アドラー心理学についてよく見られるご質問と、それぞれへの私たちの見解をQ&A形式で簡単にまとめました。皆さまの率直な疑問にお答えするため、アドラー心理学に批判的なご質問や、誤解に基づくと思われるご質問も、あえてそのまま掲載しています。内容はさらに網羅的に充実させたいと考えております。
なお、各項目についてより踏み込んだ回答をお求めの場合、あるいはより分かりやすい説明をご希望の場合は、よろしければ『AIJアドラー心理学基礎講座』の受講をご検討ください。
対人関係について
病気や死別、自然災害は、恐怖や身体的苦痛など生理的な苦しみとして体験されますが、その一方で、それらをどのように受け止め、どう意味づけ、そこから周囲とどう関わるかという、対人関係の文脈の中でも体験されます。アドラー心理学で解決できるのは、その対人関係上での「悩み」です。
「全ての悩みは対人関係の悩みである」とは実はアドラー自身の言葉ではないのですが、アドラーは人間が人生で直面する様々な課題について、仕事のタスク・交友のタスク・愛のタスクに分けて考えることで、多くの問題が解決できると考えました。
ただし、ここで留意しておきたいのは、ご指摘の病気や事故、災害等に遭遇した際の身体的苦痛や、それに伴う恐怖や不安そのものは、あくまで「生理的なもの」であるという点です。
アドラー心理学が対人関係上の問題だとするのは、出来事自体やそこから生じる生理的苦痛に対する本人の主観的な意味づけ、さらには起こった状況に対する周囲の反応や副次的に起こる問題に対する「悩み」です(主観的といっても、脳機能への影響から直接生じる抑うつ気分や、幻覚・せん妄・妄想等に伴う切迫感や恐怖感などについては生理的苦痛に属すると考えられます)。
たとえば、病気になったとしても、それを本人がどう受け止め、どう意味づけ、周囲とどう関わるかによって、体験の意味が変わります。つまり病気は、生理的なものとしてだけでなく、対人関係上の「悩み」、すなわち仕事のタスクや交友のタスク、愛のタスクとしても体験されるのです。また、いずれ誰にも訪れる自分自身の死にしても、それに先立つ生理的な痛みや苦しみとしてだけではなく、死に伴って避けられない他者との別離の辛さや悲しみとしても体験されます。アドラー心理学で解決できるのは、そうした対人関係上の悩みです。もっとも、対人関係上の問題が解決することで、結果的に生理的な苦痛が和らぐことも十分にあり得ます。
人間は対人関係に深く組み込まれた存在であり、あらゆる出来事は、対人関係上ないし社会的な文脈において主観的に意味づけられた形で体験されると、アドラー心理学では考えるのです。
はじめからアドラー心理学が第一選択だと決めつけずに、幅広い可能性を考慮すべきであり、アドラー心理学に基づくカウンセリングが適応とされる場合は治療的人間関係(相談的人間関係)を確立しつつ、その人に応じた個別の対応を行います。
まず大事なことは、一人ひとりの状況に応じた適切な対応をとることです。対人関係が極端に苦手であるとか、社会的に孤立しているとしても、どうしてそうなのかは様々な事情が考えられます。
周囲の状況が過酷で、そうするのがやむをえない状況なのかもしれません。場合によっては、カウンセリングよりも先に警察や法の専門家などへの相談が急がれますし、福祉的な支援が必要な場合は、精神保健福祉士やソーシャルワーカー、地域の相談支援事業所などへの相談が重要となります。
あるいは、ご本人は生得的あるいは後天的な障害、または精神疾患による困難を抱えておられるのかもしれません。そうした場合、またはそうした可能性がある場合は、まず専門医療機関(心療内科、精神科、発達専門医など)を受診し、正確な診断と適切な治療・支援を受けることを強く推奨します。すなわち、はじめからアドラー心理学に基づくカウンセリングだけを第一選択とせず、あるいは単独で行うのではなく、幅広い可能性を考慮した対応が望まれます。
アドラー心理学に基づくカウンセリングの適応がある場合は、治療的人間関係(相談的人間関係)のなかで、ご本人のお話をしっかりと聴きます。治療的人間関係(相談的人間関係)とは、相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致ができている関係のことです。カウンセリングでは一人ひとりの個別性を重視し、ある日のひとつのエピソードから、協力的な暮らし方を考えていきます。
ただちに他者との比較や競争意識を完全になくすことは、非現実的かもしれません。それでもなお、お互いに助け合い、協力して暮らしていくことが、幸せへの道だとアドラー心理学では考えます。私たち一人ひとりがお互いへの構えを競合から協力に変えていくことで、未来には協力的な社会が実現すると考えているのです。
まず、ご質問にある「競争社会」という前提自体を検討しなければなりません。というのも、世の中の競争は、むしろ協力関係を伴うことで成立しており、100%純粋な競争社会というものは考えられないからです。
実際の人々の暮らしをよく見てみると、競争の中にも協力関係がしっかりと息づいていることが分かります。競争が激しいビジネスの世界でも然りです。そもそも自由競争とは、公正なルールがあってこそ成立します。そして公正なルールは、人々が協力し合い支え合ってこそ維持できるものです。長年の積み重ねで商取引や雇用、製造等についての法や各種の規定が整備され、また、人々の間で公正な商慣習が積み重ねられてきたからこそ、健全な競争を続けることができるのです。仮に、誰もが協力し合うことをやめ、ルールを形骸化させてしまえば、競争は直ちに無秩序な収奪か、「万人の万人に対する闘争」に姿を変えてしまうことでしょう。しかし幸いにして、私たちが暮らす社会は概ね、そこまで極端な状況にはないと思われます。つまりいわゆる「競争社会」という捉え方は、世の中を一面的に捉えた、かなり偏ったものの見方といえるのではないでしょうか。
とはいえ、世の中に行き過ぎた競争があることもまた確かなことでしょう。それらは、「自分が必ず他者より上でなければならない」「必ず勝たねばならない」といった、個人の競合性によって生み出されると考えられます。ここでいう「競合」とは、自分と他者との間で、どちらが上でどちらが下か、どちらが正しくてどちらが間違っているか、どちらが美しくてどちらが醜いかなどを決めようとする態度のことです。アドラー心理学では、そうした他者との比較や競争意識は、個人の「劣等感」に関係すると考えます。「劣等感」とは、個人が理想とする状態とは違う現実に遭遇したときに起きる感覚のことです。その感覚は往々にして、「私は〇〇の点で人より劣っている」と他者と比較する形で自覚され、私たちはそれを補償しようとして競合的になり、他者と過剰に競いがちです。
そのような、他者を蹴落とし自分が上に上がろうとする「縦の関係」で生きる限り、人はいつも争い、不安におびえて生きていくことになります。しかし、そこから抜け出して「横の関係」で生きる、すなわち自分も他者も人間としての価値は等しい(equal)だと考えて、話し合って協力し、あるいは別個に役割を果たしながら、互いに対等な立場で自分の人生を生きていくことで、安心して幸せに生きていく、そうした選択肢も私たちにはあるのです。
ルドルフ・ドライカース(Rudolf Dreikurs)は、「不完全である勇気(Courage to be imperfect)」と言いました。一人ひとりが自分の不完全さを認めつつ、お互いの価値は等しいのだということに気がついて、自分ならではの役割を果たそうとすることが大切だと、アドラー心理学では考えています。
なお、ご質問が「世の中は100%純粋な『競争社会』だと信じながら、なおかつ、気持ちや態度の上では協力的でいられないか」ということであれば、それは人のあり方として矛盾であり、そのような矛盾を他者に強制することは所謂ダブルバインドであって、当然ながらアドラー心理学の主張はそのようなものではありません。
アドラー心理学はいじめやハラスメントについて、「被害者の課題」として被害者の被った暴力やその苦痛を無かったことにするものではありません。また「自分の受け止め方次第」などと、全ての責任を被害者に背負わせて、加害者側の暴力を免責するものでもありません。寛容の名のもとに、不寛容の極致ともいえるいじめやハラスメントが許されるようなことは、決してあってはならないと考えます。
結論から先に申します。アドラー心理学はいじめやハラスメントについて、それは加害者側の課題だからと、被害者の被った暴力や、それに伴う苦痛を無かったことにするものではありません。また「自分の受け止め方次第」などと全ての責任を被害者に背負わせて、加害者側の暴力を免責するものでもありません。寛容の名のもとに、いじめやハラスメントが許されるようなことは、決してあってはならないと考えます。
まず、ある出来事が誰かの課題なら、他の人にとっては課題ではない、もしくは他の人の課題にはなり得ない、という考え方は間違っています。ひとつの出来事は、それに関係する人々の、様々な課題となり得るのです。
この場合、被害者側には、たとえば現在の状況から速やかに抜け出して、ふたたび安心して人々との関わりに参加できるようにする、といった切迫した課題があることでしょう。加害者側は、いずれ他者を害したことによって自身に降りかかる「結末を体験」するでしょうし、それに向き合うという課題を避けるべきではありません。いじめやハラスメントを見聞きした周囲の人々も、「身近な方が被害を受けた事に対してどう考えどう行動するか」といった課題に直面することでしょう。そして出来事の舞台となった場の管理者、責任者にとっても、それらは看過できない課題であるはずで、為すべきことは多々あるように思われます。
また、いじめやハラスメントが現在も進行中であったり、被害がさらに拡がっていたり、再発のおそれがある場合には、その抑止のため、また加害者が自分の起こした行動の結末を充分に体験するためにも、コンプライアンスの担当部門や、警察等行政機関への通報と連携などが、被害を受けた側の課題に含まれてくることと思われます。
アドラー心理学は、他者に寛容であれとするものですが、いじめやハラスメントなどの暴力は不寛容の極致といえる行為であり、アドラー心理学は不寛容に対して寛容ではありません。そうした行為については、当事者だけの課題として傍観するのではなく、周囲の人々も自分にできることを考え、協力して解決することが求められます。
ただし、周囲の人々が被害者を思うあまりに、被害者自身の感情や考えを確認せずに動いたとしたら、それは、被害者を援助することにならない場合もありえます。物理的には同じ被害であっても、主観的にどのような「被害」であるかが異なるからです。むやみに踏み込んで、被害者の考えを無視した安易な助言をすることなどは、被害者を二重に苦しめてしまうことになりかねません。
もし、私たちがそうした問題についてご相談を受ければ、「話を聴く」ことを大切にします。じゅうぶんに話を聴いたあとであれば、被害者の求めに応じて「助言する」こともあります。それらを通じて、「私は能力がある」「人びとは私の仲間だ」と思える方向へ、そして自立して社会と調和して暮らせる方向へと向かえるように、時間をかけて勇気づけを重ね、援助しようと努めます。被害の状況次第では、同時に、または心理的対応よりも優先して、医療的対応を含む専門的な支援にもつないでいけるよう充分に配慮します。
どんな場合でも相手を援助しようとするならば、まず接する人自身がその相手の「仲間」になることから始めなくてはなりません。相手を尊敬・信頼し、協力して目標の一致を丁寧にとる「治療的人間関係(相談的人間関係)」を築くことが援助への糸口となります。なお、事情次第では医療機関への相談が必要です。
相手の方は、他者を「仲間」だと見なすことが難しい」と、自ら質問者に仰ったのでしょうか。それともその方について質問者がそのように感じている、ということなのでしょうか。
もし前者ならば、他者を「仲間」と見なせない、というのが具体的などんな行動を指しているのか分からないにせよ、アドラー心理学的に考えれば、その行動も所属のためのひとつの方法なのです。その方はもしかしたら「不適切な行動でもって注目・関心を引こう」としているのかもしれませんし、他の人と「権力争い」になっているのかもしれませんし、他者に対して「復讐する」あるいは「無能力を誇示する」段階まで進んでおられるのかもしれません。それとも、単に一人で行動するのが好きなだけかもしれませんし、特定の相手を仲間と見なせないだけなのかもしれません。いずれにせよ、質問者がその方を援助しようとするならば、現在のそうした行動は、今できる精一杯の適応努力なのだと思い、その方本人を尊敬・信頼して、仲間になることから始めなければなりません。
ただし、他者とのこじれたコミュニケーションが、「復讐」や「無能力の誇示」の段階にある場合は、残念ながら相手と接している当事者は援助する力を失っている場合がほとんどですので、専門的なトレーニングを積んだカウンセラーのような第三者の助けが必要です。また、その方の困難さの状況によっては、医療機関への相談が必要となります。しかしそれらの専門家への相談にしても、その方自身の意思を無視して勝手に進めることはできません。その意味でも、まずは、接している人自身がその方の「仲間」になることから始めなくてはならないのです。
また、このお話が後者ならば、ご注意いただかねばならない点があります。その方について、「この人は他者を「仲間」と見なすことが難しいと感じているのだな」と判断することそのものが、その方との関係樹立を妨げている可能性があるからです。そのような判断は、「この人は他者を「仲間」と見なせていないから、他者との関係がうまく築けないのだ」という独断によるものかもしれないのです。もし、そのように考えて相手を裁いているとすれば、相手は間違っており私は正しい、という縦の関係に陥って、援助する力を失ってしまいます。
質問者とその方がどのような関係であれ、質問者が相手を援助したいと考えているならば、まず、その方との間に治療的人間関係(相談的人間関係)がなければなりません。アドラー心理学では援助を可能とする良い人間関係のことを「治療的人間関係(相談的人間関係)」と呼び、その条件をまとめています。
まず援助する側が、相手のことを心から仲間だと思い、その相手が懸命に生きている一人の人であると尊敬し、その人自身で解決する力を持っていると信頼し、一緒に課題を乗りこえるために協力し、具体的に何を目指してどうやって行くのか目標の一致を丁寧にとりながら接するところから始めなくてはなりません。そのような関係を築くためには、相手の興味がある話題などについて話を聴いてみるのもよい方法でしょう。相手から見て、この人なら話してもいいな、話を聴いてもらえそうだな、思ってもらえる関係を築くことが、援助への糸口にもなるのです。
職業的な立場で相談を受ける場合でも、そうではなく親子や友人のような関係だとしても、相談しようとする人が率直に自分の困難について語り、アドバイスを得て困難を解決しようとしている場合に限り、援助が可能となるものです。そのためには相談を受ける側は相談しようとする人にとって、心から信頼できる仲間でなくてはならないのです。
Staff List
企画・編集:川尻信一(AIJ事務局長)
執筆:大竹優子・中井亜由美・久保田由紀子・野田文子(以上4名AIJ心理療法士)
監修:大竹優子(アドラー心理学指導者)
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