもなりますから、そのようなことをしてはいけないと子どもに学んでもらわなくてはなりません。「食事中は遊ぶのをやめてください」と親が子どもにお願いしても繰り返されているとしましょう。その場合、親は「食事をするなら遊ぶのはやめてください。遊ぶのなら食事をやめてください」と提案します。これに対して子どもが納得して「遊ぶのをやめる」と言えば、親子で合意したこの法則性によって起こる結末を、「論理的結末」といいます。つまり、それで本当に子どもが遊びをやめるなら食事が続きますが、子どもが遊びを続けるようなら、親は「遊ぶことに決めたようですから、食事は終わりにしましょうね」と言って食事を片づけるという結末になります。
さて、ドライカースの育児法においても、子どもに「自然の結末」を体験させることがなるべく重視されます。ただし彼のいう「自然の結末」とは、野田の言う「自然の結末」、すなわち物理学的な法則や生物学的な因果関係によって起こる結末ではありません。子どもが自らの行為によって自然と起こる結末のすべてを指します。ただし、育児において、子どもの行為の中には、取り返しがつかなかったり他者に危害が及ぶような結末を招くものもあり、そうした可能性は、親が「介入」し回避しなければならない、とドライカースは考えました。そこで、自然に起こる結末「自然の結末」のかわりとして、子どもの行為が原因となって起こるはずの出来事のなかで、危険がなく子どもにとって教訓的な結末を親が「演出」し、それを子どもに体験させることを「論理的結末」と呼び、提案しました。
ドライカースの「論理的結末」は、「自然の結末」のかわりに親が結末を「演出」するわけですから、子どもの行為と結末との間には、「自然の法則」の場合と同様の、誰であろうと納得できる原因とその結果という、厳密に論理的な関係がなくてはなりません。なぜなら、行為と論理的に結びつかない結末を子どもに課すことは、親の恣意的な罰に過ぎず、子どもはそこから、どのように行為すればどのような結果に至るのかといった物事の道理を学ぶことができないからです。しかしながら、親が自分では「論理」と思い「演出」しているつもりでも、実際には単に親の私的感覚に基づくものであったり、社会の共通感覚に反していることがあります。そのため残念なことに、アメリカではこの技法が子どもを支配する技術として悪用される、あるいはそのように意図しなくとも使い方を誤って罰や支配の道具となってしまう、等の問題が起こりました。
それに加え、日本人は親も子どもも、そもそも欧米人ほど論理的ではありませんし、欧米のように、情よりも論理に価値を認める文化ではありません。また私たちが思考とコミュニケーションに用いる日本語それ自体が、英語ほど明確な論理的構造を持っておりません。にもかかわらず、親が「論理的結末」を「演出」し、平然とポーカーフェイスで子どもに経験させる、というアプローチは、はたして日本で可能でしょうか。
そのため野田俊作は、アドラー心理学による育児を日本に導入するなかで、日本人が分かりやすく、なおかつ安全に実践できるように、「自然の法則」「社会の法則」「論理の法則」に基づく結末をそれぞれ「自然の結末」「社会的結末」「論理的結末」と名づけて定義し直しました。このように、ドライカースのアイデアと日本で教えている「結末」との間に大きな違いがあるのは、臨床上の問題点に配慮しながら、各国の文化的な特性に対応するため工夫を重ねた結果です。ただし、どちらにしましても、賞罰とは決定的に異なる、子どもが自ら学び、成長を促す技法であるという点には変わりありません。
なお、親子の関係が成熟しないままで「論理的結末」の技術を使うと、ハラスメントやDV、あるいは病的な親子関係となってしまうことさえあります。
たとえば、他の子どもを叩いてしまう子どもと、その親の間で、次のような約束をしたとします。「もしあなたがお友だちを叩いたら、私はあなたを家に連れて帰ります。もしあなたがお友だちと仲良く遊ぶなら、ここで遊ぶことを許します」。これは直ちに「論理的結末」といえるでしょうか。もし親が冷静に、そもそも友達とは叩いてよいものではなく、叩かないのが世の中の常識であり、お互いに叩かずにいてこそ友達同士として仲良く一緒にいられる、と子どもに伝え、子どもがそれを理解して、その結末として上記のような約束を交わしたのであれば、それは紛れもなく「論理的結末」といえるでしょう。しかし、子どもと冷静に話し合うことをせず、子どもが納得しないまま「あなたはどちらを選びますか」と選択肢を提示し、無理やりどちらかを選ばせたのなら、これは押し付けられた罰にほかなりません。子どもはいったんは親の言うことを聞いて叩くのをやめるかもしれませんが、人と仲良くするためにはどう行動すればよいかという、最も学んでほしいことを学ぶことができないでしょう。ましてや、連れ帰られた場合には、不平不満だけが残るでしょう。
このように、親子が仲間でない状態で使おうとすれば、「論理的結末」という技法は100%失敗します。「論理的結末」は、親子の関係が成熟してはじめて使える技術なのです。AIJでは、子どもがそのような悲劇に陥いることのないように、「論理的結末」は『パセージ』の上級編である『パセージ・プラス』で扱うこととし、『パセージ』では、理解しやすくリスクも比較的低い「自然の結末」と「社会的結末」について、練習を交えながら丁寧に学んでいただきます。
Staff List
企画・編集:川尻信一(AIJ事務局長)
執筆:大竹優子・中井亜由美・久保田由紀子・野田文子(以上4名AIJ心理療法士)
監修:大竹優子(アドラー心理学指導者)
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